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バリ島を訪れて

バリ島を訪れて

一月の雨季にバリ島に着いた。
むわっとする湿気を帯びた空気が空港から出ると体にまとわりついた。タクシーにまずはクタ・ビーチまで行ってくれを頼んだ。空港からなんと20分足らずで着いて、まずは安宿を探すことにした。ガイドに載っているあるゲストハウスに行ってみるとプール付きで一泊1100円だと知って驚いた。

ここ一年も長期休暇をとっていなかった。精神的に日常の小さな世界である職場と家の行き来で息が詰まるように感じていた。

そのような時、とうとう東南アジアでもさらに南のバリ島を選んだ。なぜかというと、バリ島は世界でも有数な観光地でもあるわけだが、特に人々の宗教的な習俗が強く残っているとされていて、それが少しでも垣間見られるかなと思ったからであった。確かに現代の世の中では、宗教的な儀礼やお祭りがややもすれば形骸化する危険にさらされていると思う。インドネシアのバリ島は特に1930年代の頃から西洋人によってその風習や美しい風景がクローズアップされ、地上の最後の楽園と喧伝されてきた。だからバリ島は一部の西洋人による演出によって観光地化されてきた面がたぶんにあるようだが、そういう面も含めて、今のバリ島はどういう風になっているかを、二週間という短い期間でも、この目で少しでも見て感じてみたかった。

 行ってみてまず見えたことは、どの民家の敷地にも屋敷寺といって自分の祖先のお墓が建てられていて、その内部のいたる箇所に神仏へのお供え物が置かれていることだった。朝といわず夕方にもそのお供え物が置かれていて、クタ・ビーチの砂浜でも見られた。人々はその地の精霊への信仰に生きているのが窺えた。現代の世界でこれだけ自分が生きている地に精霊的・精神的なつながりを示すものもあまり見かけないだろう。
 だが、それと裏腹に、クタ・ビーチにはたくさんのゴミが浮いていた。これらのゴミは人々がビーチに捨てるゴミというよりどこからか流れ着いてくるものらしい。バリ島のゴミ汚染は、海ではかなり重大な問題となっているようだ。

 人々は一様に観光客慣れしているようで、おおらかで微笑んでくれる人が多いように思えた。これは世界一の観光客が押し寄せ、その対応に嫌気がさし無愛想なパリのフランス人とはかなり違う。バリ島も毎年世界中から観光客が押し寄せる世界有数の観光地なのだ。

 芸術の中心地ウブドでは、海外からの観光客が多かったが、ひとつ路地を入ると、そこには静かな佇まいが息づいていた。建物の入り口を入るとよく噴水があり、花々が咲き誇り池には魚が泳いでいて、日中の太陽の光が祭壇に光と影の陰影をつくり憩える空間があった。


 気候は雨季ということもあり、よく夜に雨が降った。昼間でも1,2時間は雨が降ることがあるが長く続くことはなかった。夜になると安宿のテラスからトッケーというヤモリのような鳴き声が聞こえてきたり、最初は石かと思った大きなナメクジがベッド横を這っていることもあった。
そして芸術の街とされるウブドの夜には、どこからともなく舞踊の楽器の音や声などが遠くから聞こえてきた。このウブドの舞踊は、バリ島民が西洋人の入植による西洋的な文化や文物に対して、島民として何か自分達のアイデンティティーとなるものは何か?と問うた際に、古来から受け継がれてきたバリ舞踊を見直す運動となってきたそうである。絵画も西洋人がもたらした西洋絵画から影響を受け、そこからパリ島独自のモティーフを細密画のように描くバリ・スタイルという画法ができたらしい。
多くの土着の画家達は、画面の中を動物や植物、人間などあらゆる森羅万象の相貌を綿密に描くスタイルで、それらの自然界の声が聞こえてきそうな気配があるのだが、同時に深い沈黙をたたえた奥行きのある画風が特徴だ。

一度バイクを借りて一日中ウブド市内を乗り回して、棚田などを巡り、観光ルートではない素朴な田園風景を楽しんだ。雨季だったので途中雨には降られたが、山の方への細い道を上っていくと、独特の湿気を含んだ霞がかった山容が、いかにも遠くはるばる異国情緒あふれる東南アジアの片田舎に来ているのだなと思わせた。

バリ島には他の東南アジアの中でもひときわ別次元のゆるやかな時間が流れていたように思う。とにかく別の東南アジアのごちゃごちゃした喧噪がなく、自然がすぐ身近に寄り添い、舞踊音楽が奏でられ、アダットと呼ばれる神が宿る場所(海、寺院、敷地内など)へのお供え儀礼行為に見られる独特の精神風土に裏付けられて、とにかく人々が穏やかだった。
パリ島がこんなにもすばらしい楽園だとは想像していなかったので、また訪れてみたい土地だと思った。

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