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「戦後世界史と日本」シラバスの構成について


1)「戦後世界史と日本」シラバス作成意図について

  シラバスは、ロシアのウクライナ侵攻をどう考えるのか、戦後国際秩序への破壊的な挑戦に対してどう立ち向かい、日本のとるべき道を探るために「戦後世界史と日本」に関する大学の教養科目としての授業実施について、その基本的理解、史料、年表などのコンテンツを整理して提供することを意図して作成されたものです。

  1.シラバスの意図

  第1に、戦後世界の国際的対立関係の要因をその生起した戦争・紛争・内乱・テロに至る政治・外交・経済の国際関係に関して分析することが不可欠だが、いま現在に繋がる問題を把握し、問題を考える枠組みをつくるには、第一次世界大戦の開戦と終結に至る要因と問題の把握が不可欠であること。

  第2に、ロシアのウクライナ侵攻は、1991年ソ連解体による冷戦終結以降に形成されてきたヨーロッパ秩序の変遷に起因し、その変遷とは第二次世界大戦における独ソ戦及びその後に勝利したソ連の支配構造からの各国の離脱プロセスでもあり、その過程の把握が不可欠であること。

  第3は、1971年国連常任理事国となり、2010年米国に次ぐ第二の経済大国となった中国の国際秩序に占める存在感の台頭である。日本との長い歴史関係を持つとともに日本が満州国建国などの植民地的支配を進めた中国が、戦後どのようにして現在に至るのかの経緯の把握が不可欠であること。

  第4に、このような国際環境の推移に対しアジアと日本がどのように対応したかを検討し、民族自己決定権をめぐる覇権主義への抵抗運動とともに平和と人権を希求する運動や取り組みにより明らかにされた課題を通じて、今後の課題を探究することが不可欠であること。


  2.時代区分

   ①第一次世界大戦の勃発から第二次世界大戦開始(1914年~1939年)

 ②第二次世界大戦と米ソによる「戦後世界」の分断(1939年~1950年)

 ③第二次世界大戦後「冷戦」下の「戦争」の構図(1950年~1980年)

 ④東西両陣営の社会体制の破綻と矛盾の顕在化(1980年~2000年)

 ⑤21世紀における覇権争いとウクライナ戦争の勃発(2000年~2022年)

   
2)各時代区分の問いの概要(論点)

  1. 第一次世界大戦から第二次世界大戦開戦へ(1914年~1939年)

 第一次世界大戦は、バルカン半島のサラエボで、セルビアの民族主義者の銃撃によってオーストリアの皇位継承者夫妻が暗殺されたことを契機に勃発し、ヨーロッパと中東・アジアでの世界規模の大戦となった。

大戦期間中に起きたロシア10月革命で樹立されたソビエト政権は戦争の停戦と平和を呼びかけるとともに、参戦したアメリカのウイルソン政権も平和構想を提起した。大戦はドイツの降伏で終結し、講和会議で締結されたベルサイユ条約は、敗戦国ドイツへの過大な賠償請求を課して、第二次大戦への誘発要因を形成する一方で、同時に呼びかけられた民族自決運動は、被植民地における独立運動を後押しし、国際的な軍縮を目指すワシントン体制下に新たな緊張が生み出された。

第一次世界大戦から、第二次世界大戦に至る要因を以下の3つの次元から考えてみたい。

 第1の問いは、なぜヨーロッパの戦争がアジアを含む世界大戦となり、更なる第二次世界大戦を誘発することになったのかという点です。

 第2の問いは、ロシア革命は、どのような革命であり、その後の世界にどのような影響を与え、アジアにどのような変化を生み出したのかという点です。

 第3の問いは、日本の第一次世界大戦への参戦は、どのような意図で進められ、その後の対ソ、対中への干渉はどのような契機で進んだのかという点です。

 2.第二次世界大戦と米ソ対立による「戦後世界」の分断(1939年~1950年)

  第二次世界大戦は、1939年ドイツのポーランド侵入に始まり、1941年12月、日本のイギリス(マレー半島)、アメリカ(真珠湾)への宣戦布告で拡大し、六十国を超える国が参戦し、1945年5月ドイツの降伏、8月日本の降伏で終結した民間人を含む最大8500万人の死者数を出す世界大戦となった。

