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小澤メモ|HELLO PANDA|パンダのこと?

11 四男の幸浜。

恋鳴き。
メーメーとオスとメスが呼び合うパンダの恋鳴き。発情兆候だ。永明がメーと呼びかけると、梅梅、それから良浜がメーメーと呼び返してきた。アドベンチャーワールドの浜家の系譜はそうして紡がれてきた。2005年8月23日、梅梅が出産した幸浜。長男の雄浜から数えて、4頭連続のオスのあかちゃんだった。実は、幸浜は双子の兄で、(75グラムで生まれた彩浜よりさらに小さかった)弟がすぐに生まれていたのだけれど、生後まもなく死んでしまった。通常、双子を産んでだら、(自然界を生き抜く強さ)どちらか一方しか子育てをしないと言われているパンダの習性。しかし、梅梅は、パンダの習性より母性の本能によってか、2頭とも抱きかかえ母乳を与えようとするのだった。これぞ、初代グレート・マザーと称される愛だった。

悲しみを超えて。
自力で母乳を飲めなかった弟。人工保育などでなんとか助けようとしたがダメだった。2018年に生まれたハローリトル彩浜のとき、スタッフが懸命に母乳の一滴、一滴を30分以上時間をかけて飲ませていった。そのような光景がきっとこのときもあったに違いない。おかあさんパンダやスタッフだけでなく、そして兄の幸浜も、その場に沈んだかなしみを共有していたのだろうか。無我夢中に生きようとするあかちゃんの命のきらめきは、とてもまぶしいくあたたかい。その分、喪失したときのかなしみは静かで冷たい暗黒のようだ。アドベンチャーワールドで、あかちゃんが無事に生まれたというビッグニュースが発信される一方で、その裏で出産前から最中にいたるまで、ハードな局面が繰り広げられているのだ。

成都でハロー、幸浜。
弟の分までスクスクと成長した浜家・四男坊の幸浜。2010年3月に中国へと旅立っていった。4歳だった。その後、成都ジャイアントパンダ繁育研究基地でも順調に暮らしていたというが、あるとき、鬱っぽくなったという噂を耳にしたことがあった。その後、やってきた良浜の長男の永浜が、成都では内気でおとなしいと言われていたこともあるので、それと混同された噂かもしれない。成都のパンダ社会の都市伝説とか。本当はどうだったのか確認できていないので、その真偽を問いたいわけではない。言いたかったのは、2018年に成都で撮影したとき、ハロー!した幸浜は元気だったってこと。彼は、男(オス)らしく足を高く上げて壁にマーキングしたりしていた。そして、幸浜の躍動(体が左右に揺れちゃって耳も揺れちゃうパンダ走り)している姿は、生命力に溢れきらきらしていたってこと。念のために質問してみたけれど、基地のスタッフは、「どうして? 元気だよ」って笑って答えてくれた。とても嬉しかった。11(写真は、工事中だった隣りの運動場まで入らせてもらい間近で撮影することができた幸浜/2018)

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