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小澤メモ|HELLO PANDA|パンダのこと。

1 イントロ、日本で暮らすパンダの旅立ち。

タンタンが中国に帰国。
2020年5月。神戸の王子動物園からの突然の発表に、日本のパンダファンをはじめ多くの人たちが驚き、悲嘆にくれた。同時に、中国のファンは、歓喜に沸いた。2000年7月、当時4歳だったタンタンが日本に出発したときに、「元気でね」と涙ながらに見送った現地の人々にとっては、待ちに待った帰国。震災後の神戸にやって来て20年間、元気づけてもらった日本の人々にとっては、里帰りを思いやる気持ちと寂しい気持ちとで複雑な心境の帰国に。タンタンは24歳になっていた。実際に帰国する日がやってきて、そしてタンタンがいてくれた日常が思い出になってしまう次の日からの喪失感。それを想像すると、たまらなかった。しかし、その日は必ずやってくるのだった。

出会いと別れ。
これまでも、中国とのリース契約によって、日本にいるパンダは帰国したり、旅立っていった。タンタンのニュースの後、そのショックが続く中、今度は2020年12月に旅立ち予定のシャンシャン(シャンシャンは上野動物園生まれなので帰国ではなく旅立ち?!)、2021年2月にはリーリーとシンシンが帰国予定。これはあくまでも調印された契約通りになった場合だが。シャンシャンは一度延長要請をして認められたので、今後もその可能性は十分にある。実際、上野動物園は新しいパンダ舎を建設中だ。とにかく、日本にやって来てくれて出会うことができたパンダ。日本で生まれてくれて出会うことができたパンダ。そのかわいくて、愛おしいパンダは、いつかは中国へと旅立っていく。それは世界の動物園においても同じことが言えた。サヨナラをともなう出会い。これはなにもパンダだけのことではないけれど、それはわかっているけれど、喪失感はどうしようもなかった。

パンダの旅立ちに立ち会った。
喪失感だけではないと知った出来事。2017年6月。アドベンチャーワールドで生まれ育ったパンダたちが中国へ旅立った。双子の兄妹、海浜と陽浜。そして妹の優浜。3頭が一気に旅立つという衝撃は、いつ思い出しても、くらっとしてしまった。心の真ん中を大きなスプーンでくりぬかれた感じ。それはまさに絵に描けてしまうような大きな穴だった。多くのファンとのサヨナライベント後の深夜。バックヤードでは、旅立つ3頭の搬出作業が行われていた。そのときの飼育スタッフたちの表情が忘れられなくなった。その表情には、かなしさや寂しさをどこかに滲ませながらも、「こうして元気に成長して、パンダの繁殖や未来に寄与するために送り出せるんだ」という信念があった。パンダにとっての幸せはなにか。それは人の数だけ幸せがいろいろあるように、個体によってはっきりこれだと言い切ってしまえるものはないかもしれない。ただ、パンダにとっての中国は、悪いところでもつらいところでもなかった。環境はより自然に近いし、パンダに対する医療も研究が進んでいた。コロナ禍で大変だけれど、きっとまた再会できると信じていいと思った。やって来てくれたパンダたちやこちらを笑顔にしてくれたパンダたちに、今度は、「やって来たよ、ハローパンダ!」と、中国へ驚かしに行く番になった。海浜、陽浜、優浜がトラックに乗り込むあの夜、そう思った。1(写真は旅立った後、中国で再会した海浜/2018)

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