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Clubhouseで風が吹いた 〜忘れられない4日間〜

 2021年1月下旬、日本で音声SNSアプリClubhouse旋風が巻き起こった。私自身は1月30日にClubhouseを使い始めた。

 Clubhouse旋風は中国でも起こった。2月2〜3日ごろ、サーバー不具合を体験したユーザーは多いと思うが、これは中国本土での急激なユーザー数増加に伴うものだろうと噂された。現在の中国では、政府による情報統制が行われており、中国共産党に都合が悪い内容等は厳しく検閲され、FacebookやGoogleなどはVPNを繋がないと中国本土では使用できない。中国当局が築き上げたファイアウォールのことを「壁」と呼び、VPNに繋ぐことを中国人は「壁を越える」と表現する。

 当初、中国本土のユーザーがClubhouseをインストールするためには、App Storeでの登録先を中国本土以外に設定する等の工夫が必要だったが、一旦インストールに成功すれば、Clubhouseは中国本土からの利用でも政府当局の検閲を受けず、且つ壁を越えずとも使用可能だった。そして、誰もが想定していたことだが、2月8日夜、中国政府当局はClubhouseへのアクセスを遮断した。

 壁が設置されるまでの束の間、Clubhouseでは誰も予測していなかった風が吹いていた。私は、膨大な熱量を乗せた風に触れた自身の記憶が風化する前に、壁が聳え立つまでの数日間に何が起こったのかをここに書き記しておこうと思った。

起: 出会った

 もっと早い時期にこのような部屋があったのかもしれないが、私にとっての始まりは、2月5日夜に始まったセンセーショナルなタイトルだったあの部屋「両岸の青年大雑談ー参加者全員が全員に問いかける」(筆者訳)だ。

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 なんて挑戦的なタイトル!というのが私の最初の反応だった。ピンと来ない方も多いと思うが、中国語で「両岸」と言えば、中国本土と台湾のことを指す。中国と台湾の微妙な政治的立場の違いを考えれば、この部屋で論争が起こるのは火を見るより明らかだ。日本で「ゆるっと話しましょう」みたいな部屋が多い中、なぜ中国語部屋にはこんな怖ろしい部屋があるのだろうと思ったが、恐怖心よりも好奇心が勝り、ビクビクしながら入室した。そして私の期待は大きく裏切られた。

 この両岸雑談部屋は、ある台湾人女性が中国や香港の友人たちに声をかけて「Clubhouseを使ってみようよ」と軽い気持ちで始めたものだったらしい。ところが、この部屋名に引きつけられて集まったのは彼女の友人の輪を遥かに超える範囲の人たちだった。中国人、台湾人、香港人、シンガポール人など、中国語を話す人たちが大集合していた(私が観察した参加者数のピークは4500人)。人数は圧倒的に中国人が多く、中国国内外に住む方々がいた。

 私が入室したとき、香港に住む中国人女性がモデレーターを務めていた。中国人⇄香港人/台湾人の順番でひたすら対話を続けるという形式で、何度も衝突が起こったが、そのたびに彼女は「相手を尊重してください」と声をかけた。一度、本格的な乱闘に発展しそうになった場面があった。そのとき彼女は少し強いトーンでこう言った。「私は今日のこの場を何かの事件の始まりにしたくない!対話ができないのなら、この場を続けることはできません。」と。

 彼女は、先に退室しないといけなかった言い出しっぺの友人からモデレーター役を引き継いだだけだったらしい。そもそも、部屋を作った人は、こんなに長時間この部屋を維持する意図はなかっただろうと容易に想像できる。深夜1時になっても参加者は増える一方で、発言したいと手を上げている人は150人を超えていた。モデレータ役の女性は、「私も腹を括りました!朝の4時までみんなに付き合います!」と言い切った。余談だが、この瞬間心の底から「アネキ!」と呼びたくなった。彼女は明らかに私よりずっと年下の女性だったのだが。

