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【story20】記憶と共に千住を走る -千住暮らし100stories-

重田雅敏さん(70歳)


清々しい土手の上を時に走り、時に歩いて

千住の荒川土手のてっぺんには、どこまでも続く長い長い道がある。風通しがよく気持ちのいいその道筋は、これまで何十年もの間、地域の人々のちょっとした散歩、ウォーキングやランニングなどに利用されてきた。

重田雅敏さんもこの土手の上で、ウォーキングやランニングを楽しんできた一人だ。重田さんは網膜色素変性症という眼の病気によって50歳頃に全盲になった後、視覚障害者としてランニングを始めたという。

土手で笑顔を見せる重田さんの写真
土手にはたっぷりと日差しが降り注ぐ。「まぶしいね」と重田さん

「土手は自然が感じられていいです。毎日だいたい2.5キロから5キロくらい、ランニングかウォーキングをしています」と重田さん。「ランニングはアウトドアスポーツなので、寒さや暑さのような屋外のことを教えてくれる。目が見える人も見えない人も同じように感じ取れるのが、外に出ると音や匂いまで変わること。春とか秋は特に気持ちいいですよ」。

視覚障害の人のランニングでは、ガイドを受けるために伴走者とペアを組み、並んで走る。この日は、普段土手で走る時にたびたび重田さんの伴走をしてきた、これまた千住在住の長谷知穂さんが伴走者となってのランニングとなった。

伴走の長谷さんとともに走る重田さんの写真
ランニング中は「視覚障害者」「伴走」と大きく記入されたビブスを着用。こうすることで、周りに状況が伝わり安全確保がしやすくなる

「健常者が感じ取っている情報の9割は視覚と言われていて、音を聞き取る聴覚は1割にも満たない感じです。視覚障害は、この『視覚という情報』がないという障害。だから伴走の人さえいれば、何キロでも走れるんです」と重田さん。何キロでも、という言葉のとおり、重田さんは53歳の時にウルトラマラソンで100キロを走り、フルマラソン(42.195km)では自己ベストで3時間21分を記録したこともあるベテランランナーだ。アメリカのボストンやハワイ、台湾など海外のマラソン大会への出場経験も豊富で、一時は月2回もフルマラソンに出ていたという。

「私から見て、出会った頃の重田さんは月間何100キロも、とにかくたくさん走る印象でした」と伴走の長谷知穂さんも当時を振り返る。

重田さんと長谷さんの持つ伴走ロープの写真
ランナーと伴走者は互いに手にした伴走ロープでつながって並んで走る。重田さんの好みのスタイルは、ロープを輪にしてその結び目を手に握る方法。伴走ロープはランナーごとに、二重にしたり太めのゴム紐を使うなど、バリエーションが豊富だ

100キロという長距離に驚いて、膝が痛くなったことはないんですか、と思わず尋ねると、「膝が痛くなったことはないですねえ、最近になってふくらはぎが痛くなったことがあったくらい」と重田さんはさらりと答えてくれた。

重田さんの著書『見えないしげじい 世界をまわる』(読書工房)によれば、ボストン観光をたっぷりこなし野球観戦もしてからボストンマラソンに出たり、長距離列車に1000キロ以上乗ってロンドンからグラスゴー、スカイ島などを見て回ってからネス湖マラソンに出てきたこともあるという。それほどタフなスケジュールもこなして走り抜けたり、100キロも完走できるほどの体力と気力に感嘆する。

白杖を使い、明るい笑顔でウォーキングする重田さんの写真。
「白杖があると道路脇の敷き石や舗装路の継ぎ目などが確認できます」と実際にウォーキングする際の様子を教えていただいた

伴走者がいない日も、重田さんはランニング代わりのウォーキングを欠かさない。白杖を使って路面やブロックなどを確認しながら自宅から土手に向かい、土手の上の道を1時間ほどかけて歩く。

「体を動かさないと体の動きが悪くなりますから」と重田さん。

土手を走る重田さんと長谷さんが遠くに見える写真
土手のランニングでは毎回2.5~5キロほど走る。マラソン大会の直前には、大会で一緒に走る伴走者とともに練習することも

コロナ禍で中止続きとなっていたマラソン大会も徐々に再開され、重田さんも昨年末には「上野の森マラソン」で10キロを走った。今年の5月には、重田さんが理事長を務めている、障害者と一般市民が共にランニングを楽しむ団体、アキレス・インターナショナル・ジャパン主催の「アキレスふれあいマラソン」にも参加する予定とのこと。

長谷さんが手前に写り、奥に笑顔の重田さんがいる写真
「伴走の人とチームワークで走るんです」と重田さん。マラソン大会では伴走者もランナーも、一緒に同じペースで走ることが必要だ

