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小澤メモ|NOSTALGIBLUE|思い出は青色くくり。

10 金沢名物ミスタードーナツ。

能登半島一周したけれど。
2015年、長野から延伸された北陸新幹線の終点、金沢駅。これまでに金沢を何度か訪れたことはあるけれど、新幹線で行ったのは1度だけ。あとは車だった。若い頃は、長い夏休みを使って、金沢に滞在した後に能登半島を一周してみた。幹線道路をあえてスキップして、海べりや山道を進んだ。千里浜なぎさで波打ち際を走ったり、輪島の千枚田を見たり、志賀原発を確認したり、道ゆく先々で砂浜を見つけては泳いだ。そして、夜は能登の小さな集落の夏祭りにお邪魔したりした。境内の一角で、囃し立てられている浴衣でキメたちょっと年下の子なんかを見ると、(春に地元を出ていった同級生が少し大人っぽくなって帰省したのかな)、そんなふうに勝手に想像した。

金沢をまだまだ知らないけれど。
金沢に行ったら、ほとんどの観光客は、金沢21世紀現代美術館とすぐ近くの兼六園には行くんじゃないだろうか。もちろん、行った。雪に覆われた兼六園は、(昔の人はこういう日は何を履いて外出したのだろうか)と思うだけで、すっと通り抜けてしまった。茶屋街では、コーヒーカップとソーサーを買った。それは今でも愛用している。かつて、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』のハングリードライブという放送回で、松本人志さんたちが食べていたゴーゴーカレーを食べてみたいと思っていた。都内にも支店があるけれど、初めてゴーゴーカレーを食べたのは、その本拠地の金沢だった。金粉ソフトクリーム、おでん、のどぐろも美味しくいただいた。鮨の小松弥助はとても有名だけれど、そこで研鑽を重ねた店主が握る志の助の鮨が最高だった。金沢のスケートシーンを長く牽引してきた、おらが町のスケートショップ・キャスパーでTシャツを買った。こういうときは、ショップのオリジナルを買うことにしている。それはポートランドでも、サンフランシスコでも、ロサンゼルスでも、パリでも、ニューヨークでも、どこでもだ。

自分史でよく出る登場人物。
純喫茶?のローレンスには、ギャラリーSLANTで会った人たちにすすめられて行った。意外に広い店内で、なんとなく座った席には、ザボンの一種の晩白柚がどんと置かれていた。不思議に思っていると、「その席で作家の五木寛之さんが直木賞の発表を待っていたんです。その晩白柚は五木さんからのお歳暮なのよ」と、お店の方が、教えてくれた。何度か行っただけの金沢が、忘れられない町になったのは、写真家・田附勝と行ったとき。写真しかないという生き方をする彼が、写真集『東北』で、2012年に木村伊兵衛賞を受賞した。その後すぐ、写真展を金沢で開催することになり、ついてこいという感じの勢いに乗せられるがままに、金沢を訪れたのだった。写真展もトークショーも盛況だった。それはすごく嬉しかった。正直、彼から受賞したという電話をもらったときも、嬉しかったし、それと同じくらい安心したのを覚えている。(これで、田附勝が本当に命とカメラだけで生きていける。本人には元からあるけれど、そういう覚悟みたいなものを周囲にいるようないないような半信半疑だった人たちも信じてくれる)。そう思った。

オッサン仲間、田附勝。
写真展の打ち上げは、関係者やファンが集まって、それもまた盛り上がった。そろそろお開きかというとき、「あとでちょっとコーヒーを飲もうよ」と言った。夜も深くなった金沢の町。喫茶店は開いていない。ミスタードーナツに入った。2人でコーヒーを飲みながら、改めて、おめでとうと伝えた。そのときの彼の言葉が、今でも強くある。その言葉を彼に(良い意味で)返す日が来るのを、こちらだけでなく、きっと彼も待っている。もうそんなに時間はない。それは地球の時間か、自分たちの時間か、社会の時間か。
「そんなんで宮沢賢治が好きだなんて言うからな。俺は期待はしてないけど、夢見てることにしたよ」。なんのこっちゃ?かと思うだろうけれど、説明しようがない。ただ、メモのようにここに書いておきたいと思った。金沢といったら、深夜のミスタードーナツだ。友だちであり、仕事仲間でもあるけれど、田附勝と人生の何かを懸けたのは、あの日がスタートだったと思う。10

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