拝啓 専業主婦こと肉袋さんへ
「専業主婦」という生き物。私はこの世で一番忌むべき存在と考える。
専業主婦の多くは、無知で、頭が弱く、稼ぐ力がない、自立ができない。
時には、知能が低い故か、容姿や体型すら人並み以下の者もいる。
それにも関わらずプライドは高く、マウンティングに勤しむ。そんな生き物だ。
前述の通り、彼女らの多くは自立する力がない。自分で稼ぐ力がない。(※)
(※ 子供が重い病気、親の介護がある、等の理由から自立する力がありながら専業主婦になる者も稀にいる。ここでは言及しない。)
現代、大学まで出る女性は半数以上となる。専業主婦も、大卒の者は少なくない。
にも関わらず、「専業主婦」は自分の食い扶持すら稼ぐ力が無いのだ。故に男に扶養される生き方を選ぶ。それしか選べない弱い存在。
彼女らの出身大学には、その大学に入りたかったが不合格だった学生がいたはずだ。
専業主婦になるような無能女は、品行方正の皮を被り、オール4くらいを無難にとり、作文と面接の推薦か何かで入学したのではないだろうか。一般入試組より遥かに学力が低いのだ。
彼女らのせいで枠が埋まり不合格となった学生らが、社会人として自立して生きようとしていたのなら、専業主婦共は今からでも学歴を返上し、彼らに渡すべきだとすら考える。
専業主婦は自分で1円たりとも稼がない。稼げない。ニートか生活保護者と同じである。
いや、生活保護者の中には立ち直ろうとする者や、重く治らない病でどうしても働けない者もいる。また、生活保護者の中には、受給前には社会人として長年税金を支払ってきた者もいるはずだ。そう考えると専業主婦より、生活保護者の方が何倍もマシだ。
専業主婦の彼女らは子産み、子育て、家事以外に何ができるんだろうか。自己研鑽など一生しないのだろう。
専業主婦は、ゴミである。クズである。
ここまで言いながらも筆者は普段、専業主婦にも優しく接しているし、若い頃は子供を育てる彼女らに敬意すら払っていた。
今も、身分を弁えて控えめに、謙虚に生活をする専業主婦のことはそこまで嫌いじゃない。
娯楽などもってのほか、最低限の衣食住で暮らしているのなら、別に良いと思う。がんばれ!
残念ながら上記のような弁えている専業主婦はほぼいない。それどころか、専業主婦は非常にマウンター気質の者が多いのだ。身分を弁えるどころか、身分を履き違えているのだ。
エピソードを1つ。
筆者のかつての友人に、ハラスメントで勤め先を退職をし、直後に結婚。専業主婦となり、3年の不妊治療を経て子を授かった者がいた。
当時20代半ばだった筆者は、専業主婦を蔑んでおらず、むしろ尊敬していた。
元友人は私の少し年上で、美しく優しく聡明で、ユーモアもある素敵な女性だった。2人で飲み歩いたり旅行したり、楽しい思い出も数知れず。当然、当時の筆者は元友人の妊娠出産が大変嬉しかった。
出産後の彼女に誘われたので、彼女の負担を考え、筆者の家からは遠かったが彼女の近所のレストランを会場とした。お祝いの品を奮発した。何より、彼女に会えるのが楽しみだった。
しかしながら、そこにいたのは、かつての優しく穏やかで聡明で、ユーモアに富んだ彼女ではない、「何か別の生き物」だった。
1時間以上、マシンガンのように妊娠出産の苦労話をし続ける。不妊治療にかけた金額から、「⚪︎⚪︎⚪︎︎万円課金して産んだ我が子!」などと、下品な話し方で言い始めた。
その時筆者はまだ、「妊娠出産大変だったんだろうし、ゆっくり聞いてあげよう」と思っていた。
しかし、苦労話はだんだんと、筆者へのマウンティングへ変わっていった。
当時筆者は、総合職で役職に就く寸前、出世を賭け必死に仕事をする日々を送っていた。その中でも、結婚を意識した恋人を探すべく、マッチングアプリを始めていた。
それを彼女に話すと、「嬉しい!⚪︎⚪︎ちゃんもようやく結婚とか考え始めたんだ!こっち側にこようとしてくれたんだね!!」とハイテンションになり始めた。
そして彼女は続けた。「子供産んで初めて1人前なんだから、仕事は程々にね、⚪︎⚪︎ちゃん!」と。
筆者はショックのあまり意識が飛びかけた。悲しみと怒りが顔に出ないように、ワインを思い切り飲み干した。
帰り道、片道1時間半かかる道中、涙が止まらなかった。
それから数ヶ月後、彼女へ「あけましておめでとう!今年もまた遊ぼうね。」とLINEをすると、テキストなしで動画が送られてきた。その動画は、彼女と彼女の子供がキスをするものだった。正月早々不快すぎる。「2人とも可愛い!キュンとした〜」と送り、スマホを投げ捨てた。
そこからは意識的に疎遠にした。楽しい思い出があるのはたしか、だから絶縁はしない。だけど、もう二度と会わない。
彼女からは毎年宅急便で誕生日プレゼントと手紙が届く。読んでいない。
筆者が専業主婦を憎むようになったきっかけは、この出来事からだったと思う。
しかしながら、このような専業主婦ばかりではないはずだ、と当時は思っていた。
その後、アラサーという年齢もあり周りの女友達も続々と専業主婦へなっていった。
結果、専業主婦は全員キ⚪︎ガイだった。
大好きだったはずの女友達の人格は、皆死んでいった。
彼女らが私に吐いた言葉を箇条書きにする。
