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#5「わざわざ人の手が時間をかけて作ったものを発信したい」(後編)

日本酒の枠を超え、色とりどりの分野で活躍する「ニホンジン」を訪ね、
日本の輪を広げて行きます。それはまさに「和の輪」。
第5回のゲストは、陶芸家・鈴木麻起子さんです。
 
※#5の後編です。 前編は
こちら

鈴木麻起子さん(左)と薄井一樹(右)

薄井 そもそも陶芸家になったきっかけは?
 
鈴木 実は叔母が東京芸大の油絵科を出て、美術教師をしていましたが、ずっと陶芸を趣味でやっていたので。一緒に暮らしてたこともあって、小さい頃から叔母の手作りの器で育った影響もあるんです。叔母は、定年退職後は陶芸教室をしていたので、「手伝って」って言われてろくろを回したりしてました。
 
薄井 えー! もうそこで自分の進むべき道が決まったんだ。
 
鈴木 だから、美大とかに行ってないんですよ。訓練校にも行ってないので。
 
薄井 僕と全く一緒だ。酒作りをする人の多くは東京農業大学っていう、こっちは農大っていうんだけ僕も僕も農大出てないし、酒蔵に修行に行ったこともないし。
 
鈴木 もしかして、じゃあ、先入観がなかったですか? 私もそれが良かったんだって。
 
薄井 うん、そうそうそう、そうなんだよね。教科書がないから、それが今思えば良かったと思う。仙禽なんかはどっちかっていうと、僕がオリジナルで作り出しちゃった味なんですけど、でも、元々なんかこう、お酒でいうと、憧れのお酒があってそれに近づけてみようとか・・・麻起子さんの特徴でもある、この美しいフォルム、これってどうやって生まれたんですか?
 
鈴木 ルーシー・リーさんっていう陶芸家の方がいるんですけど。イギリスを拠点に活動したオーストリア・ウィーン出身の陶芸家で。フォルムもすごく衝撃的で、遊び心もあったりで、彼女の作品を知ったとき、眠れなくなるくらい感激したんですね。で、こういう発想や感性でやってみようかなって。すぐにできるわけではないけど、彼女が何を見て美しいと感じながらろくろを引いてたのかっていう想像しながら、その一心で彼女の代表的な形をずーっと練習して。もちろん叔母の友人が4日間ほど手ほどきはしてくれたんですけどね。

薄井 ところで、陶芸をする場所って日本全国に数あるにあると思いますけど、なぜ笠間なんですか? 笠間ってめちゃくちゃ有名なところだけど、生まれ育った街じゃないでしょ(笑)。
 
鈴木 違いますね、埼玉県生まれですから(笑)。実はルーシー・リーさんのことを日本に広めた方が茨城県の陶芸美術館の館長をされてる金子賢治さんなんですが、たまたま私が東京で展示会をしている時にご覧になって、「是非、笠間でやらないか」ってお誘いいだいたんです。
 
薄井 笠間ってどんな場所ですか?
 
鈴木 人が凄くあったかいかな。「元気?」っていつも、みなさん声をかけてくださるし、作陶していると、お野菜を持ってきてくださったりとか(笑)。本当に幸せだなと思います。あと鳥も多いですし。
 
薄井 鳥!? まぁ確かにチュンチュン鳴いてるけど・・・
 
鈴木 キジとかがつがいで来たりとか。あとこの間、ウズラの家族が歩いてきたり(笑)。空もやっぱり関東平野なので、広く感じるんですよね。
 
薄井 関東平野は山が低いからね。それまでは麻起子さんの窯はどこにあったんですか?
 
鈴木 それまでは滋賀県の甲賀市、信楽焼きで知られてます。滋賀も凄く良かったんですけど、滋賀は山が多いので、雰囲気が違うんです。茨城県のこの笠間は開放的というか。なのでなんか開放的な作家さんも多いみたいで、自由な作風が笠間っていう風に聞きました。
 
薄井 滋賀から笠間に? だいぶ違うよね、環境がね。
 
鈴木 でも実は、笠間って江戸時代に、信楽から陶工を呼んで始まったんです。
 
薄井 あぁそうなんだ、ルーツは。
 
鈴木 笠間って土が赤い、赤いっていうのは鉄分がある。焼くと茶色く黒くなる。で、白い土を求めて、もう少し移動したのが益子なんです。
 
薄井 おお、我らが栃木の益子に繋がった。
 
鈴木 そうです、そうです。だから、信楽、笠間、益子は「三兄弟」って言われてて、今、「かさましこ」って連携もやってますしね。

薄井 フランス語でワインを語るとき「テロワール」っていう言葉があって、「土」から」派生して、ぶどう畑の土壌や気候、また醸造技術などをとりまく環境を指すのですが、僕らにとっては、お米が育つ、またお水がある環境ですね。たとえば僕が今から笠間で酒造りをするとか、滋賀県で酒造りをするってなったら、あまりにもその風土が違いすぎて、全く違うお米ができるし、お水も違うから、多分できたお酒も変わる。仙禽という作品が違うものになっちゃうと思うんだけど、麻起子さんの場合はまさに土そのものだと思うんですけど、滋賀から笠間に来て、どうだったんですか? 実際、触る土が違ったでしょ?
 
