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お台場で出会った東南アジアお兄さんが大事なことを教えてくれた

 台場駅で降りて数分、フジテレビを横目に湾岸線を見下ろす広い通路を歩く。左手に大きなショッピングモールが見えてくる。そのモールに沿うように角を曲がると、あった。いつ見てもでかい。国民的ロボット、ガンダムのオブジェだ(ロボットよりモビルスーツと呼んだ方がいいのかもしれない)。何度見ても、おのぼりさんみたいに「おぉ、でけぇ。」とつぶやいてしまう。実際、北関東から電車で一時間半かけて来たおのぼりさんなので何も間違っていない。

 その日、台場を訪れたのはBaseBallBearというバンドのライブを見るためだった。例のショッピングモールの地下に、大きいライブハウスがある。高校生活に花を添えてくれた大好きなバンドが高校卒業後の春休みにライブをしてくれると知り、門出を祝福してくれているようでなんだか嬉しくなってチケットを申し込んだのだ。普段は出不精気味で腰の重い自分も、この時ばかりは心も体も軽く、当選メールを受け取った時は隠れて小躍りをしてしまった。

 午後五時の開場まで待ちきれない。少し早くついてしまったのでモール内を散策したり、フードコートで時間をつぶしたりするけれど、なかなか時計の針は進まない。モールの中は人が多くてなんだかそわそわするから、外に出てゆっくりしよう。僕は再びガンダムが見下ろす広場に出て、ベンチに座りながら三月の太陽を浴びていた。

 ところで、ライブハウスには独特なルールがある。それは、入場時に500円をドリンク代として支払わなければならないというものである。仮にドリンクなんていらないという人がいても、必ず全員が支払わなければいけない。これは、おそらくライブハウスが利益を出すためのシステムであって、ほぼ儀式的に入場者全員が500円ワンコインをもって入場口に並び、チケットと一緒に受付の人に手渡すのが決まりとなっている。チケットを確認すると受付の人がドリンク引き換えコインをくれる。ドリンクが欲しい人は会場内にあるドリンクカウンターで好きなジュースと交換できる。(※調べたところ、ドリンク代を取られるのはライブハウスが飲食店として警察に届けを出していることが理由らしい)

 考えたくないことだが、もし仮にその決まりを知らずに受付時に500円を持ち合わせていなかったら、どうなってしまうだろう。きっと、入場を待つ行列に混乱を生み、受付のお姉さんに睨まれ、謝罪の言葉を涙ながらに連呼しながらその場を後にするしかないだろう。考えるだけで恐ろしい。

 僕は幸いその特殊なルールを知っていたので、ベンチでのんきに日向ぼっこをしている時、既にそのポケットにはしっかりと500円玉を忍ばせてあった。モール内で買い物をして小銭を作っておいたのだ。準備万端、あとは開場時間を待つのみ。僕の心は満たされ、心は軽薄に浮ついていた。

「500円持ってますか。」

 ライブの開場時間があと数分後に迫っている。「楽しみだなあ。」とニヤニヤしながら待っていたら、見知らぬ男性に声をかけられた。

「こんにちは、500円持ってますか。」

 にこやかな東南アジア系の男性だった。思わぬ人物からの予想もしない問いかけに「え?」と僕は混乱した。なぜ急に話しかけてきたのか?なぜ500円限定なのか?僕はよくわからず「えーっと…」とフリーズしてしまった。

500円…500円…あ。左ももに硬貨が当たる感触。あれ、俺ちょうど500円持ってるじゃん。

「僕、持ってます。」

「東南アジアの貧しい子供たちを助けてください。」

「は?」

「子供たちのためです。募金よろしくお願いします。」

「いや、その」

「お願いします。」

 500円を持っていると高らかに宣言してしまった手前、あとに引けなくなってしまった。心優しい日本人の悲しい性、こういう時勢いに押し負けてしまう。

「じ、じゃあ」僕は彼が持つ紙箱に500円玉を力なく置いた。500円を失ってしまった。いや、でもこれでいいんだ。多分これで救われる命があるんだ。この決断は決して間違いではないはず。

