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第5話 泥臭い関係案内所

 北海学園大学の「観光経済論」を担当するようになって、今年で5年目に突入する。「非常勤講師」という存在や役割は社会的にみれば、講師(正社員)への過渡期、あるいは、何らかの本業を持つ人が、副業的に本業の内容を講義するものと考えるのが一般的だ。
 私が非常勤講師を始めたのは、2020年の9月。どちらかといえば、前者の理由で始めた。当時は、博士論文執筆の途上で、非常勤講師等の「キャリア」を積みながら、査読論文を書いて、博士論文完成にこぎつけるというシナリオの中にいた。いや、実際シナリオの中にいたかというと、必ずしもそうではない。
 社会的存在としての自分はシナリオ(レール)に乗らないといけないと、頭の中では理解しようとしていた。しかし、心身全てを含めた私という存在は、そこに収まり切れなかった。社会的なことなど考えず、動くように動きたい。そう考え、行動していた。

 元々、2010年に修士論文を提出して、東京のコンサルに勤めることが決まったとき、自分の人生は「上がり」だと思っていた。あとは、仕事をしながら、東京私鉄沿線の自宅と職場を往復し、週末は温泉や音楽フェスに出かける。そんな日常の繰り返しで、日常を揺り動かす非日常には蓋をしようと思えば、そうできた。

 しかし、実際は違った。就職して3カ月で、札幌との往復生活を開始し、(商業性を志向しない)フェスをつくる側の主催者と出会う旅を重ね始めた。それは、少しずつ日常を侵食し始めた。仕事に疲れ果て、仕事と職場を結ぶ鉄道の沿線にあるマッサージに通い始める。毎週のように通い始め、たわいもない会話や愚痴を語ることが目的になる。でも、それだけでは終わらない。札幌や全国各地と東京の移動を繰り返す生活により、札幌でぶっ倒れたことを契機に、そのマッサージチェーン店から個人店に転職した人を頼って、はじめて鍼灸を体験し、少しずつ体調を戻していく。その人とは山口のフェスに行ったり、今では大事な友人になっている。

 東急目黒線沿線にある自宅の窓からは、目の前の中学校の校庭が見えたが、いつも疲れていて、うすぼんやりとその光景を眺めていた。時間がない中でも、家の周りはよく歩いていて、近くにある公演や飲食店、スーパーの配置は今でもありありと思い出せるし、身体に刻み込まれている。駅前にあったスーパー。店内では、「あなたもわたしもCGC♪」のBGMが流れていてた。
 2024年9月現在。私は、同じBGMが流れるアークス北24条店の近くに住んでいる。つまり、「いっちょ上がり」と当時は(一応)思ってもいた北海道大学大学院(母校)の近くに「戻って」きている。体調を戻すことと、母校に戻ることはどこかで繋がっている。それが2023年6月30日に始めたライフワーク「homeport」に結実している。

 ら北海学園や他の大学で非常勤講師をはじめ、2年目に突入した2021年の年末。来年から山形県長井市の地域おこし協力隊で活動することを思い立つ。表向きの理由は、博士論文の研究フィールドで長年通っていた長井で、実際に生活しながら、博士論文完成にこぎつけるため。もう一つは、経済的に困窮しているので、研究をしながら食っていくために、それが現状での最適解だと思ったからだ。
 今考えれば、どちらも表向きの理由が大きく、心と身体がそこまで乗り気だったと言い切れる自信がない。ただ、「何かに突き動かされていた」ような気がした。それは一言で言えば「博士論文を書き上げること」。でもそれだけではない。表向きの理由も裏向きの理由も渾然一体となったかたちで、研究を通して、自分自身がよりよく生きること。それが大学院を卒業する前に、言葉にはできていなかったけど、ぼんやりと考えていたことで、本当は「いっちょあがり」の東京生活をはじめることにどこか嘘くさい、偽善的な匂いを感じていた。
 
 その表裏が渾然一体となったかたちで、何かに突き動かされるように2022年4月から、札幌と長井を往復する生活がはじまった。その過程では、これまで出会ったものを、長井につくろうとしていた関係学舎「SENN」に引き連れようと、全国各地いろんなところをまわった。案の定、オーバーヒートして、協力隊としての活動は2023年8月に幕を閉じた(地域おこし協力隊活動レポート(2022年4月~2023年7月))。

 そして、札幌に戻ってきた。北大周辺に戻ってきた。物理的にどこかとどうかを往復するのではなく、札幌の北20条を本拠地にしながら、心身はいろんな場所を行ったり来たりする。無理をせず、有限であることが創造的なもの、よりよい生き方に繋がると現在では考えている。

 北海学園の非常勤講師をはじめてから5年目。この授業自体も私にとって一つの本拠地となっている。毎年学生と対話をし、ときにはおでんを食べに行ったり、温泉に行ったり、一緒に長井に行ったり。去年からは今年にかけては、学生の地元(苫小牧・手稲)を訪ねる機会もあった。そして、現在も学生の一人が休学をして長井市地域おこし協力隊として奮闘している。

 長井での活動を再開して以降、授業の中心テーマは「関係案内所」になった。観光案内所ではなく関係案内所。表向きに整え、設えられた観光案内所をつくっても、裏側の地域のリアリティ(人口減少や地域コミュニティの衰退)と観光客の接点は生まれづらい。だから、関係案内所をつくり、地域と何らかのかかわりを持つ人(関係人口)を増やすこと。それが、私に与えられた協力隊のミッションだった。活動期間中、長井を訪れてくれた古玉颯さんは、下記のように書き残している。

 あの2週間で感じたのは、「関係」とは、構築しようとするものではなくて、自ずと構築されていくということ、そして、「関係」の外側にあると思っていたものが、じつは「関係」そのものなのではないか、ということだった。
 山形空港に降り立った8月15日、私は、同じく学生として長井に訪れた内村君とともに、JANの直記さんが運転する社用車に揺られながら、最上川を上るようにして長井市にたどり着いた。
 いま思えば、自分はあの瞬間から「関係」のなかに入りこんでいて、関係人口や「関係」そのものについて考えるよりさきに、みずからの内側で、「関係」とはなにかということについて思いをめぐらせていたのかもしれない。
 そして、「関係」の外側にある(ようにみえる)ものは、「関係」が表象されるよすがになっているのではないか、ということを考えた。

古玉颯(2022)「長井を訪れて考えたこと(Vol.5)

  活動中もずっと学生と議論したことだけれど、「関係案内所」は関係を「つくる」といった時点で、既にそこにあるものが陳腐化してしまう。関係は偶然に立ち上がり、事後的に意味づけられるものであること。おそらく、資本主義が覆い尽くす現代社会とは、関係を固定化して、資本が自己増殖す世界のことで、その網の目からは逃れられない。そして、それが全て悪であるとも言い切れない。大事なことは、事後的に立ち上がる世界をよりよく生きて行くために、固定化すること、点を線で結んでいく知恵や技術を活かしていくことなのだと思う。そんな「地域おこさない協力隊」と「地域おこし協力隊」が一人の人間の中で共存・共棲できたときに、その人は関係案内所であると言えるのかもしれない。それを「homeport」では試行錯誤し続けていきたいし、観光経済論はその具体的な実践の場となる。

あなたもわたしも シージーシー 
作る人 売る人 食べる人
互いに役立て ありがとう
助けられたり 助けたり

CGCソングより一番の歌詞を抜粋


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