・「都心で働く⚪︎⚪︎ちゃんより、地方で子育てしてる私の方が偉いかも、って思っちゃう!どこに住むかよりどうやって生きるかが大切だもん!」
・「⚪︎⚪︎ちゃんの彼氏、長期出張するのになんで⚪︎⚪︎ちゃんはついていかないの?彼のために仕事辞めないの?なんで?え、自分の仕事のため?!」
・「⚪︎⚪︎ちゃんに仕事ではかなわなかったけど、私はなんとか結婚と出産はできたよ!⚪︎⚪︎ちゃんも頑張ってね!」
直接のマウンティングは上記のような内容だった。
一般的なよく見る専業主婦によるマウンティングから、私を攻撃するようなマウンティングまで様々だった。
数年をかけこのような攻撃を受け、筆者は疲れ切った。
私に、学業でも仕事でも容姿でも叶わぬ者。努力をしてこなかったクズ達にマウンティングを取られるのは、なかなかキツいものだ。
以下はマウンティングではないが、疲れ切った筆者にとってしんどかった専業主婦の言動だ。
・交通費込みで10万越える地方のホテルに泊まろうか悩んでいる筆者へ、「私も行きたい!今度家族でここ行くから、旦那に言う!」
・子育て終わったらパン屋さんとかで働いてみたいな!旅行も行きたいな!
・世界一周したいけど、旦那が休めないからなぁ(もちろん彼女には稼ぎも貯金もない)
・⚪︎⚪︎ちゃん有給取れる?日曜月曜で旅行行かない?
上記の中にはもしかしたら、気にするに値しない言動もあるのかもしれない。マウンティングでないのかもしれない。
しかし、専業主婦マウンティングに辟易していた私には、追い討ちでしかなかった。
筆者はInstagramが大好きだったが、年を経るごとにInstagramも子供の写真で溢れていった。
筆者は、Instagramでは綺麗な景色や美味しそうなご飯、そして何より友人本人の写真を見たかった。
生活感あふれる汚い部屋にいる、顔の区別がつかないようなブサイクな赤ん坊。そんな写真ばかり流れてきて、Instagramは一時期見れなくなった。子供を産むと美醜の感覚が狂うのだろうか。
そもそもブスとブサイクが子産みをするケースも少なくない。何故そんな酷いことができるのか?醜い容姿で生まれた子供が可哀想だ。産むこと自体が虐待だ。
専業主婦は暇だから、汚い家の中で汚い写真を撮り、Instagramに載せることしかやることがないのだろうか。
う⚪︎こ製造機ならぬ汚写真製造機である。
いま筆者は、別のアカウントを作り芸能人とインフルエンサーとグルメや旅行系のアカウントのみをフォローしている。
リアルアカウントにはたまにログインし、目を細めて見ないようにしながらいいねをつけている。
今のところこれが一番快適だ。
専業主婦の彼女らは当然¥0の稼ぎで、扶養に入っている。日本国憲法の勤労の義務を果たしていない。税金すら払っていない。最底辺である。
そんな彼女らが何故堂々としているのか、何なら社会人にマウンティングしてくるのか、何故なのかを考えた。
おそらく彼女らにとっては、「自分で稼がずとも生活ができる」ことが価値なんだろう。
筆者や筆者の現在の友人達は、自立するだけでなく、仕事に誇りと楽しみを見出し、平均収入を大きく上回る金額を稼いでいる。
自力で稼いだ金で質の高い生活をし、自力で幸せを手にしている。
一方、専業主婦の多くは、仕事ができなかった、または就職すらできなかった社会のクズ達だ。彼女らにとって、「仕事」「自立」は到底できない、やりたくない、嫌なもの、避けたいものなのだ。
やりたくないもの嫌なものに価値を感じることはできないだろう。よって彼女らは、やりたくないものをやらずして、衣食住と最低限の社会的立場を手に入れたことを誇りに思っているのだ。
自分がやりたくないことをやっている、やらされてるように見える社会人を下に見ているのだ。
旦那が仕事や学歴で秀でていた場合、トロフィーすら持っている気になっている。
仕事は、健常者としての雇用であれば、知能、頭の回転、メンタル、体力などの総合力が求められる。大企業であれば学歴や英語力も非常に大事であろう。一朝一夕では手に入らない能力のために、幼少期、学生時代から努力が必要な場合すらある。
入社後は、仕事だけでなく勉強や資格取得などの日々の自己研鑽も必要だろう。職種によっては容姿端麗であるための努力も必要だろう。日々の練習が必要な職種もあるだろう。
働くものは、常に努力が必要だ。
一方、妊娠と子産みは健康な肉体があれば誰でもできる。(※)学歴も、自己研鑽もいらない。知能に問題があってもOK。容姿が醜くてもOK。だって、妊娠と子産みは犬でも猿でもできることですからね。
(※不妊の方を貶める意図はありません。)
誤解されないように書くが、筆者は主婦が嫌いなわけではない。「専業主婦」が嫌いなのである。
兼業主婦は、子産み後には仕事も子育ても、両方行う。なんて立派なことだろう。
妊娠出産が身体にいかに負担か、乳児期の育児がいかに大変か。筆者はよく分かっている。
筆者が大企業にいるのもあるのか、周りの兼業主婦は能力が高く、子育ての質も高いケースが多いように感じる。
筆者は兼業主婦には頭が上がらない。
え、お子さんが風邪引いたから早退したい?いくらでも仕事引き取りますよ。喜んで!