 意気揚々と立ち去っていった東南アジアお兄さんは、その後も手あたり次第にベンチに座る人たちに声をかけていく。その背中を見ながら、「しかしポケットにちょうど500円玉が入っているなんて偶然もあるもんだな。」とぼーっと考えていた。

 そうこうしているうちに開場時間がやってきた。僕も入り口近くに陣取り、自分の番号はまだかと係の人の声に耳を澄ませる。そわそわと待つこと数分、ついに自分の番号が呼ばれた。テンションが上がって心臓がバクバクするのがわかる。

「チケットとドリンク代500円をお願いします!」

受付のお姉さんのはきはきとした声に促され、ポケットからチケットと500円玉を取り出s


ん?


 不思議なことに、ポケットに入っていたはずの500円玉がなくなっていた。なぜだろう。しっかり準備したはずである。僕は今日の行動を振り返って考える。そして気づいた。500円玉の現在地を。そう、僕の500円玉は今、東南アジアお兄さんの持つ紙箱の中に横たわっているに違いない。怒りとやるせなさが同時にこみあげて混ざり合う。頭に血が上り、しかし顔は青ざめる。ふざけるなお兄さん、何をしているんだ自分。


「すいません、持ってないです…」

 お姉さんが未知の言葉を話す外国人を見るような目でこちらを見ている。


お兄さんの正体

 二十年の人生の中で、後悔していることは山ほどある。あのとき真剣に勉強していたら、思いを伝えていたら、もっと早く出会っていたら…。でも、東南アジアお兄さんに500円を渡したことを僕は後悔していなかった。結局楽しくライブを見ることはできたし、僕の500円で救われる人がいるならそれは素晴らしいことだ。誰かの生活を救った者として、むしろ胸を張って生きていくべきである。

 そんなある朝、朝食を食べながらなんとなくテレビをつけると情報番組 (たぶんZIP)でこんなニュースをやっていた。

「外国人による募金詐欺 都市圏の駅前を中心に多発」

 箸をもつ手が止まった。ものすごく心当たりがあった。あの時のお兄さん、絶対これじゃん。だってよく考えたら500円くれだなんて怪しいもん。なんで募金を募る側が金額指定してくるんだよ。持ってる紙箱も死ぬほどボロボロだったし。思い返すほどすべてが怪しいじゃないか。今まで気づかなかった自分に腹が立った。

 なんでも、都会の駅によく出没しているらしく、調べたらお台場ガンダム前も絶好の詐欺スポットらしい。名乗っている団体名も実際には存在しないのだそうだ。人の親切心で懐を満たしている人って本当にいるんだなぁ、となぜかしみじみとしてしまった。

   しかし、500円という値段を指定するのには感心した。17:00頃のガンダム前広場には、ドリンク代500円を握りしめて浮かれている人達でごった返している。きっとそんな人達が狙い目であることをお兄さんたちはよく知っていたに違いない。敵を落とすにはまず敵を知ること。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言った孫子も詐欺お兄さんを見たら心から絶賛するに違いない。


詐欺お兄さんのすごいところ

 この一件で、僕は一つの学びを得た。それは、欲しい答えをもらうためには、問いかたを工夫すればよいということだ。

 もしあの時、詐欺お兄さんが開口一番「募金してください」と言ったら、僕はすぐに「なんだか怪しいな」と感じ、お金を出すのを躊躇っていたと思う。しかし、「500円持ってますか」と聞かれたので、「あ、持ってる」と首を縦に振ってしまい、そのままお金を出さざるを得ない流れに引きずり込まれてしまったのだ。

 好意を持っている人をデートに誘うときに、「来週末、どこかに出かけませんか?」ではなく「映画館と水族館、どっちがいいですか?」と誘うと断られづらくなる、という話を聞いたことがある。募金も恋も、聞き方ひとつで結果は変えられるらしい。

 おそらく日本語が母語ではないお兄さんに、言葉遣いの難しさや奥深さを教えられてしまった。純日本人として複雑な思いである。でも、問い方が大事、ということを500円で学べたと考えれば、案外安い授業料だったかもしれない。

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