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子供のチャレンジと親のサポートの望ましい関係とは?

<Whole Parents>

子供のチャレンジと親のサポートの望ましい関係とは?


■生活思創のためのメモ書きをスタートします。ちょうど4月だし。「スルーしてしまいそうな日々の生活を再考することで、より意義深い生活ができるといいかなあ」、という素朴な想いがあります。

その中でも、小生が興味を持っているテーマに、親が子供の学びにどう関われば良いのか?というものがあります。その奥には、Whole Parents=「統合的な親」という概念がありまして、なかなか説明しづらいのですけど、あっさり言うと、「親になると、どんな人間的な成長がありえるのか?」というものです。別に親にならなくても人の成長への希求は死ぬまで続きます。

 何やらの縁で子供を授かって親となってしまうケースもあります。愛情関係だけで話をまとめないで(「子育ては学びがあるよー」とか「親になってわかることがいっぱいある」といった決め台詞のことですけど)、これを貴重な機会とする。子供という人格にモロに向き合う親役ならではの人間として(ここが重要)の成長があるんじゃないか?、なんて問いを設定してみようとしています。まあ、概念はこの辺にして、さっそく本題へ。

■今回はその第一話。
「子供のチャレンジと親のサポートの望ましい関係とは?」です。

子供が大きくなるといろんなことにチャレンジさせてあげたいと思うのが、多くの親のあり様です。一緒に遊ぶ、お稽古事をする、海外体験をさせる、などなど・・・。いいですよね、チャレンジ。 そして、一回ものから継続ものまで子供に未知な世界を体感させていく行為はある意味すべてチャレンジと言えます。

しかし、未知の世界の体験をチャレンジと呼ぶには、コンフォート・ゾーンを出ることが前提になります。ここがストレッチ・ゾーンと呼ばれる領域です。(図表1)

新しいゲームソフトにチャレンジするぐらいは、コンフォートの域をでませんが、初めてゲームソフトを自分で創ってみる、となると、ややストレッチした感じがでてきます。未知な部分が多くありそうだからでしょう。
 ついでながら、あまりにも無茶なストレッチはパニック・ゾーンと呼ばれるそうです。初めてのゲームソフトで、「ゲームコンテストで入賞してこい!」みたいなハードルでしょうか?

さて、どんなチャレンジ場面でも、子供にコンフォートゾーンから出ることを奨励させることが要求されます。大きくは3方向。

  1. <小さなステップを踏む> 子供が新しいことに取り組む場合、まずは小さなステップから始めることが大切。例えば、新しいスポーツに挑戦する場合は、まずは簡単な動きから始めることができます。

  2. <模範となる行動を示す> 親が自らがチャレンジしていることを子供に見せることで、子供たちも同じように挑戦することができます。

  3. <ゲーム化する> 子供たちは、遊びを通じてチャレンジする意欲を高めることができます。親は、新しいことに挑戦することをゲームのように楽しくして、子供たちが取り組みやすい環境を作ることができます。

■では親はどうなのか?

やっと本題です。<Whole Parents>では、チャレンジとサポートがセットだと考えます。「お金だけ払えば良い」、「何か良い選択肢を選んでやれば良い」ではないという考え方です。残念ながら、親がサポートを通じて自分を成長させようとしてないので、極論するとリソースに頼っただけの消費行動と同じだってことになってしまってるわけです。

 さて、この話の延長線上には、子供がストレッチ・ゾーンに入ることを奨励するなら、やはり、親も自らがコンフォート・ゾーンを出て、ストレッチ・ゾーンに身を置く必要があるだろうってことですね。この反対に、お金を出すだけ、選択肢を見つけてくるだけの親はコンフォート・ゾーンからのサポートしかしてないといので、自己の成長とは縁のない場所で親役を果たそうとしている、という意味になります。

図表1

ということは、親のサポートもチャレンジの一種ってことです。ここに親役をベースにした成長があると思えます。さて、これを先述の3手法に重ね合わせてみましょう。今度は親が親自身を奨励する話になっています。

1.<親も、小さなステップを踏む> 親が新しいことに取り組む場合、まずは小さなステップから始めることが大切。

2.<親も、模範となる行動を示す> 親が自らがコンフォートゾーンから出て、サポートしている姿を子供に見せることで、子供たちも親になった時、同じように自分の子供(つまり孫)にサポートすることができます。

3.<親業も、ゲーム化する> 親たちも、遊びっぽく仕立てることができます。親は、新しいことに挑戦する自分のための人生ゲームのようにできれば、今までの延長線上になり行動も習慣化できます。

さて、実際に自分が実体験としてやったことは、長女が3歳から8歳になるまでの約五年間に絵本を1000冊読むというチャレンジです。
1年に200冊。毎月15冊平均を図書館で借りて、寝る前に読み聞かせする感じです。
立派そうですけど、当初の動機はひどい親のそれでした。ともかく、子供といる時間を楽(らく)して過ごすにはどうしたらいいか?というのが発想の起点です。雨の日も、真夏も真冬も過ごしやすい屋内施設としての図書館は、公園で周囲の子どもや親御さんに気遣いながらあっち行ったり、こっち行ったりするより遥かに楽に見えたのです。
とは言え、絵本は子ども向けですから読んでも退屈だし、それを2度3度繰り返すのはこれまた精神的な苦痛でもあります。そこで気がついたのは、当時3歳だった娘はどうせ字が読めないので、絵だけで選んで適当に読み聞かせすれば良いのではないか?、という手抜きの極まった発想でした。

 それに、もともとアート好きですし、美術館通いもしていた身です。絵本も探せばそれなりに鑑賞に十分耐えうる美しい作品もあるはずだと見込んで、それらしきものを借りる習慣に切り替えてみたのでした。一応、ここの動きはややコンフォート・ゾーンを跨いで、ストレッチしようとしている感じがしますな。

実際に絵本選びをしてみると、いやいや、結構どころか、良質な美本がかなりあるのです。俄然、態度が変わります。ついに、父は絵本借りに目標を設定します。それも1000冊を宣言し、ほぼ毎週、近隣の図書館全てを子供と一緒に回ることにしたのです。おかげさまで、かなり絵本(特に海外のアーティストですけど)には詳しくなりました。現役の有名画家はSNSでもフォローしたりもしています。一方の子供はというと、自主的な読書習慣を身につけ、いつの間にか年上の人たち向けの本もササっと読みこなすようになってたりして。適当な読み聞かせでも、親子チャレンジからのリターンが顕在化してきてます。

 振り返ってみると、この展開で大切なのは子供にとって最も身近な存在の親がコンフォート・ゾーンを出て、新しい習慣に入れ込み出した姿を子供に見せ続けられたことです。これが最も大きなリターンだったかもしれない。

 ついでながら、先の3手法で分解すると、

1、簡単なステップ=図書館、
2、模範行動=父が沼化できる行動、
3、ゲーム化=1000冊という数値目標、ですかね。

■親子が共創関係にあること
チャレンジが「する人」で、サポートが「させる人」というのは間違ってはいないですけど、親子関係をベースに人間的に成長することを願うなら、親役のサポートに人としてのチャレンジを練り込むことが肝要ではないでしょうか。
きっかけが低次でも、うまく親子の共創場面に出くわせば、親ならでは成長の鉱脈となりうるのです。確かに、子育ては手間がかかります。面倒くささは避けきれない分、これを逆手にとれるなら生活の充実さはプラスとマイナスが逆転するぐらいのインパクトがあります。
サポートのストレッチ・ゾーンは親業の特権とさえ言えるのではないでしょうか。

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