悲観と楽観のあわいに立つ意志
悲観は気分、楽観は意志と言ったのはアラン。
昨日の講演でそんな話をした。
けれど、悲観もまた意志かもしれないと感じることも多い。
望んで悲しみの中に、苦しみの中にあろう、あり続けようとする自分自身を見つけるのは容易ではないから、まずはそんな話を真っ向から否定することになるだろうけれど、
私たちは、悲しみたい、喜びたいという顕在的潜在的な願いを、毎日叶え続けている気がする。
という世界を信じるとするなら、あなたは何を望むだろうか。
何を選ぶだろうか。
センジュ出版が選んだ意志は、悲観と楽観のあわいに立って、少しだけ機嫌よくあろうとする自分たち。
楽観的な自分にも悲観的な自分にも耳を傾けながら、そのあわいのことばをすくいとっていく。
少しだけ機嫌のいい自分であるために。
少しだけ機嫌のいい仲間を増やしていくために。
この会社の意志は、機嫌悪くいたい時には、あるいはかなり機嫌よくいたい時には、居心地悪いと思う。
ただし、少しだけ機嫌よくいたい時、少しだけ機嫌よくいようとする人が求めるものに、応えられる会社でありたい。
ブランディングとはそういうもの。
相対的な、あるいは主観的なものでしかないことを携えて。
陰の中にも光の中にも、光がある。
陰の中にも光の中にも、陰がある。
かもしれない。
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