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身近な人に「大丈夫じゃない」と言える日は、くるのだろうか。

「風邪、気をつけてね。」
「一人で帰れる?」

誰かからわたしのことを気遣う言葉をもらったとき、わたしはいつもこう答えてしまう。

「大丈夫です!ご飯もりもり食べて毎日しっかり寝てます。」
「全然平気。帰巣本能には自信あるんだよね。」

条件反射のように、そんな言葉が口から出ていってしまう。


人に頼ったり弱音を吐いたりするのって、まるでその人に期待してわたしの責任の一端を背負わせてしまうような、そんな感じがする。


だってわたしの大切な人たちは、真摯にわたしを勇気づけたり安心させたりしようとしてくれるから。

ましてや、わたしのことをよく知らない人にはわたしの面倒くさいところなんて絶対に見せたくない。

そういうことを言うと、大切な人たちは本気で力になってくれようとするのがわかっている。
付き合いの浅い人たちは面倒くさがって逃げていくのがわかっている。

だから、しんどくなったときは、人との連絡を絶ってしまう。



わたしはうつを患って10年になる。


きつく複雑に絡まってしまった糸は、もう自分の力では解けなくなってしまったんだろうか。

嫌な言葉は受け流せるようになったのに、温かい言葉がどうしても受け入れられない。

「頑張れってすごく辛い言葉だよね。」

気遣ってくれた、その気持ちを素直に受け取れない自分が嫌になる。



でも、心の中では頼っている。頼りたがっている。



最近わたしが一人で泣くのは、お風呂だったりする。


その日会った人、会う予定のある人を目の前に引っ張ってきて、自分の気持ちを打ち明ける。
あったかもしれない、あるかもしれない会話のルートを一人で辿る。


もちろん返事はない。それが楽だ。


わたしが誰かにかけてほしい言葉なんてないんじゃないかと思う。
「頑張らなくていいよ」「つらかったね」
そんな言葉さえ、かけてほしくないと思う。

自分自身でさえ、
「頑張れ」「あと少し」「大丈夫」
これだけしかかけてあげられないから。


わたしがかけてほしい言葉が、自分でもわからないから。


街を歩くと、子どもってどうしてあんなに甘えるのが上手なんだろう、と思う。
みんな生まれつき甘える天才なんだ。

人に頼ることが悪だと、いつから思ってしまったんだろう。



たぶん、わたしは、誰かにそばにいてほしいだけなんだ。

弱音を吐いたり、悩みを打ち明けるでもなく、
「大丈夫?」って聞かれたときに、「大丈夫じゃない」って言わせてくれる人に。

それで、ただ、隣に座ってくれたら嬉しい。
きっと言葉はいらない。



ちょっと気持ちが整理できた。よかった。

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