重田さんにいつからランニングを始めたのかと尋ねると、「ランニングを始めたのは50歳頃に全盲になった時に、中途失明者の復職を考える会(現在のNPO法人タートル)の人に『ランニングやってみない?』と誘われたのがきっかけ。その誘ってくれた人とは今でも一緒に走ったりしています」とのこと。

畳んだ白杖を手に、土手で笑顔の重田さんの写真
重田さんは生まれも育ちも千住。そのため、土手や街角を歩いていると子どもの頃の同級生に会って話が弾むことがあるという。「兄と間違えて兄の同級生に話しかけられることもあるんですけどね」と笑う重田さん

当時はビギナーだった重田さんだが、その後の25年間は走りに走って、今では国内外のマラソン大会にも出場したベテランランナーとなった。

「一番早かったのは54歳頃。今なら10キロで55分を切りたいですね。フルマラソンなら4時間、ハーフなら2時間切りたいです」と今も、リアルタイムの走力を踏まえた好成績を目指している。

ランニングマシンで家でも駆ける!

重田さんの午前中の運動は、土手でのランニングやウォーキングだけではない。自宅でもランニングマシンを使って走るのが午前中のルーティーンだ。

ランニングマシンを走る足元の写真
ランニングマシンはHORIZON ADVENTURE 1。最高時速18キロまで出せる、本格派ランナーにも人気のアイテムだ

「ランニングマシンは毎日使ってます。そのせいで走行ベルトが薄くなって、1年半おきに2回取り換えたくらい」と重田さんは言う。土手で運動していない日はもちろん、運動してきた日も、毎日1時間くらいランニングマシンで走り続けてきた。

ランニングマシンに紐で体を固定して見せてくださった重田さんの写真
体がランニングマシンから離れないように紐を使う方法は、重田さん自身が編み出したもの。これでランニングマシンから落ちることなく、自由に腕を振りながら走ることができる

ランニングマシンを使う時は、最初はゆっくりした速さで動かし始め、体の調子に合わせて徐々にスピードを上げていく。

「土手で1時間ぐらい歩いても汗はかきませんが、ランニングマシンなら汗をかくような運動ができます。でも外を走る時とは使う筋肉がちょっと違いますねえ」と重田さん。走りながら、ランニングマシンのスピードだけでなく斜度も追加していく。

ランニングマシン前のCDプレイヤーの写真
いつも走る時には音楽をかける。この日のBGMはコブクロの「ここにしか咲かない花」だ

ランニングマシンを使うようになったのは3~4年前からだ。

コロナ禍で多くの人が外出を控え、マラソン大会の開催はもちろん外を走ることさえ叶わなかったステイホーム中も、重田さんはランニングマシンで走り続けてきた。ランニングマシンがあったからこそ、走り続けられた日々もあった。ランニングマシンは重田さんの大切な相棒なのだ。

パソコンや家事も毎日のルーティーン

こんなにたくさん走り続ける人は、どんな暮らしを送っているのだろう。重田さんに土手やランニングマシンでの運動以外の過ごし方を尋ねてみた。

「朝、土手から帰ると、パソコンでメールなどをチェックします」と重田さん。実際にパソコンの使い方を見せてくれた。

足立区ホームページを開いたパソコンの写真
視覚障害者用ソフトがあればインターネットのアクセスもスムーズ。ホームページの1つ1つの文章を音声で自動的に読み上げてくれる

重田さんがパソコンを使い始めたのは、PC98の全盛期だった1990年代末から。当時は弱視で盲学校の教師として勤務していたため、メールや書類などの作成もパソコンを使ってきたという。「エクセルやワードで指導計画や通知表を作ったりしていましたね」。

キーボードとそれを操作する重田さんの手もとの写真
パソコンはすべて一般と同じ配列のキーボードのみで操作する。マウスは使わない。パソコンユーザー歴30年近くの重田さんは、文字入力もスムーズだ

2021年に重田さんが出したエッセイをまとめた書籍『見えないしげじい 世界をまわる』(読書工房)も、「パソコンのメモ機能を使って書きました。メモ機能なら動きが軽くて固まらないのがいいんです」とのこと。ちなみに今回の記事も、Wordの読み上げ機能でチェックしていただいている。

点字器で点字を打つ手元の写真
点字を打つ時は点字用タイプライターと携帯型の点字器の両方を使用。封筒の宛先は携帯型を使うことが多い

パソコンがよく使われてきた分、点字を使わない人も増えるのでは、と尋ねると、「点字を素早く使いこなせる人は段々減っていますね。読めても単語ごとという人もいます」とのこと。重田さんも人との連絡にはメールを使うことが多く、点字を使うのは、自宅に届いた手紙の差出元を伴走などの人に尋ねて、封筒に書きとめておく時が多いという。

