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うつせみの世は

昔は人生50年。
それが少しずつ伸びて、人生100年。

なんてこった。

人生修行とはよくいったもので。とすると、修行する時間が伸びてしまった。いったいいくら徳を積めばよいんだ。

友と話して、あの発言はよくなかった。とか、話を遮ったのは失敗したとか。1人反省会は100才になるまで続くのか。はてしない旅だ。

負の感情が渦巻いたとき、人を見下してしまったとき、私は修行が足りないと思うようにしている。とすると人間完全体になるまでには程遠い。

物語の主人公はハッピーエンドかバットエンド。物語はそこで終わる。が私たちは終わらない。物語を読了しても生活は続く。

ああ神よ。神がいるならば、適当なところで一旦区切ってもらえませんかね。

とお願いしたところで、はてさて届きはしないだろう。なんせ願い事は一方通行渋滞中だ。

戦国の世の南無阿弥陀仏を唱えれば等しく皆極楽に行ける。は現世よりも来世を期待していることの現れなのか。

このうつせみの世を期待してよいものか。見切りをつけたところとて行き場はないので、期待するしかあるまいよ。

そんな所に100年。いやはや人はなんと大きな勝負に出てきたものか。


スフィンクスの有名な謎々に、朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足。この生き物は?とある。

朝昼夕では語られないぐらい、人間の一生は伸びていくだろう。そのうち、深夜は5本足になったとしてもおかしくはあるまい。

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