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これがホントのこぼれ話

新刊には入りきらなかった話を一つ。

ページ数の関係でバスっとカットしたけど、ちょっと書きたかったとこです。

新刊「13歳のきみと戦国時代の「話」をしよう。」を読んだよ、という人に向けて書きますので、細かい説明は端折りますね。
 
 
本能寺の変が起こり、織田信長とその長男・信忠が亡くなったあと。
謀反をかました明智光秀を豊臣秀吉が討って、

清須会議

という織田家重臣たちのスーパーミーティングが開かれます。

新刊の中ではあっさり

"跡継ぎは信忠の子どもで、信長の孫でもある三法師ちゃんに決定"

なんて書いてますが、戦国時代が好きな方にとっては
「そこにもドラマがあんじゃんか!」
という感じなんです、ここ。

実は、清須会議には超有名な1シーンがありまして。
それは、豊臣秀吉が三法師を抱いて、みんなの前に現れ、

「皆の者、頭が高い! 織田家の御当主・三法師様にあらせられるぞ!!」

と高らかに宣言した、という場面なんですね。

これが何故名シーンかと言うと……。

 
本能寺の変の後の会議。
織田信長が亡くなり、跡を継ぐはずだった(実際にはもう継いでた)長男の信忠までもがこの世を去ったからには、まず何を決めるべきでしょうか?

そうですね、何をさて置いてもソッコーで

"跡継ぎ"

を決めなきゃいけません。

このとき、候補は2人。

次男の織田信雄



三男の織田信孝

です。

順当にいけば、次男の信雄くんがあとを継ぐってことで話はすんなり運ぶはずなんですが、ここで厄介なのが、

生まれた順番と能力

なんです。

実は三男・信孝くんは、次男・信雄くんより"数十日先に生まれていて"、本当なら次男は信孝になるはずだったんですね。
ところが、信孝のお母さんの身分が低かったため、先に生まれたはずの信孝くんは、三男に繰り下げられていたんです(諸説ありよ)。

ただ、本人の能力を見比べたとき、信雄より信孝の方が、

うん、勝ってるなと。

順当にいけば信雄が当主だけども、本当に織田家の当主に相応しいのは、

こりゃ信孝だよ、と。

ややこしいじゃありませんか。
形式を取るか、能力を取るか、意見が割れるに違いありません。

で、見事に割れるんすよ。

織田家の筆頭家老(本部長か専務みたいなもんかな)の柴田勝家は、

「信孝さんが能力的にも相応しい!」

と言って、三男・信孝を推し、光秀を倒して勢いバリバリの秀吉は、

「何を言いますか! ここは信雄さんが継ぐのが筋ってもんでしょ!」

と、次男・信雄を推す。

兄弟の争いに、重臣の勝家と秀吉がついたもんだから、話はずっと平行線。
跡継ぎがなかなか決まらないんです。

でもね、ここで秀吉側の名参謀、黒田官兵衛が、全部をひっくり返すとんでもねぇアイデアを秀吉に吹き込むんです。

「秀吉様。筋目を通すというのであれば、もっと相応しい方がおられます」

「な! 官兵衛それマジか!? 誰?」

「三法師様です」

「さ、三法師様!!? お前それガチで言ってる!? 三法師様はまだ3歳だぞ!?」

「ですが、亡くなられた信忠様は織田家のご当主でございました。遺児であられる三法師様が跡を継がれるのは当然のこと。まだ幼く、政(政治)ができないというのであれば……秀吉様が後見なさればよろしいかと」

「………わかりみしかない」

幼い三法師を抱え込み、その後見につけば、秀吉が織田家を牛耳ることができる。
秀吉と官兵衛は、相続の網の目をくぐり、まさかの3歳児を跡継ぎに立てようとしたんですね。

こうなると、誰も文句は言えません。
前当主(信忠)の兄弟(信雄・信孝)より、
前当主の息子(三法師)が当主になる方が、ぶっちぎりで正当性があるんですから。

サルに似たおじさんにあやされた三法師は、キャッキャキャッキャと秀吉になつきます。
そして、三法師を抱っこした秀吉は、そのまま織田家重臣と信雄・信孝の前に現れ、冒頭で言った

「皆の者、頭が高い! 織田家の御当主…」

という、あのセリフをかましたのでした。

その場にいた家臣たちは、ははぁーと三法師に頭を下げることになります。

が、

これ、第三者が見たらいかがでしょう?
頭を下げたその先には、三法師を抱いた秀吉がいるんです。
まるで秀吉に平伏してるみたいじゃありませんか。

勝家なんかは、

「く……な、なぜこのオレが、あのサルに…頭を……ぅぐ……ぐぅわぁぁぁ!!!!」

ってくらい屈辱を味わうことに。

こうして、2つの意味で三法師を抱え込んだ秀吉が、その後の織田家の実権を握ることになったのでした……

という、メーチャクチャに名場面が、清須会議にはあったんです。

チーム秀吉の作戦が、これでもかと見事にハマったストーリー。
秀吉が登場するドラマでは、かなりの確率で描かれるので、知ってる人も多いのではないでしょうか。

ただ、

今回の新刊で僕は、秀吉のことを"伝説にまみれた天下人"というキャッチコピーであらわしました。

そうなんです、今日のこのお話も多分

創作

でございます。

織田家の跡継ぎはね、秀吉も勝家もほかの家臣の中でも

「もちろん、三法師様で決まりっしよ」

という共通認識があったみたい。

清須会議ってのは清須城ってお城で行われたんだけど、そこに集合したのも、"時期当主の三法師"が清須城にいたから。と言われてます。

んで、次男(信雄)と三男(信孝)は、たしかにモメたらしいんだけど、その理由は、

「オレが三法師の後見人になる!」

というもの。

跡継ぎはもちろん兄の息子・三法師でオッケーなんだけど、彼をバックアップして"織田家のリーダー的存在"になるのはこのオレだ!ってとこでモメてたんすね。

その後の秀吉と勝家と次男・三男がどうなったかは、是非新刊でお確かめいただけると嬉しいです。

13歳のきみと、戦国時代の「戦」の話をしよう。 https://www.amazon.co.jp/dp/4344036891/ref=cm_sw_r_cp_api_i_LXQMFbB317PGY

 
偉人や著名人と呼ばれる人たちがいます。
秀吉を含め、歴史に名を残す人には
「奇抜なアイデアをパッとひらめく力があったんだ!」
と、誰もが思いがち。
確かにあったんでしょう。すごい人たちなんだから。
でも、常に"アイデアの一本刀"で切り抜けていたかと言うと、そんなわきゃないんですよね。
すげーと言われる人たちがすげーと言われる所以は、もっと違うところにあると思うんです。

そんな話を、今から話したいけど長くなるから、

また今度。

本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!