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応仁の乱

応仁の乱。

「あーなんか聞いたことあんな」という人も多いのではないでしょうか。

戦国時代の幕開けとなった戦いとして"名前だけ"はかなり有名。
ただ、この応仁の乱が起こったきっかけが、もうメチャクチャにややこしいんです。
文章だけで伝えるとするなら何千字、何万字を要することになるでしょう。

が、

みなさんが2、3分で読めるようになんとか端折って、かつ噛み砕いて書いてみますので、ご一読いただけるとはにかみます。

室町時代の第8代将軍に「足利義政」という人がいました。
この方、若いころは「強い将軍を目指すぞ!」と意気込んで政治に取り組んでいたのですが、まわりの守護大名たちに

「あ、大丈夫す。こっちでやりますんで」

と相手にされず、全く思うような政治ができません。
こんなことが何度も何度も続き、義政の心はとうとう折れてしまいます。で、

「あ、引退しよ」

という結論に至ってしまったのでした。

そうと決めたら跡継ぎです。自分の跡を継いでくれる息子を将軍……

「ん? ちょっと待って。オレに息子いねぇじゃん」

重大なことに気づきます。
そう、義政にはこのとき、跡継ぎたる男子がいなかったんです。

どうすかっなぁと思案する義政ですが、やがて彼に一つのアイデアが。

「弟に継いでもらえばいいじゃんか!」

子どもがいないなら弟。何も血縁者は息子だけじゃない。
よし、じゃあ早速……と思ったのだけれど、ここでも新たな問題が勃発です。
跡を継がせようと考えた弟くん、

現在出家して、お坊さんになってたんですね。

でも
やっぱり
将軍やめたい!

不屈の闘志。初志貫徹。
これだけ強い意志があればそのまま将軍やれよとも思いますが、義政は弟くんに頼み込むことにします。

義政「頼む! 将軍やってくれ!」
弟「無理ですよ。僕はもうこの道で行くと決めたんですから」
義政「そこをなんとか!」
弟「だから無理です」
義政「無理じゃない!」
弟「無理じゃないってなんだ! 無理です! ハァ……。それに、お兄さんだってまだ若いんですから、子どもが出来る可能性だってあるでしょ?」
義政「大丈夫! もし子どもが生まれたとしても、次期将軍はお前に任せる! そのための誓約書だって書くぞ! な、頼む! な!?」
弟「………わかりました」

こうして、義政の必死のお願いの末、弟くんはこちらの社会に戻ってくることに。
名前を「足利義視」と改め、次期将軍として義政の養子となったのでした。

と、いうところで子どもが生まれます。

なんと、義政と、その妻・日野富子との間に男の子が生まれちゃったんです。
がしかし、義視は義政から将軍就任の約束をもらってるので、男子が生まれようとも特に関係はありません。
もちろん、反対する人がいなければ。

日野富子「ぜってぇ! 認めねぇ!!」

反対する人いた。

自分の子どもが産まれた日野富子は、義視が将軍になることに大反対。

富子「なんで旦那の弟に将軍の座を渡さないとダメなのよ! 私の子どもが生まれたんです! 次の将軍はこの子に決まってるでしょ!」

強烈なワガママを発揮する日野富子。
ですが、義視もそこは譲れません。

義視「だまらっしゃい! オレは兄さんから将軍就任の約束をもらってるんだ! 次の将軍はこのオレだ!」

両者一歩も引かず。将軍家は2人のいがみあいで、お家騒動へと発展します。

でもね。
2人の争いで終わってたら、"あんなことにはならなかった"かもしれない。

最悪なことに、それぞれが自分の支援者として、とんでもねぇモンスター大名を連れてきちまうんです。

日野富子が、山名持豊(宗全)という守護大名を。
足利義視が、細川勝元という守護大名を。
お互いが幕府の中の実力者2人をバックにつけたもんだから、ここからガチの戦争へと雪崩れこんでいくんですよ。

さらに、このタイミングでいくつかの守護大名の家でも相続争いが起こっていて、それぞれが山名側と細川側につき、どんどんどんどん戦いの規模がスケールアップ。

我が子かわいさの母のワガママが、やがて
西軍(日野富子・山名宗全ほか)
東軍(足利義視・細川勝元ほか)
という、有力守護大名を二分する大きな戦いに発展していったのでした。

というのが、「応仁の乱」のきっかけエピソードでございます。

いかがだったでしょう。
どうにかこうにか分かりやすくするため奮闘してみたのですが、ご理解いただけたでしょうか?

最後に、みなさんに知っておいてもらいたいことを一つ付け加えて終わりにしたいと思います。
ここに書いた「応仁の乱」のきっかけですが、

ほとんど間違ってます。

これは従来の説。
なんなら今も教科書に載ってる"昔言われていた説"です。

ここ5、6年の間に研究が進み、今まで言われていたこちらの説には信憑性がないことが発覚しました。

冒頭に「応仁の乱はややこしいんです」と申しましたが、ここに書いた今までの説は割と分かりやすい。
本当にややこしいのは、"リアルな応仁の乱"。

応仁の乱が起こった"本当の理由"が、もうメチャクチャにややこしいんです。

それはですね……

本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!