掃除や洗濯、食事の支度なども、パソコン操作とともに重田さんの日課だ。

テーブルと椅子を一気に動かして掃除機をかける写真
掃除機をかけたり野菜の浅漬けなどを作ったり。走る時と同じように、家事もパパッと手早く進めていく

掃除や洗濯は2~3日に1回、食事は総菜を買うこともあれば、自分で簡単に浅漬けなどを作ることもある。

掃除機、冷蔵庫、洗濯機は決まった場所に置いてあるのですぐに見つけることができる。「料理したキュウリの浅漬けはざらざらの器、大根はツルツルの器に入れる、というようにいつも同じ器に入れて冷蔵庫にしまっておくので、食べる時にも中身を間違えないです」とコツを教えてくれた。

冷蔵庫にできた浅漬けをしまう写真
完成した浅漬けは、冷蔵庫の決まった段に収納。これでいつでも食べたい浅漬けをすぐ取り出せる

毎日走って体力があるからか、テーブルと椅子を一気にどかして掃除機をかけたり、台所を小まめに動き回ったりとてきぱきスピーディーに家事が進んでいく。聞けば、重田さんは障害者向けの家事ヘルパーを頼んだことがないそうだ。「人にやってもらうとできなくなるから、自分でやってます。同居の家族にこういう家事を頼んだこともないですよ」と重田さんは当然のこと、と答えてくれた。

手の込んだおかずやパン、日用品なども自分で店まで買いに行くのが重田さんスタイルだ。千住にはいくつもの商店街があり小さな店も数多いので、日常の買い物には事欠かない。

路上を白杖を使って歩く重田さんの写真
白杖を肩幅で振り、杖先で左右を探れば3歩先の路面のことがわかる。「十字路は音の反響や風でわかります。店の位置は商店街の音楽や換気扇の音、植木などで確認します」と重田さん

気に入っているお店をうかがうと、「つるまきのパン、安くておいしいですよね。入口のある場所も昔から変わらなくてわかりやすい。おかずはごとうさんでよく買います。昨日も天ぷらを買って食べました」とのこと。

惣菜の店ごとうの唐揚げの写真
惣菜の店ごとうのナムルの写真
惣菜の店ごとうのお弁当の写真
惣菜の店ごとうには、お店で作ったできたてほやほやの料理が並ぶ。おかずもお弁当も、どれもとてもおいしそう!

「買い物は八百屋や小売店が最高ですよ。『今は××が高いけど〇〇がいいよ』と教えてくれますからね」と買い物のコツを教えてくれた。「高いものを買う時は、北千住マルイに行くんですよ。親切にやってくれていて、案内受付に行くと、管理職クラスの人が案内してくれます。偉い人と一緒だから、お店の人も丁寧に対応してくれていいんです」と笑顔を見せた。

メニューを説明するごとうさんの店員さんの写真
店の前でのごとうさんと重田さんの写真
「お弁当はエビフライとか入ったもの、生姜焼きと何点かおかずが入ったものがあります」とごとうの店員さん。丁寧に答えてくれて相談もできるのが個人商店のうれしいところ

千住で生まれ育ち、今に至るまでこの地域で暮らしてきた重田さんにとって、こうした店や商店街、公園などのありか、町の風景は、昔からの記憶や思い出と重なり合っている。

「千住を歩いていると、白杖や自分の感覚で確認してわかることと、昔の記憶、あそこで何をしようという思いが混ざります。子どもの頃から40代まで目が見えていた頃の風景も覚えているし、土地勘もあるから移動しやすくて、安心して暮らしていける町ですね。歩いているだけで、道端で古い友だちに会ったりもしますしね」。

室内で笑顔で話す重田さんの写真
穏やかで笑顔の多い重田さん。取材では子どもの頃から今に至ること、視覚障害のことなどたくさんの話を教えていただいた

「子どもの頃の千住は家がみっちり建っていて、その間に大きな工場があったり水路や小さい橋がありました。今はそういう水路も地下に潜ってます。でも歩くと堤の盛り上がりや小さな上り下りはありますよ、ほらここからは上り坂ですね」と実際に道を歩きながら教えてくれた。

少しずつ風景が変わっていても、千住は千住。
今という時代と生きてきた70年間の記憶をなぞりながら、重田さんは今日も明日も、千住を歩み、駆け続けていく。

Profile しげたまさとし
1952年千住生まれ。生まれつきの弱視で、大学卒業後、都立の障害児学校に就職。50歳で網膜色素変性症により失明した後、ランニングを始める。退職後は伴走者とともに国内外のマラソン大会に参加。NPO法人 アキレス・インターナショナル・ジャパン理事長、認定NPO法人 タートル理事長。著書『見えないしげじい、世界をまわる 旅してRUNして思い描いて』(読書工房)(リンク先:https://www.amazon.co.jp/dp/4902666804/)。

取材:2023年2月17日、2月24日
写真:伊澤 直久(伊澤写真館https://www.izawa-photostudio.com
文 :大崎 典子

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