 一人2分の持ち時間(もちろん2分でおさまるはずがないのだが)で順番に発言するというスタイルで対話は進行した。モデレーターが冷静に民主的なスタンスで様々な意見を取り上げ、場のルールを乱す参加者は他の人たちも注意をするなどして建設的な「雑談」が何時間も続いた。その中で、徐々に「私たちはもっと対話を増やして相互理解するべきだ」みたいな雰囲気が作られていった。

 翌日の夜、再度この部屋に入ったとき、対話のスタイルは進化していた。一人あたりの時間制限はなく、喋りすぎる人には「時間に気をつけて」と軽くモデレーターが声かけする程度だった。モデレーターは前夜とは別の人が担当していた。相手を説得するような発言は減り、質問しやすい雰囲気になっていた。「新疆ウイグル自治区での集中キャンプについてどう思うか?」といったセンシティブな問いも、多様な立場の声を聞くことができた。お互いに知らなかったことをみんなが学んでいるように感じた。

 香港での国家安全法から対ウイグル人の弾圧、中国と台湾の緊張の高まりに至るまで、中国ではタブーとされている話題が全てこの部屋で出現したが、翌々日に訪れたときは、政治的な話は禁止というルールができていた。衝突を避けられないから、美食や映画などの楽しい話題を通してお互いを知ろう、というスタンスに変化していた。

 2月8日の夜中までこの部屋が存在していたことは把握しているが、いつ終わったのかはわからない。モデレーターも含め、参加者のほとんどに初心者マークがついていた。誰もが手探りで対話が続く方法を模索し、72時間以上場を維持したということは紛れもない事実だ。(注:Clubhouseでは、使用開始1週間以内はクラッカーのマークがユーザーアイコン上に表示される)

 初日の夜にモデレーターを務めていた女性には残念ながら今のところ再会していないのだが、1週間後に彼女のプロフィールを見たら、新しい一言が付け加えられていた。

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「私たちが恐れているのは心の壁だ。壁ではない。」(筆者訳)

承: 飛び出した

 両岸雑談部屋をきっかけにテーマを細分化した部屋が複数開かれた。政治の話を回避する人たちがいる一方で、政治について他で話せないからこそここで話すべきだと主張する人たちもいた。衝突を避けられない話題について、それでもぶつかり合いたい人たちは部屋から飛び出し、新しい部屋を作った。また、政治的な話題を避けて文化的交流を深めるための部屋、傾聴することを強調した部屋など、多種多様の交流の場も平行して生まれた。

ウイグル部屋
 スピンアウトした部屋の中で新たな風を巻き起こしたのが「新疆ウイグルに強制収容所がある?」(筆者訳)と題した部屋。最初の部屋でウイグル問題について不完全燃焼だった人たちが、徹底的にウイグル問題について話すための部屋を作ったらしい。結果、これまた予想外に人が集まり、ウイグル人当事者も参加し、ウイグル人たちの生の声を聴く場ができあがった。この詳細については別の記事にまとめたので、そちらを参照してほしい。

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 その後も誰かが別のウイグル部屋を立ち上げ、理由はなんであれ、声を聴きたい人たちと声を聴いてほしい人たちが集まっていた。

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天安門部屋
 2月8日には、天安門事件について話す部屋ができていた。朝の時点でその部屋を見つけたのだが、参加者が5000人に達していて入室できなかった。(注: 4900-5000人になると満員設定されるようだ。)

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 前3日間の経験を経て、センシティブな話題に対する恐怖感は私の中から完全に消え去っていた。むしろ、この天安門部屋に入りたくて仕方なかったのだが、満員状態が続いて全く入れる気配がなくがっかりしていた同日の夕方、別の天安門部屋を見つけた。最初の部屋で何があったのかはわからないが、この二つ目の部屋のタイトルに開設者の強い思いが込められていると感じた。
「引き続き天安門事件を知ろう。モデレーターは台湾人だからお茶を飲むのは怖くない。これは政治的事件だ。会話が政治的になることは避けられない。」(筆者訳)
 拙い訳で大変申し訳ないが、エッセンスが伝わることを願う。中国語で「お茶を飲む」または「お茶に誘われる」という言葉は、中国当局などの権威ある単位に呼び出されることを示す。

