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春はあけぼの

清少納言は、枕草子を
中宮定子を偲んで書いたのか。
あの美しかった日々を
あの愛おしい時を
形にとどめるために書いたのだろうか。

たった一人の悲しき中宮のために
枕草子は描き始められた
    大河ドラマ「光る君へ」

世界はこんなにも美しいのだと
この美しい世界の真ん中で
光輝く貴女様に
もう一度笑ってほしいと

春はあけぼが美しい。
清少納言は、この一言だけで、
1000年後にも愛される。
何故なら、
「春はあけぼの」
という言葉は、
日本人の美意識の結晶
ともいえるから。

春はあけぼの
春は夜明け
やうやうしろくなりゆく山ぎは
だんだん白んでゆく山際の空
すこしあかりて
ほんのりと明るくなって
紫だちたる雲のほそくたなびきたる
紫がかった雲が細くたなびいている
(のが素敵)

清少納言は、

春のかわたれの美しさを
秋は夕暮れ(たそがれ)
と、対称にして
冬はつとめて(早朝)
と、時間の経過
(あけぼの(かわたれ)
→(つとめて(明け切った朝)
で、「うつろい」
を描く。
春:雲・紫・光
夏:月・蛍光・雨・闇(黒)
秋:夕日(紅)・鳥(烏・雁)・虫の音
冬:雪・白・炭(赤)

清少納言は、
日本人が美しいと思う
あらゆること
を描き出している。
しかも
清少納言は「言い切る」
おかげで、
1000年後のぼくたちも
迷うことなく、
「春はあけぼの」
と、受け入れることができる。

ところで、
四季のそれぞれの美しさ
を描く中で
清少納言は、

をあげていない。

「雪月花」
「花鳥風月」
日本人が美しいと思うもの
に、必ず挙げられる「花」
四季折々に花が咲く
どんな季節にも花が咲く
という日本の風土の
「特異性」「豊かさ」
を、清少納言は、知らなかったから
なのだろうか。

そうではない
と、ぼくは思う。

花という美しいもの
を、加えずとも
世界はすでに
こんなにも美しい。

そして
中宮定子さまこそが
その美しい世界の真ん中で
咲き誇っている

清少納言は、
そう微笑んでいる。



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