「無愛着荘」が行きついた「関係案内所」

 「関係案内所をつくる」。これは観光経済論という授業が始まったときから我々学生らに課されている大きなテーマである。全 15 回の授業に加え、授業外でのグループワーク(対面とオンラインで実施)にも取り組み、「関係」とは何か、「関係案内所のあるべき 姿」など関係案内所についてたくさんのことをメンバーと話し合い考えてきた。本稿では 「関係案内所をつくる」というテーマのもと全 15 回の授業とグループワークを通して、「無愛着荘」が行きついた結論をまとめていきたいと思う。「無愛着荘」。これを読んでいるあなたは、この言葉は何を指しているのかと思うだろう。これは我々のグループ名、すなわち我々が作る関係案内所の名前である。由来は、偶然集められたメンバー4 人全員に母校の大学への愛着が全くなかったことから来ている。 このことがメンバー唯一の共通点であり、半ばやっつけ仕事のように決まった名前ではあるが、メンバーそれぞれの考え方・価値観など個性が違うという点で、ある意味このような名前が付くのは妥当であったのかもしれないとも思える(「関係」という接点がないからこそ「無愛着」でいられるのかもしれない)。名前こそ「関係」とは離れている感じではあるが、「関係案内所をつくる」というテーマのもとではメンバーの目線が一致してい た。授業が始まる前こそ他人ではあるが、いざその授業という空間に入ることで同じ目線に立つ仲間になる。確かにあの空間(授業)には我々の「無愛着荘」が存在しており、テーマを共有し、共に考えていた。では、我々が考える「関係案内所」とはどのようなものなのだろうか。それについて考えるにはそもそも「関係」とは何かを明らかにする必要があ る。我々4人にとって「関係」とは、意図して作るものではない、偶発的に生じるものであるとしている。また、「関係」というのは自分の選択肢によりできるもので、そこには 「責任」のようなものが伴う場合もあるとしている(これを指摘しているメンバーは続け て、「関係」というのは避けることや作らないことのほうが簡単だと話している。あえて 「関係」を作るということは自分に対して責任を課しているのかもしれない)。このように 「関係」というのは偶発的に生じるものであり、「関係案内所」における「関係」とは、「目的」をもって作られるものではなく、むしろ「関係」が「目的」を生み出すのだとし ている。その「目的」を提供する場所が「関係案内所」なのであり、それこそが「関係案内所」のあるべき姿、いわば「目的」なのである。偶然によって生まれるものを「関係」 とするならば作為的に「関係」を生み出す「関係案内所」は矛盾した存在となる。しかしながら「関係案内所」そのものを否定するのではなく、既存の開かれた施設(例えば近所のカフェやたまり場など)などを利用することで「関係案内所」の「目的」は達成されるのではないかと思われる。むしろ形や枠にとらわれず、作為的に作られたものではないことが偶然だとするならば、このような形が理想的な「関係案内所」ではないのだろうか。

追記 — 2 月 2 日の話し合いより —
 2 月 2 日午前9時。上述の文章を完成させ、その内容の確認と修正を兼ねて予定していた山崎先生・メンバーの小田との話し合いが始まった。最近の私は、夜は寝ずに朝の 7 時 ~9 時の間に寝付くという生活を繰り返していたので、話し合いが始まった頃がまさに眠 気のピークであった。しかし、いざ始まるとあっという間に時間が過ぎ、モニター越しに 2 時間近くも話し合いをしていた。その内容は作成した文章の添削・修正というよりもそのほとんどが雑談に等しいものであった。ただ、雑談にしては非常に濃密で相手と話して はいるものの、どこか自分と向き合って話しているような感じであった。とにかく自分と向き合っていた時間だったと感じる。とりわけどの話が印象に残っているというわけでは ない(もちろん、先生が文学フェアで入手した本から作者との不思議な関係が続いていること、映画『東京自転車節』に対するそれぞれの見方、先生から見た私の地元観などおもしろい話はたくさんあった)、しかしながら、自分にとって「地元」というものを言葉として口に出して話す行為そのものに意味があったと私は思う。頭では考えていたつもりでもいざ言葉に出してみないと考えがまとまっていないということは良くある。いわば考えを何かの形に起こすことで改めて自分の考えを明確に認識できるのではないだろうか。今回の話し合いで、「地元」で生きていくということに対する自身の考えが自分の思う以上に固まっていて少し驚いている。地元で生きていくという覚悟に近いようなものを感じつ つ、心のどこかでこれでいいのだろうかと思う自分がいることを認識できたのだ。おそらくこのように「地元」やそこで生きていくということなどを考え、話し合う機会は意図的に 設定しなければなかなかないだろう。私はこれで終わりにせず、ふとした時に「地元」と 自分について考えていきたいが、そんな場所と機会を自然と提供してくれる場所が「関係案内所」なのではないのだろうか。                   
                                                                                    2024年2月4日 池内大輝

無愛着荘メンバー
  池内大輝 一戸響 小田菜月 小山翔大

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