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 私が入室したとき、ちょうど天安門事件における学生運動の社会的意義や正当性について若者たちの議論が混迷していた。そのとき、ある若い女生の発言がその混迷を打ち破った。「イデオロギーなどの大きなことについて話す人が多いけれど、私が知りたいのは、一体何があったのかということ。だから、当時のことを本当に目撃した人の話を聞きたい。そして、そこに時間制限は設けないでほしい!」と。

 「当事者の話なら、私がしましょう。私は当時、武漢大学の学生研究会の副会長でした。」とある男性が語り始めた。当時の時代背景、学生が何を求めていたのか、政府とどんなやりとりがあったのか、最後どうなったのか、、、。彼の語りに口を挟む人は誰一人いなかった。全員が黙って彼が語り終えるのを待った。30年以上経て、まさかここで生き証人の話を聞けるとは誰も期待していなかっただろう。

転: ブロックされた

 2月8日夜、中国でClubhouseへのアクセスがブロックされ始めた噂は瞬く間に広がり、それに反応して「ブロックされた夜。Clubhouseでのハイライトを共有しよう」(筆者訳)という部屋ができた。

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短い期間にClubhouseで何を得たのか?

 監視されることなく自由に発言できた。
 敵だと思っていた相手が同じ人間だった。
 私たちに足りないのは対話だった。
 相手を説得するよりも傾聴する方が相互理解が進んだ。
 仕方ないと諦めていたが、同じ思いを持つ人はたくさんいると知った。

などなど。Clubhouseというプラットフォームがもたらした場への感謝が部屋を埋め尽くした。

 初心者マークのついた参加者たちが夜通しでハイライトを語り合った部屋では、アクセスがいつ完全に止められるかわからない中国本土の人たちに優先的に発言権を与え、一人でも多くの人が感想を共有できるようにしていた。私自身は聴衆に徹したが、この人の発言が終わったらもう寝ようと思っても、やっぱり次の人まで聞いてからにしよう、と思い直し、そんなことを繰り返しながら結局部屋が終了するまで留まり、終わる頃には外はすっかり明るくなっていた。

 この部屋で誰かががこんなことを言った。
「Clubhouseはコーラみたいだ。コーラは飲んだら消えてなくなるが、私たちはその味を一生忘れない。」

結: 対話は続く

 Clubhouseにおいて、話題が当初の目的から簡単に脱線してしまい、議論が攻撃的なものになりかねないことは誰でも予想できることだ。しかし、私が目撃したのは平和な対話だった。感情的になり攻撃的な発言が出る場面はもちろんあった。爆発しかける場面も何度も見た。その度に、仲介役が割って入り、「何のためにここにいるんだ?ケンカしたらここにいる意味はなくなってしまう。」と言葉を変えて語りかけていた。

 そう。ケンカがしたくて部屋に入っている人はいないのだ。皆、自分の思っていることを誰かに伝えたい。それを理解され、受け入れられたい。たとえ意見が真逆であっても、その場にいる理由は同じなのだ。そんな当たり前のことに気付かされた。

 2月12日現在、中国本土では壁を越えた既存ユーザーだけが辛うじてClubhouseにアクセスできる状態だが、新規ユーザー加入はできなくなっている。結果、Clubhouseで見かける中国人は、海外に住む方々が主流になっているように見える。しかし、一旦吹き上がった風は壁に完全に遮断されることはない。そして、風に乗って動き出した対話は継続している。私の話を聞いたある友人が「相互敬意に基づく対話の量が、共感と平和の基礎になるんだろう」と言ってくれた。

 Clubhouseは平和の土台作りに貢献し得るのか?これまで、距離や様々な理由で関わりにくかった人たちが、一気に同じ場所に繋がり、話ができるプラットフォーム。この道具をどう使うかは人間次第。短い4日間で私の目の前に現れたのはケンカではなく対話を選んだ人たちだった。その事実に希望を感じた人たちが次々と新たな対話の場を切り開いている。未来は明るいと信じたい。


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