本能寺の変
炎の中に消えた英雄
日本史の中で一番有名な出来事じゃありません? 『本能寺の変』て。
ご存知の方も多いと思うんですが、コンパクトに言っちゃうと、
「織田信長殺人事件」
です(実際は自死ですが)。
もうちょっとだけ詳しく解説するなら、
《1582年。織田信長が、京都の本能寺ってお寺で、明智光秀って家臣に襲われちゃう。で、信長は命を落としちゃう。
誰もが予期しなかった織田信長の死。
当時の天下人が突然消えたことにより、あらゆる武将の立場が劇的に変わったのでした。》
という感じになります。
天下取りレースの先頭を爆走する信長がいなくなるんですから、戦国トピックスの中でもSSランクの重要度。
しかもそれが、謀反(家臣の裏切り)によるものなんですから、SSSランクの真っ青度です。
そして、『本能寺の変』がこんなに有名になった原因は、たった一つ!
と、その前に……
事件の流れを知ってもらった方が話が早い。
なので、まずは中身をお伝えしたいんですが、
『本能寺の変』でいっ……ちばん重要なポイントは、たった一つ!
と、いう前に、事件の流れを知ってもらった方がいいです。
"有名になった原因"と"重要なポイント"を知るためにも、まずは事件の流れから。
それではどうぞ。
『長篠の戦い』から7年後。
信長・家康は、ついに東日本最大の敵、武田家を滅ぼします(「甲州征伐」って言うよ)。
なっげー戦いだったけど、信長は武田の持ってた領地をゲットし、一緒にがんばった家康にも、
信長「家康くん、駿河国あげるよ」
家康「うぇ!? え、いいんすか!? あざーす!!」
駿河国をプレゼントするんですね。
テンション爆上げとなった家康は、「こりゃちゃんとお礼言わねーと!」ってことで、信長のお城・安土城(滋賀県)をたずねます。
家康「この度は、駿河国をいただき、本当にありがとうございます!」
信長「いや全然全然! もうぜーんぜんよ! それよりゆっくりしてってね。こっちはもてなす気まんまんなんだから覚悟しろコノヤロー! ハッハッハッ…あ、そうだ、ここにいるあいだのお世話はこいつがやるから。光秀、ぷちょへんざ」
明智光秀「ちぇけら」
このとき家康の接待役をまかされたのが、『本能寺の変』をおこした張本人、
明智光秀です(会話はもうぜんぶ無視して)。
信長、家康、光秀。
戦国時代を大きく動かした役者が一堂に会した、「安土城レセプションパーティー」。
ここにもう一人”あの役者”が加わわることによって、話がグワンと展開していくんですね。
光秀がおいしい料理で家康をもてなし、信長&家康が、
「ホントいつもありがとねー。あれ、ちょっとやせた?」
「え? そうすか? 前より太ったんすけどね?」
なんて会話に花を咲かせ(雰囲気です)、なごやかムードに肩までつかってるところへ、一通の手紙が届きます。
その送り主こそが、もう一人の役者、
羽柴秀吉(豊臣秀吉)
なんですね。
手紙の内容は……
羽柴秀吉「信長さまーーー!! 毛利の家臣がいる備中高松城(岡山県)を攻めてたら、毛利軍の本隊が出てきました! ここで毛利を叩きたい! 信長さまのお力を貸してください!!」
というもの。
毛利ってのは中国地方のほぼ全域を支配してるスーパー大名のことで、東日本のラスボスが武田だとしたら、西日本のラスボスがこの毛利です(どちらもラスボス級の強さってことね)。
中国地方攻め(中国方面軍)のリーダーをやってた秀吉は、
「いよいよ毛利が出てきた! 信長さん助けて!」
ということを伝えてきたんです。
これを受けて信長は、
信長「これは天が与えてくれたチャンスだ(だいたいいつも天のことを気にする信長)! オレが出陣して、中国地方のやつらを全員倒し、その勢いで九州まで平定してやる!」
と、戦闘モードにスイッチが入り、
信長「光秀! 家康くんの接待役は終わりだ! お前には援軍の先陣を命ずる! すぐさま秀吉のもとへ向かえ!」
光秀「はっ!」
光秀に中国地方へと向かうよう命令したのでした。
で、こっからなんかんやあって、2週間後に『本能寺の変』です。
…………え?
