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街道ウォーク 中山道 その5 

中山道 その5 大宮→桶川

中山道その5は、JR宮原駅から→上尾→北上尾→桶川を歩きます。
距離は13,4Km、所要時間は3:28時間、15,747歩、消費カロリー714kcal

宮原→上尾

宮原駅から中山道に入ると古い石橋の欄干、天神橋跡が残っています。
お向かいにあるのが「天満宮」で木造の祠が歴史を刻んできた証。
今も昔も学問の神様「菅原道真公」は大切にされています。

少し歩けば「加茂神社」。
御由緒には明治41年付近数社を合祀し村社に指定、衣食住の神、延命長寿の神、学問の神、災難守護の神等が加え祀られご利益も増えたとあります。

加茂神社

新大宮バイパスの高架を過ぎて右手には「宮原村道路元標」
道を挟んで馬頭観音と「金山権現社」
金山彦神は鍛冶・鋳物の神様。
灯篭には石尊大権現、金毘羅大権現、秋葉大権現の文字も見えます。

すぐ先の宮原小学校にはさいたま市指定天然記念物、樹齢100年以上の「センダン」があります。開校当時、教鞭をとった一教師が郷里の高知より苗木を持参して植えたもの。

センダン

少し歩くと街道から赤い鳥居が見えてきました。
「南方神社」です。
信濃の国の諏訪大社の大神を村の鎮守として勧請したもの。
社名の「南方」(みなかた)は主祭神「健御名方命」(たけみなかたのみこと)にちなむものであるとともに、諏訪湖を表す「水潟」にゆかりがあるとの由緒書きがありました。

つつじが丘公園の交差点を過ぎると蕪のロゴマークが特徴的な河村屋さん。
創業が江戸後期文化文政年間の漬物の製造販売のお店。
酒粕を使い粕漬のようなものを初代が作り始めたそうです。

蕪のロゴは河村屋

懐かしいタイル張りの壁にゆず最中本舗の文字「伊勢屋」さん。
創業150年の上尾で一番の和菓子屋さん、おみやげはゆず最中に決定。
皮の色はきれいな緑とピンク、茶色の3色、あんは小倉とゆずの2種。

ゆず最中
伊勢屋

上尾の駅に近づいてきました。
「氷川鍬神社」、上尾宿総鎮守です。
「おくわさま」として愛されており神体である鍬は五穀豊穣の豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)、小鍬2挺を祀ってあります。

氷川鍬神社

駅前から一本裏手に入ると「遍照院」。
真言宗のお寺で開山は室町時代、ご本尊は大聖不動明王、罪業が深く教化しがたい衆生のため怒りの姿に化身して求道するとされています。

上尾→桶川

上尾宿の西口まで来ました。「中山道上尾宿碑」平成の道標があります。

上尾宿は日本橋から九里十六町のところにあり、中山道五番目の宿場、地名については歴史的根拠を持つものはありませんが、鴨川と芝川の間の小高い地形からつけられたとの案内ボードがあります。

しばらく歩くとJR北上尾駅、この先に見事な板塀が見えてきます。
「須田家」は武州紅花の仲買、他にも醤油醸造や質屋も営み財をなした家。

紅花といえば山形県のイメージが強いですが、紅花は桶川臙脂(えんじ)と呼ばれ、山形最上の紅花に次ぐ生産地であったそうです。

須田家

街道を少し離れてJR高崎線沿いを進むと「諏訪雷電神社」。
もともとあった諏訪神社の境内に雷電神社が合祀されました。
雷電神社は関東を中心とした神社で、雷除けの神とされています。

「旧跡木戸跡」の石碑があります。
ここが桶川宿の江戸口。

旧跡木戸跡

古い佇まいを残すのが「武村旅館」。
本陣や脇本陣の他に一般庶民の宿である旅籠が数多くありました。
武村旅館は1852年の建築といいますから170年以上前の建物。

武村旅館

すぐそばには「浄念寺」。
室町時代後期、1546年開創の浄土宗のお寺で朱塗りの見事な仁王門は1701年に再建されています。

ここから先、古い町並みが残っています。

まず、木造二階建ての外観は「島村老茶舗」
1854年創業で1926年完成の店舗は国の登録有形文化財に登録されました。
現在も店舗として営業しています。

「小林家住宅主屋」は江戸末期に旅籠として建てられ、その後当主となった小林家は材木商を営み、それに伴い大きく改修されましたが外観は当時の姿をとどめています。

土蔵造りの店蔵は桶川市指定文化財「矢部家住宅」
屋号を「木半」といい穀物問屋を営み紅花も商っていました。

土蔵は屋根の鬼瓦の上から鋳鉄製の棘状の棟飾りが出ているのが特徴。
鳥よけと言われています。

中山道に面した店蔵は明治38年建立、桶川宿で現存する土蔵造りの店蔵はこの矢部家一軒のみ。

島村老茶舗
棘状の棟飾り


小林家

「桶川宿本陣遺構」があります。
府川家本陣は埼玉県内の中山道筋では唯一現存する本陣。

上段の間、入側、次の間など残っています。
尾張、紀州、水戸の御三家の日光参拝や皇女和宮の宿泊のほか明治天皇御巡幸の際の行在所でした。

桶川宿本陣遺構

桶川郷の総鎮守、「稲荷神社」が街道筋から少し入ったところにあります。
本殿は1817年に幕府御用大工により造営された由緒あるもの。

「力石」は重さ610キロの雫のような楕円形で力比べに使った力石としては日本一重いと言われています。

力石

京口の近くに曹洞宗の寺院「大雲寺」があります。
本陣当主府川家の墓があります。

三体並ぶ地蔵菩薩のうち右端は「女郎買い地蔵」と呼ばれています。
桶川宿の飯盛り女に会いに行ったという伝説があり、背中に鎹が撃ち込まれ鎖でつながれていたとか。
言われてみると一番右のお地蔵さん、謎めいた笑みが。

女郎買い地蔵

本日の予定は終了、前回同様、約14km、4時間弱のウオーキング。
桶川駅まで少し戻ります。

今回も見どころが多く、桶川宿も江戸の風情が多く残る素敵な宿場でした。

江戸の文化に魅せられてしまった街道歩きですが、用語がわかりません。
そこで、「江戸の用語辞典」なるものを発見、購入しました。
これで一層楽しみが拡がりスッキリです。

例えば、「木戸」という言葉が良く登場しますが調べてみると

「町木戸」と呼ばれ、町ごとに設けられた扉を申します。管理は木戸の横に住む「木戸番」が行い、明け六ツ(日の出前)に開かれ、夜四ツ(午後十時頃)には閉められました。木戸番の向かいには「自身番」がございまして、ここには「見廻り同心」が定期的に廻って来ます。

江戸の用語辞典 p137

防犯には町あげて取り組んでいたんですね。

次回は人形の町鴻巣めざして歩きます。

↓↓街道を歩く 準備編はこちら

↓↓甲州街道を歩く シーズン1 総集編はこちら


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