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「闘う」が大切だと思うこと

先週は、何とも言えない文章だった。
それなら今週は大丈夫?と言われると任せてくださいとは言えない。
ただ2月を終えて、ひと月を振り返った時に思うことがあって、それについて書こうかなと思えた。
そこだけ考えれば前回よりマシかな…?

それが「生きる上で闘い続けるモノがあった方が幸せ」という内容である。
何か大げさな言い方になってしまったのは申し訳ない。
要するに挑み続けたい事や、姿勢でもいいがそう言ったモノがあった方良いという事である。
ちなみに、これは基本は「自己へ」の事で、「他者へ」ではない。
だから「戦う」ではなくて、「闘う」なのである。

大切なのは自己と向き合い、これまでの自分と闘う事。
その時、他者は参考にしてもいいかもしれないが、競う相手ではないという事。
理想的な形としては、追求していくモノが、後に他者に良い影響を与えられる用になる方が好ましいかもしれない。

だからと言って、「闘う」とは職人的な技術を磨いていく事だけではなく、好奇心からいろんな分野に興味を持ち、新しい分野に取り組んでいく事も当てはまると思う。

新しい事は、未経験な分野に立ち向かう事になるので、それも十分に「闘う」に当てはまると思う。
他者に誇れるとか関係なく、自分という人の単位で見た時に、そこに挑戦、成長があるのならそれ良いと思う。
そう思うと好奇心は「闘う」において大切な要素かもしれない。

先月はそんなの人と出会うことが多かった気がする。
どの人もお会いして話していると、何気ない感じがするのだけど、目の奥の方であったり、発せられる端々から、「今よりもっと…」という雰囲気が感じられて、自分は人に恵まれているなと思うと同時に
― 自分もそんな人になれるように頑張らないと
と思えた。

今思うと自分の周りには「このまま停滞していたい」「過去のあの時に戻りたい」という人が少ない気がする。というか思い当たらない。
それは自分が、そういう人を知らないうちに選んで付き合っているのかもしれないし、実際には相手にそういった部分もあるのかもしれないが、そこまで見れていないだけなのかもしれない。

これを書いている時に、ふと今の自分を確認してみたくなった。
自分は闘えているのだろうか?
スケジュールを見ると、仕事が疎らな日が続いていて、少し不安になってしまった。
見なきゃよかった…

ただ、不思議なもので、時間がある時に何をするかによって今後の流れが決まったりする。
例えば、新しい事を勉強したり、先品撮りをしたり、部屋の整頓をしたり、納期前の仕事を早めに作業したり。
ここで怠けてしまうと、仕事は来なかったりする。
オカルトな話をするつもりはないが、これまでの経験上その確率が多かった。
いろんな本に書いていることは強ち間違えではない気がする。

ただ、それを基本のフォームとしつつ、違う方向からの視点も入れていく事が大切で、それが見識を広がる事も忘れてはいけない。

たぶん年に何回かある踏ん張り時だろうと思う。
しっかり闘わないと!

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