ですよね。
「え、急になに?」がすさまじい。
たった2週間をはしょっただけで、いきなり『本能寺の変』。
いったい何がどうなって?
信長と光秀ケンカしちゃった?
冷蔵庫にあったプリンとか勝手に食べた?
とにかくまっさきに浮かぶのは、
”2週間のあいだに何があったんだ……”
って言葉。
逆に言えば、このあいだに何かしらのキッカケがないと、もうミステリー通り越してただのホラーです。
ならば、ちょっと見てみましょう。
秀吉の手紙が届いた、天正10年(1582年)5月17日(たぶんこの日あたり)
から、
『本能寺の変』がおきた、天正10年(1582年)6月2日
までの、2人の動きを(ちなみにこのときは「旧暦の小の月」って言って、5月は29日まで)。
この期間に、信長と光秀がなにをしていたのかがわかれば、
「あー、だからあんな事件が起こったのね」
と、気持ちのいい『本能寺の変』をむかえることができます。
ということで、
「『本能寺の変』の前日まで2人がなにをしていたのか?」
を、かみくだいてお伝えします。
またもや登場の『信長公記』(太田牛一って人が書いたやつ)という史料をガリッゴリにアレンジして、はしょって、彼らの2週間を、
「もしもこの時代に、かわいい絵日記があったら」
というテイストにしてみたので、絵はないけどちょっと読んでみてください。
次回ね!
6月2日
さ、本能寺の変パート2です。
前回からのおさらいいっときますよ。
武田を倒した信長・家康、安土城でウキウキパーティー。
↓
秀吉から「信長様、備前まできてー!」の手紙届く。
↓
信長「光秀、先に行っといて! オレもあとで行くから!」
↓
その2週間後に本能寺の変。
↓
え、何があったの……?
というわけで、『本能寺の変』までの2週間を見てみなければ、って話でしたね。
この間に何かキッカケがあったはず……?
それでは、前回お伝えした通り、
「もしもこの時代に、かわいい絵日記があったら」
というテイスト(絵はない)で、2人の2週間を追ってみましょう。
それでは、どうぞ。
〈信長さんの5/17〜6/1〉
5月17日。
秀吉さんから手紙が来ました。「いよいよ毛利と戦えるぞ!」と思った信長さんは、光秀くんたちに、先に秀吉のとこに行ってくれと言いました。
19日。
信長さんは、家康さんたちと舞(幸若舞)を見ました。舞がすごくよかったので、信長さんのキゲンはすごくよかったです。
けど、早くおわったので、明日能をやってもらう予定の人に能をやってもらいました。
能はぜんぜんダメでした。
だから信長さんは怒りました。
だからもう一回さいしょの人に舞を見せてもらいました。やっぱり舞はすごくよかったので、信長さんの機嫌はなおりました。
20日。
信長さんは、家康さんのおせわをする人を、新しく選びました。
そして、家康さんと家康さんの家臣たちといっしょにごはんを食べました。信長さんは、家康さんたちにすごく敬意を表してる感じがしました。
21日。
家康さんたちは、京都や堺(大阪府)に行きました。
信長さんが、
「せっかくだから、京都や大坂、奈良や堺を、のんびり見物してきたらいいよ!」
とオススメしたからです。
信長さんは、家康さんに案内役の人をつけてあげて、ほかの家臣にも「大坂で家康くんの接待をしてあげて!」って言いました。
29日。
信長さんは京都に行きました。お留守番のみんなに
「戦いの準備をしてまっててね。命令したらすぐ出てきてね」
