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戦国note

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2023年12月の記事一覧

備中高松城~戦国の分岐点となった水攻め

 2023年最後の記事は、今年11月に訪問した備中高松城の紹介といたします。 備中高松城の戦い 天正10(1582)年、羽柴秀吉は毛利方の備中高松城を包囲します。低湿地に築かれた城は容易に落ちませんでしたが、秀吉は堤防を築いて水攻めにしました。城主の清水宗治は降伏し、城兵の命と引き換えに切腹します。  折しも、秀吉は京都で織田信長が討たれたという凶報を得ていました。秀吉は信長の死を秘匿して毛利方と和睦すると、すぐさま「中国大返し」を敢行し、明智光秀を滅ぼします。  歴史

備中松山城に縁のある人々

 先日、備中松山城の訪問記を「建物の魅力」の面から紹介しました。  今日は趣向を変えて、備中松山城に縁のある人やその逸話などを紹介していきます。 備中松山城主の変遷 備中松山城の始まりは鎌倉時代にさかのぼります。近世以前の備中松山城主としては、戦国時代に毛利元就と戦った三村元親が有名です。天正3(1575)年、備中松山城は落城し、元親は自害しました。  その後、備中松山城は毛利氏の支配下にはいります。しかし、関ヶ原の戦いによって毛利氏は大幅に減封され、備中松山城を失いま

岡山の名城・備中松山城の天守を"普段見えない角度"から見る

 岡山県高梁市にある備中松山城は、全国に12しかない「現存天守」のひとつがあることで知られています。  天和3(1683)年に修築され、明治維新以降も解体されることがなかった天守は、国の重要文化財に指定されています。また、天守の背後にある「二重櫓」も重要文化財です。今年11月4日~5日に内部が特別公開され、貴重な機会を逃さないため訪問してきました。 現存唯一の「山城」の天守 備中松山城が築かれたのは、標高430mの小松山山頂です。中世には、さらに奥の大松山に城が築かれてい