   第二世界大戦から朝鮮戦争勃発までを対象に、大戦下に生起したヨーロッパとアジアの変化に着目し、戦後世界がどのように生まれたのかに焦点を当てます。

  第1の問いは、第二次世界大戦は、どのような外交と侵攻を契機として発生し新たな戦争犯罪を生み出す世界規模の世界大戦となったのかという点です。

  第2の問いは、反ファシズムを一致点として勝利した連合国がなぜ「冷戦」と呼ばれる新たな対立によって「東西対立」に向かったのかという点です。

   第3の問いは、第二次世界大戦後の戦後処理を経て国際秩序がどのように形成され、日本国憲法にどのような影響を与えたのかという点です。


3.第二次世界大戦後「冷戦」下の「戦争」の構図(1950年~1980年)

  1945年2月アメリカ、イギリス、ソ連によるヤルタ会談は、戦後秩序を形成したが、49年10月の中華人民共和国の建国は、東西体制の軋みを顕在化させ、東西冷戦は朝鮮戦争という熱戦を契機に新たな緊張関係を顕在化させた。一方でソ連による東欧支配はスターリンの死去と共に崩れはじめ、ベルリン封鎖、ブレジネフによるソ連衛星国の主権制限が進む一方で、各地における反植民地運動に対する米ソ大国による武力侵略が進められた。

  ここでは、朝鮮戦争から、日本の再軍備、アメリカのベトナム侵攻、ソ連のアフガニスタン侵攻までの冷戦下の戦争の構図に焦点を当てます。

  第1の問いは、アメリカを基軸とする戦後世界秩序がどのように推進され、米ソの後退と第三世界の勃興がどのように顕在化したのかという点です。

  第2の問いは、56年ソ連のスターリン批判以降、ソ連による周辺隣国の主権への軍事介入と離脱が頻発したのはどのような要因かという点です。

  第3の問いは、米ソのベトナム戦争とアフガン戦争はなぜ失敗し、これについて日本はどのような判断と選択をしたのかという点です。


4.東西両陣営の社会体制の破綻と矛盾の顕在化(1980年~2000年)

  戦後から四半世紀が経過し、東西両陣営の社会体制の動揺が顕在化する。アメリカレーガン政権による経済政策を受けて、1985年イギリスのサッチャー政権は、市場原理,民間活力を重視する新自由主義政策をとった。一方で、85年ソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは、ペレストロイカ(改革)の一環と(情報公開)を進めた。89年米ソ首脳のマルタ会談は、冷戦の終結を宣言する。

   ここでは、1980年から2000年までの期間を対象に「ベルリンの壁」崩壊以降のソ連解体(91年)過程とソ連解体に伴う安全保障協議と旧ソ連構成国と衛星国の自己決定権の進展、欧州における経済共同体づくりを積み重ねたEUの発足、共通通貨:ユーロ発行、78年から始まる中国の改革開放過程、ユーゴ内戦とチェチェン内戦、湾岸戦争に焦点を当てる。

  第1の問いは、冷戦下で進行する東西両陣営社会体制の矛盾がどのような要因で生まれ、どのような新たな問題を生み出したのかという点です。

  第2の問いは、ソ連の崩壊で冷戦が終結するなかで、ソ連と深い関係を持ってきた東欧と中国がどのような道を選択したのかという点です。

  第3の問いは、冷戦終結後の安全保障の枠組みがどのように志向され、EU新たな国際秩序とともに新たな戦争形態を生み出したのかという点です。


5. 21世紀における覇権争いとウクライナ戦争の勃発(2000年~2022年)

  冷戦の終結から10年を経過し、西スラブ系東欧諸国とハンガリーのNATO加盟を契機に旧ソ連圏諸国のNATO加入が進み、ロシア連邦内の非東スラブ系民族を刺激し、自己自決権を巡る紛争が多発する。
  同時に9.11同時多発テロは、石油を巡る中東諸国への介入を続けてきたアメリカの一極覇権主義への異議申し立てとして遂行され、これまでの戦争形態から対テロ報復戦争:「特別軍事作戦」に変貌しアメリカの軍事介入が多発する。
  
  第1の問いは、一極覇権を握ったアメリカのテロ戦争遂行は、世界にどのような戦争惨禍をもたらし、その結末はどのようなものかという点です。

  第2の問いは、NATOの東方拡大が進む中で、プーチンはどのような外交政策を展開し、ウクライナに侵攻したのかという点です。

   第3の問いは、戦後の国際秩序を根底から崩すロシアのウクライナ侵攻のもとで、世界、アジア、日本において、何か問われるのかという点です。

     

  


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