と言いました。
少ない人数で京都に行って、いつも泊まってる本能寺に着きました。
6月1日。
信長さんは、お茶会をひらきました。たくさんの人が来てくれて、そのあとはみんなでお酒を飲みました。むすこの信忠さんとも飲みました。
信忠さんが帰ったあとは囲碁の対局を見て、夜遅くにねました。
〈光秀くんの5/17〜6/1〉
5月17日。
光秀くんは、信長さまから「先に中国地方に行け」と言われました。だから、自分のお城の坂本城(滋賀県)に帰って、戦いのじゅんびをしました。
26日。
光秀くんは、中国地方へ行くために坂本城を出発して、亀山城(京都の光秀のお城)にうつりました。
27日。
光秀くんは、愛宕神社にお参りに行きました。
ちょっと思うところがあったのか、2度も3度もおみくじをひいたそうです。
この日はそのまま神社に泊まりました。
28日。
光秀くんは、愛宕山の威徳院西坊ってところで連歌の会を開きました("連歌"とは、上の句(五七五)と下の句(七七)をそれぞれ別の人が詠んで、つなげていくという遊び)。
連歌は光秀くんからスタートして、
「ときは今あめが下しる五月かな」
という句を詠みました。
百韻(百句)を詠んで、神前に納めて、亀山城に帰りました。
6月1日。
光秀くんは夜になって、信長さんを討つことを重臣(メチャえらい家臣)たちにしゃべりました。
亀山から中国地方へ行くとき、ふつうは三草山を越えます。だけど光秀くんは、そこには向かわず東にすすみました。
兵たちには、
「老ノ坂に上り、山崎をまわって摂津を通るよ」
と言っておきました。
そして、老ノ坂へ上りました。
右へ行けば、山崎。左へ下れば、京都へ出る道です。
光秀くんたちはここを"左へ"下り、桂川を越えたところで、夜が明けてきました。
以上、「ぼくたちの『本能寺の変』」でした
「いや、キッカケなんてどこにもなかったし笑」
と半笑いになりました?
はい、ないんです。
そんなもんどこにも書かれてないんですよ。
光秀は6月1日、急に「信長を討つ」って言いだしてますからホラー決定。「いつ決めた!?」とツッコまざるをえません。
ただ、
「2度も3度もおみくじをひいた」
ってのが本当なら、信長を討つことはすでに決めてたでしょうし、本当は重臣にはもっと早く伝えてた可能性もあります(可能性として)。
いろいろわかんないけど、とにかく
「このあと光秀はおもいっきり謀反を起こす」
これだけは事実です。
と、いうわけで……。
光秀の引き連れた大軍団は中国地方とは真逆の方向に進み、京都・本能寺へと迫ります。
そして、いよいよ信長と光秀にとって運命の日……
『本能寺の変』当日を迎えるんです。
6月2日。明け方。
昇ってくる太陽と足並みを揃えるかのように、本能寺を取り囲んだ明智軍。
毛利に向けられるはずだった巨大な軍事力が、信長の寝所となった寺院へ次々と乱入していきます。
にわかに慌ただしくなる辺り一帯。
地を踏み、銃を構え、槍を突き出すすべての音が、主従関係を崩す調べとなり、信長に襲いかかる序曲となります。
一寸先凶刃に倒れる者たちは、刻々と迫る非常事態にまだ気づきません。
有能な家臣が牙を剥いたことなど知るよしもない信長。外の喧騒を下々の者の喧嘩だとみなしますが、それが間違いとわかるのに時間はかかりませんでした。
明智軍「オオォォォォォォーーーーーーー!!!!!」
本能寺を飲み込む、けたたましい鬨の声。
そして、
バババババババーーーーーーーーン!!!!