鈴木 まず、湿度が違いましたね。土はね、実は信楽の方から取り寄せていて。結局、湿度や温度、気候が変わると、環境を一定にするっていうのが難しくて。作業場が変わったので、最初の1年目は本当に試行錯誤で、色も雰囲気もちょっと変わったかなとか。あと、関西と関東で電気が違いますよね。
 
薄井 そんな違います電気? 嘘(爆笑!) 関西に住んだことないから分かんないけど。
 
鈴木 粘度を練る機械があるんですが、関西の方が早かったんですよ。私、喋るのはゆっくりですが、実はちょっとせっかちなんですよ。こっちに来て、なんでこんなに遅いんだろうな、みたいな感じで(笑)。電気に詳しい方からはそりゃそうだよって言われて(注:日本では、2種類の周波数が使われており、東側が50ヘルツ、西側が60ヘルツの電気が送られている)。
 
薄井 それは結構作品に大きな違いを与えてしまう理由の一つになってしまいますね。
 
鈴木 作るものによって粘土の水分量を変えてるので、思うようにね、最初は慣れるまで、何回も・・・まぁ余談ですけど(笑)。今年も凄い暑かったじゃないですか。お米、大丈夫でしたか?
 
薄井 お米は暑いと高温障害といって、良くないですよね。まぁうちの場合は有機農業のお米が多いから、収穫はまだこれからなんですけど。去年も良くなかったし、今年も多分良くないのかなって予測はしてるけど、去年と今年だけだったらね、我慢できるけど。これって恐らく地球全体の問題だから、もしかしたらもう南のね、西の温度がもっと温かい方だと、将来的にお米が作れない時代が来てしまうかもしれない。昔、その南とか西の方に適合していたお米の品種が、うちの北関東で全然作れてしまう時代になってるから、北上してるんですよね。だからお米だけじゃないですけど、色んな農作物にとって結構過酷な状況・環境になってきてしまっているのかなって感じます。恐らく麻起子さんも土とか風土が凄く密接な関係性を持ってるお仕事だから、影響してくるんじゃないですかね。
 
鈴木 そうですね、変わらなきゃいけないもの、変わって対応していかなきゃいけないこととか・・・同じものを作るためにとかなんか、色々考えちゃいますよね。
 
薄井 適応してかなきゃいけないから。日本酒って嗜好品だから、最悪なくても人は生きていけるんですよ。エネルギーを使って地球環境に負荷をかけながらお酒を造ることって、果たしていいのかなとか。でも、お酒を愛してくれる人が沢山いるから、僕たちに出来ることって、やっぱり今までのお酒造りじゃなくて、添加するものをなくしていったりとか、エネルギーの使い方を変えていくとか、副産物である米糠とか、酒粕といったものを破棄せずにね、なんとか再利用できないかとか。そういう循環型の考え方で。その辺って、陶芸の世界ってどうなんですか?
 
鈴木 そうですね。よくね、いつまでこの土は取れるんだろうねって話をするんですよ。なので、ちょっとの土も無駄にしたくないんですよ。どちらかというと、私本当にこう、地球にいただいてるというか、土を貸していただいてるというか、そんな気持ちになっているので、出来る限り再生してます。作ったもののドロドロの部分であったり、水で引いたドロドロのものであったり、そういったものも含めて極力捨てるものは少なく、ロスが出ないように。やっぱり、相手にロスをかける部分もあるので、口が切れたり。なのでそういったミスを極力しないように日々工夫を重ねています。
 
薄井 継続して器を作ったり、継続してお酒を造っていく上で凄く大事な事ですよね。

薄井 今後、麻起子さんは、どういったテーマでこの器を、これからも継続して作っていかれますか?

 鈴木 私の作る器は、日常で使ってほしい器ですが、今、世の中便利じゃないですか。別にこれじゃなくていいものっていっぱいあるので、まず、「人の手が時間をかけて作ったもの」に興味をもってもらえて、感覚的に、「あっこれ好き!」とか、「カッコいい!」と思ってもらうきっかけになるような作品を作りたいのです。そしてもう一つは、「恩返し」ですよね。

 薄井 恩返しとは?

 鈴木 この仕事を通じて、沢山の人と出会わせていただいて、私自身の背中を支えてもらってるので。今度は返せるようにしていかねばと。

 薄井 この美しい器を、一人でも多くの人が手にとれば、伝わるんじゃないかな? ただ僕もそうなった一人で、この器のファンだから。

 ※#6に続く


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