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第3話 動くことが正義ではない

 12月8日の授業には対面で大村君を迎え、翌週15日はオンラインで森君を迎えて対談を行った。受講生は書記やオーディエンスというかたちで、その場に参加してもらった(15日の授業では一部の学生に、直接森君と会話してもらった)。学生にとって、それはゲストハウスのラウンジで、直接会話には参加しないけれど、旅人同士の会話が聞こえている状態、あるいはラジオのリスナーに近い状態だったのかもしれない。
 12月8日~15日の授業の合間には、学生の各グループ(「焼き鳥男子(仮)」「もみじ」「ねずみ荘」「漢宿」「Free宿」「無愛着荘」「天神」)内でのグループワークをお願いしていた。授業内での課題であるとはいえ、短期間であり、なおかつ8日の授業動画のアップロード作業が遅れてしまったので、多くのグループが未実施であると予想していた(思い込んでいた)。
 ところが、ほとんどのグループがグループワークを実施し、ウェブ上の学内掲示板にその報告を挙げていた。かれらは、当然のようにこの1週間のなかで、日々の生活に忙しい中、それぞれの個人の時間を擦り合わせて、集まる時間を「見つけて」、対話を行っていた。私は、その場で一体何が話されているのか、覗き見したい気持ちに駆られる。話し合いが行われている場所の陰から少し、その様子を観光客のように「見物」してみたい。なぜなら、その対話の現場こそが、この授業にどんな意味があるのか、あるいはこの授業を今後どのように改善・成熟させていけばよいのか、そのヒントが隠されているはずだからだ。
 しかし、それは「隠れている」から意味があるのだ。私がそこに乱入したら、せっかくの雰囲気が台無しになる。余計な口をはさんで、自由な対話の流れを疎外してしまうだろう。その場所で学生同士の対話がしっかりと行われていること。そのことを講師である私自身が信頼することが重要である。実際に掲示板や旅日誌(授業アンケート)、対面での学生の様子から、充実した対話の様子が自ずと伝わってきていた。
 12月15日の授業(第2話)では「隠れ家」が一つのテーマだった。昨年、SENN(長井)を訪れた学生は「SENNの扉」と名づけられたグループを創った。私が地域おこし協力隊に着任する過程で、長井を訪れる学生が少しずつ増える中で、私を介さず、学生のみで議論する場があった方がいいとの意図があった。当初、私がSENNの扉に掲げたミッションは、「長井と札幌を通常の観光PRとは異なるかたちでつなぐこと」。「長井はいいとこ、一度はおいでよ」のような定番の観光PRではなく、「関係案内所」というコンセプトに沿った地域や人の繋げ方を模索することを学生自身に実践してほしいと思ったのだ。
 結局、その取組は、現在に至るまで遂行されていない。しかし、そのプロトタイプはある意味、その時点で実現していた。それは、「SENNの扉」のコアメンバーである、内村君、森君、三浦君(2021年度観光経済論の受講生)自身が既に発見していた(彼らは現在「SENNの扉」とは別に「SENNの隠れ家」というグループをつくっている)。私が協力隊に着任する直前の3月、私はコロナ禍以降、内村君と三浦君を相棒に、久しぶりに長井を訪れた。長井に到着すると、息つき暇もなく市役所との打合せをして、飲み会へ。二次会はスナック「夜汽車」に行った。その後「お試し”長井”暮らし」の人に向けた定住促進住宅に3人で宿泊し、翌朝は「卯の花温泉 はぎ乃湯」に行き、そこで、内村君から森君を紹介された。脱衣場で、すぐさま今晩オンラインで話そうと内村君に持ち掛け、定住促進住宅で4人で話した。3人の中では、既に協力隊への意欲が高まっており、そのとき現在進行形で進んでいた就職活動を脅かすほどの力があることを実感した。
 その後、長井を訪れた学生が少しずつ加わりながら、やがてそのグループには「SENNの扉」という名がつけられ、初夏には私はそのグループから離脱した。そのグループを卒業したつもりはないが、陰からこっそり見守って、学生の自主性に任せたいと思った。実は、既にこのとき「SENNの扉」は完成していたと私は思っている。確か、オンラインでSENNの山崎・森君・宮崎君(長井)と内村君(富良野)と三浦君(おそらく札幌)を繋いで話しているとき、三浦君が「今この瞬間が他にはない場所」といった趣旨の発言をしていた。それは、観光経済論で実施していたグループディスカッションと地続きである。「グループディスカッション」という言葉は、他者との競争が根底にある就職活動の用語のニュアンスが強いため、今年からは半分意図的に「グループワーク」と言い換えている。
 地下鉄に乗って大学に来たから、授業を受けて、終わったらバイトをして帰る。大学3年になったから、そろそろインターンシップや就職活動を始めてみるか。そのような、いつのまにかルーティン化した生活、今自分が置かれている環境について、同じ学生同士の対話から言葉にしてみること。それがグループワークの根幹にあり、日常を変容させる非日常としての旅の価値を自ら実感することに繋がる。三つの異なる場所(SENN・富良野・札幌)がオンラインで繋がっているとき、そこには「地元」や「母校」らしきものが生まれていたのだと思う。
 この「SENNの扉」の原初的な雑談の様子、(8日授業の冒頭で流したゆずの「てっぺん」のような)デモテープのようなものを、JANの直記さんに見せたとき、「これ自体が十分に面白い」と言ってくれた。つまり、この対話自体を続けていくことが、SENNの扉にとって重要だったのだと思う。この対話を地道に根を張って続けていくこと。そうすれば、自ずと何らかの収穫があり、それは具体的な作品となって現れただろう。それは初期の関係ノート(「長井トひと。つむぎのおと(Vol.1)」、「SENNの縁、縁のSENN(Vol.2)」、「山形県長井市を訪れて(Vol.3)」)や関係台本(「第0話 関係としての惣邑を持ち返る」)を見れば明らかだ。
 その対話をおざなりにして、行動すること自体を盲目的に肯定してしまうと、この授業や関係学舎のコンセプトは根底から崩れてしまう。行動することだけを特化(目的化)すれば、それはやがてamazonに代表される現代の物流と同化して、昨今流行した宅配サービスの「置き配」へと行き着くのではないか。地方創生の現場で、都会から地方へ移動することの魅力を当事者である若者自身が深く考える機会(余裕)がなければ、安易に移動だけが促され、最終的には経済的・社会的にも当事者や地域が疲弊することに繋がりかねない。
 深く考えるとは、アカデミック、高尚といった意味合いではない。雑談をする余裕を持つことが大事で、その過程で、結果的に深く考える契機が訪れる。そのときには雑談を雑談で終わらせないで、その言葉を書き切って表現することがときには重要である。それが、関係人口という抽象的な概念を越えた先にある〈関係〉の創出につながるはずだ。
 上記で提起した問題は、講師である私自身の問題でもあると思っている。22日の授業で私は書記に徹して、学生の各グループと大村君、森君との対話の時間をゆっくりと「つくる」つもりだ。その一つ一つが「関係案内所」をいつのまにかつくっている。

2022年3月長井市役所での打合せの様子(「SENNの扉」の原体験)

第3話「動くことが正義ではない」
日時:2023年12月22日(金)(I部)16:00~17:30 (Ⅱ部)17:50~19:20
会場:北海学園大学16番教室(観光経済論の授業内で実施)
出演者:大村航太郎、森知磨、内村光良、「焼き鳥男子(仮)」、「もみじ」、「ねずみ荘」、「漢宿」、「Free宿」、「無愛着荘」、「天神」
書記:山崎翔



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