放たれる銃声。
信長は悟ります。
信長「謀反か。誰のしわざだ」
主君の問いに、信長の小姓(位の高い人に仕えた少年)、森蘭丸は、
森蘭丸「明智軍と見受けます!!!」
光秀による裏切りだと回答。
蘭丸の報告を受け、信長は次の言葉を発します。
信長「是非に及ばず」
光秀の率いた軍勢は1万3000。
毛利征伐のため戦闘準備を整えた明智の大軍に対し、本能寺に滞在する兵力は、数十人の小姓衆と御番衆(警固の者たち)。
これから起こる出来事は、およそ"戦い"とよべるものではありません。
明智家臣「かかれぇぇぇーーーーーー!!!!」
明智軍「ワァァァァァーーーーーーーー!!!!!」
巨大な暴力に蹂躙される本能寺。
次から次へと内部に侵入する明智軍に対し、信長たちはあまりに脆弱で、あまりに無力。間断なく押し寄せる武力に抗う術など持ち得ません。
しかし、
小姓衆「ゥルアァァァァァーーーーーー!!!!!」
信長の家臣たちは、大軍勢に攻めかかります。
突如たる襲撃に一瞬怯んだ身体。ですが、すぐさま”果たすべき使命”が頬を叩き、小姓衆は目前の兵士に向かって行きます。
敵の中に飛び込み、斬りかかり、明智軍の侵攻を捨て身で食い止める彼らの思考は、一つに統一されていました。
殿をお護りするんだ——。
主君を護るため、命を振り絞り戦う若者たち。
そして、信長自身も……。
明智家臣「かかれぇーー!! かかれぇぇーーー!!! 信長の首はそぐそこだ!!! かかれぇぇぇーーー!!!!」
ギリ………ギリギリ……
明智軍「オオオォォォォーーーーーーー!!!!!」
ヒュンッ!!!!!
明智軍「グゥァァァーーー!!!」
弓を手に取り、矢を放つ信長。
弓の弦(つる)が切れれば、新たな弓に持ち替え矢を放ち、その弓も使えなくなれば、槍を手に取り、迫り来る敵に敢然と立ち向かったのでした。
自ら前線に立つその姿は、若かりし頃、巨大な敵・今川義元を倒した「桶狭間の戦い」を彷彿とさせます。
が、しかし。
信長のもとに、再びあの奇跡が降り注ぐことはありません。
御殿からは火の手が上がり、織田家臣たちは圧倒的な兵力を前に、斬られ、突かれ、討たれていきます。
肘に槍の傷を受けた信長は、
信長「女たちはもういい!! 急いでここから逃げろ!!!」
女房衆(女性の使用人)を逃し、ここに自分たちの未来がないことを認めたのでした。
業火に覆われた本能寺。
信長は、御殿の奥深くへと歩を進めます。
部屋に入り、戸を閉め、すべてが崩れ去ろうとする空間で信長は、自らの命を絶ちます。
享年49(満48歳)。
戦国時代に確かな軌跡を残した織田信長。その最期を見届けた者は、誰一人としていません。
はい!
というのが、『本能寺の変』の流れでございます。
このあと、近くにいた信忠(信長の長男)も、光秀に追いつめられ自害(切腹)。これで、織田家への謀反が完成です。
ホントに何度見ても、小惑星が左側頭部にぶつかって右に倒れた首が戻らないぐらいのインパクトですよね、本能寺の変て。
さて、流れはお届けしました。
が、
"光秀が信長を裏切った理由"の説明をしてないから、モヤついたままじゃありません?
ということで、次回。
本能寺の変における最大のポイント、
"明智光秀の動機"
を、お届けします。
動機 〜 光秀が信長を討った理由 〜
さて、本能寺の変パート3です。
が、まずはおさらいから!
少ない人数で本能寺に泊まる信長。
↓
中国地方へ向かうはずの光秀が本能寺に向かい……。
↓
『本能寺の変』が起こっちゃう。
↓
ちょっと待って、光秀の動機っていったい…?
前回予告した通り、このパート3では光秀の動機についてお話したい
ところなんですが……
できないんですよ。
なぜなら、
わっかんねーから。
そう、光秀が信長を裏切った”本当の理由”は、
いまだにわかってないんです(ひっぱったのにごめんなさい)。
そして、これこそが
「『本能寺の変』を有名にした最大の原因」
だったんですね。
超大きな事件なのに「そこわかんないのかい」というギャップがすごすぎて、みんなの興味が津々らんらん。
光秀はなんで信長を裏切ったのか。彼の"動機"がわかる史料が残ってない(見つかってない)から、いまだに理由は謎のままです。
でも、答えがないからこそ、推理推論推測憶測、予想に夢想に仮想に妄想、仮定推定断定想定、海老チリ麻婆に青椒肉絲、
もぉーありとあらゆる説(最後のは関係ありません)を、プロも素人も自由に展開することができた結果……
さまざまなエンタメで取り上げられる極上コンテンツになっちゃった、それが、
『本能寺の変』。
なんですね。
しかし、”光秀の動機”の手がかりがまったくない……わけじゃないんです。
実はちょーっとだけとっかかりがありまして……
むかしから、こんなこと言われてるのってご存知ですか?