一方、専業主婦は、犬でも猿でもできる行為のみで完結する。
子育ての質というものには、当然上下があるが、質の悪い子育てなら専業主婦の多くのように知能や精神に問題があっても"出来たこと"になってしまう。
虐待や虐待死のレベルにならなければ、子育ては出来たことになってしまうのだ。
仕事とは異なり、子産みは犬でも猿でもできる。子育てはピンキリだが、下層の子育てなら誰でもできる。自己研鑽も努力もなーんにもいらない。
しかしながら、専業主婦はこの「子育て」を最大の切り札として使う。
大富豪で言えば、筆者や筆者の現在の友人のような独身かつ子無し夫婦で年収の高い者は、絵札と1と2を持っている。全体的に、どのカードも強い。
専業主婦は、スペ3と4など最弱のカードしかないが、たった1枚ジョーカー(子育て)を持っているのだ。
スペ3がなければ、ジョーカーは最強のカード。他のカードがゴミでもジョーカーがあれば、マウントを取ることができるのだ。
筆者は、子育て自体は、非常に尊いことだと今でも思っている。
子育てをする専業主婦と、独身で働く者は、本来住む世界が違うだけで、上下格差はない。上下ではなくエリアの差だった。
しかしながら、専業主婦は独身へマウントをとり続ける。自慢げに「子育て」というジョーカーを見せつけながら。
独身が専業主婦へ、収入や自由などの絵札を見せつけることはあまりない。むしろ、日々気を遣ってあげている。しかし専業主婦らはジョーカーを高々と独身や子無し夫婦見せつける。絵札を否定する。
もし、ジョーカーを取り上げられたら、3と4しか持たない彼女らはどうなるのだろうか。
彼女らは、「子育て」を、ジョーカーとしてでなく、魔法の言葉としても使う。
専業主婦は、
「子育て」しているから仕事はしません。
「子育て」しているから旦那の金で生活をします。
「子育て」しているから息抜きも必要です。
「子育て」しているから独身者や子無し夫婦より偉いです。
「子育て」しているんだから私をもっと敬いなさい。私に予定を合わせなさい。
これらは全て、「無職」の発言である。「無職」がこの発言をしたらどう思うか?袋叩きになるだろう。
しかしながら「子育て」は魔法の言葉なので、専業主婦の場合は合法となり、世間的にも許されてしまうのだ。
日本という国も、子産みをしただけの無能の無職女に、たくさんの補助を与える。国に支援される存在になれるのなら、「子育て」とは本当に魔法の言葉なのかもしれない。
子産み、子育てをすることだけがアイデンティティ。
知能が低く自立もできない醜い彼女らは、「肉袋」として生きる道を選んだのだ。
男性に自分の肉を提供し、肉棒を受け入れ、自分の肉の中に子を孕み、肉の中で8ヶ月子を育て、出産する。
肉袋となる代わりに、衣食住と、最低限の社会的立場を保証される生き方。
それが専業主婦、いや、肉袋様である。
肉袋様から「子産み」「子育て」を抜いたらどうなるんだろう?人間じゃなくなるのだろうか。
子育てを終えた肉袋様は人間じゃないんだから、年金貰う前に射⚪︎したらどうだろうか。
少子化対策のために肉袋様が国に支援される。それは少子化対策のためなら間違えた方針ではない。
ならば、税金を使い無人島に畜産業のような施設を作り、肉袋様を集めたらどうだろうか。
遺伝子がゴミの肉袋様は即刻処分し、遺伝子が優れてる肉袋様のみを生かし、子産みをさせ続けたらどうだろうか。肉袋様が生きている間は、子産みのモチベーションのためにそれなりの待遇をしてあげても良いだろう。
しかしながら税金のため、子産みができなくなれば射⚪︎。
これはなかなかに、コスパや、肉袋でない人間達の精神衛生上良い方法ではないだろうか。
少子化対策には必要な存在、しかしながら社会の底辺。それが専業主婦。
専業主婦こと肉袋様を人間として見れるようになる日は、筆者には来なさそうだ。