見出し画像

余白

数日空いてしまった…
決まった曜日にアップしようとしていたが、何となく書けなかった。
「こんな事を書いてみようかな…」
と書き溜めたメモを見ると
「これについて書かないと…」
となり進まなかった。
メモから離れて何となく過ごしていたら余白についての話を耳にして書いてみようかなと思えた。
やっぱり押してダメなら、引くと良いのかもしれない。
 
何をどれだけ伝えるのか
それがとても難しい
 
完全なものはそこで完結してしまうイメージがある。
そこに他者が入り込む隙はない。
それ故そびえたつように存在感を放つが、奥行きを感じられない時がある。
 
不完全なものはいわゆる未完の状態になる。
もちろん何をもって未完とするかは個人の意志によると思う。
ただ、そこに他者が入り込む隙間があり、それによって完成する。
勝手ながらそんなイメージがある。
その幅は他者の併せ持つ世界観に委ねられる。
 
完全なものは最後まで線を引いてあるので、そのラインに沿って歩く必要がある。
不完全なものは最後まで線は引かれていない。
しかし最低でも半分以上は線を引かないと他者が初めの段階から散らかった方向にそれぞれが進んでしまう事もある
なので理想は8割位のところまで引いたら、そこで線を止める。
 
どちらもいいと思うが、個人としては不完全なもの、伝えすぎないものが好きだ。
そこに他者が入り込むことで完成するのが理想的だなと思っている。
 
どれだけ時代が進んでも他者がいないと自分は成立しない。
完全に自分のみで自分のことを証明するのは難しい。
 
あと違う話になるかもしれないが、写真集やSNSは世に出した瞬間に完全に自分のものではなくなる。
他者が見る限り、その表現物は完全には自分のものではなくなる。
 
写真に思いを添えるのもいいけど、中には一方向にだけ理解してほしいという思惑が強くなっているものもある。
 
気持ちは分かるが追ってはいけない気がする。
ただそこにいて集まってくれる人を大切にしたらいいのではないかなと思う。
 
また、余白には余裕や遊び心も含まれているように思う。
自分が撮影に臨むときは、最低限の事は決めて、あとはその時の流れに任せている。
その方が何となく写真が良さそうに見えることが多い。
 
行き当たりばったりといえばその通りかもしれないが、案外どうにかなるし楽しかったりする。
 
何か同じようなことをくだくだと書いてしまった…
お酒は飲んでいません。
こんな拙い文章ですが、これからもお付き合いいただけると嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?