「残虐で革新的な信長に、生真面目で保守的な光秀がついていけなくなった」。
そう、考え方や性格の違いから、
「2人のあいだにでっけー溝ができたんじゃねーのか?」
なんていわれてるんですよ。
その中でもわかりやすいエピソードありましてね、それが
「比叡山延暦寺の焼き討ち」
って出来事なんです(【長篠の戦い】のエピソードの中に出てきたね)。
これ、ざっくり言うと、
〈延暦寺というお寺と敵対した信長は、そこにいるお坊さん、関係する女や子どもまでもを大量虐殺し、山もお寺も燃やしまくった。
それを目の当たりにした光秀は、
「最悪だ……。これはやりすぎだよ信長さん!」
と、心の中で超反発した。〉
というものです(詳しくは詳しい本を読んでください)。
これどうですか?
そりゃ光秀怒りますよね。「真面目で保守的」な彼の性格からすれば、信長の「残虐っぷり」は許せるわけがないし、2人のあいだに大きなズレが生じたのは確定的。
たしかに、『本能寺の変』のキッカケになった匂いがプンプンします。
ただ、このエピソード……おそらく成立しません。
なぜなら、
2人のキャラが違うから。
「いやいやいや、信長は残虐で革新的でしょ笑」
と、うすら笑いになる人もいっぱいいると思います。
そりゃそうですよね。これまで語り継がれてきた信長のイメージをまとめると、
『独創的で天才的なアイデアをいっぱい出した、戦国時代の革命児!』
『逆らう者は皆殺しにする、残忍で凶暴な独裁者!』
『古い伝統や社会をぶっ壊し、武力で天下を統一しようとしたスーパーヒーロー!』
といった具合になりますから。
でもね、最近見直されてる"リアル信長"は、これまで語り継がれてきた…みんながいだいてきたイメージの、
ほぼ逆です。
ま、ほぼ逆は言いすぎか……。でも、そのくらい"リアル信長"と"イメージ信長"とでは、違う部分がドーーッサリとあるんです。
そんで、それは光秀もおんなじ。
では、一体どんなところが違うのか?
さきほどお伝えした「比叡山焼き討ち」のエピソード。これは言ってみれば"イメージ"です。
"リアル"の「比叡山焼き討ち」には、
「そんなに焼いてないかも…」
という説があるんですね(比叡山を調査してみたら、そこにあった建物は信長の時代より前に廃絶したものばかり。だから、実際に信長が燃やした建物は、"ほんのちょっとかも"……の可能性があるんですって)。
それでも「比叡山焼き討ち」があったことはあったんですが、その中で一番がんばった家臣がなんと、
明智光秀。
反発するどころが、自分から進んで焼き討ち頑張っちゃってる可能性が高いんです。
てことは、つまり……
焼き討ちの話が盛られちゃってる(可能性がある)から、信長がどこまで残虐だったかはよくわかんないし、光秀も保守的どころかイケイケ……ってことに。
あれ?
HNH(本能寺の変)のわずかな手がかりさえ消えちゃった……。
ちょっと待ってよ。じゃあ信長と光秀のリアルって……?
さ、ではこのバツグンのタイミングで、『本能寺の変』でいっ……ちばん重要なポイント、
「信長と光秀って、ホントはどんな人だったの?」
というお話にうつりましょう。
なんで裏切った? とか、なぜ裏切られた? の、核になる部分。
2人がどんな人かもわからず動機を探るなんて、まさに
"隣の山の空賑わい"
ですからね(こんなことわざありませんよ)。
ほんじゃまず、明智光秀さんから……と言いたいところですが、絶対かなりのボリュームになる予感がひしひしとするので、次回!
「光秀ってそうだったの!? 信長ってそうだったんだ!?」
で、お会いしましょう。
本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!