見出し画像

あの時、出会わなければ…

今週は嬉しいことがあった。
持ち帰り仕事(宿題)が土曜日の夕方時点で終わっていたのだ。
週末を気楽に迎えることができる。
昨日の夜つい浮かれてしまい、スナック菓子を食べて(お酒を飲まないので)背徳感をいっぱいの夜を満喫した。
今日からはちゃんとします…

先日、伊集院さんの大人の流儀名言集の本が出ていた。
撮影の合間の時間がかなり空いて、たまたま本屋に寄った時に見つけることができた。
手に取って目次を見ると何人かの追悼の短い文章も入っていた。
近藤真彦さんに、前原雄大さん、サントリーの佐治信忠会長、阿川佐和子さんなど、エッセイでも何度か出てこられた生前親交があった方々が、伊集院さんへ追悼の文章を寄せられていた。

実はネットの記事で出版の話は知っていて、その時に文章を寄せる方のラインナップで加藤シゲアキさんも入っていた。
どんな文章を書くのか楽しみにしていたけど、この方々の中に入るのは難しかったのかもしれない。
どこかで短編集でもあれば読んでみたい。

改めて目次に目を通すと、あの話だな…と思い出して頷けるものが多かった。
いくつか挙げてみたいなと思う。

― ”蘊蓄“という言葉があるが、あれも大嫌いである。品性のかけらもないよくわかる。特に写真の世界には多い気もする。あのカメラがとか、あのレンズがとか。
それよりも大切なのは、そのカメラで本人が何を撮れているのかだと思うし、もっと感覚的なことでいいじゃないかと思っている。
撮りたい対象の為にカメラ、レンズを選ぶのはいいかなと思うけれど…

― 私はおそらく属することが嫌いなのだろう
これは同感…というのもそもそも自分がそんなタイプで、つるんだり群れたりすることが苦手である。群れるとどうしても公共の場で声が大きくなるし、そういった場での責任の所在が薄れる感じがしてあまりいい感じをもてない。

― 哀しみをやわらげてくれるのは、一番は時間である。
これは自分の経験というより周りの人を見ているそう思える。
哀しみに直面したその時は「どうして…」と思っている人でも、時が経つにつれて次第に前へと歩き出し始める事が多い。
歩き出しの時は少し弱さが見える時もあるけど、次第にその哀しみを抱えながらしなやかで強い歩みになる人が多かった。

ページを捲ると、1つの言葉につき多くても2~3ページだったので読みやすいかったので、空き時間の長さに合わせて読んでみたいと思う。

改めて伊集院さんの本に出会わなければ、自分はどうなっていたんだろうと考えた。
伊集院さんの本は何処か、よく行く居酒屋(実際にそんなお店はないけれど)の年上のやさしい常連さんのような雰囲気がする。
たまに「人生でこれだけはするな!」とか、「そんなことがあったのか⁉まぁ人生いろいろだよな…」と時に厳しく、時に優しく包んでくれるような、
そしていろいろ教えてくれながら、最後は笑って流すようなそんな雰囲気がある。

若い時の自分を支えてもらったと思う。
きっと読んでいなければ、今よりもっとロクでもない人間になっていただろう…
改めて、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

これを書いている昨日のこと、YOUTUBEで好きなアニメのトークショーを見つけてしまい、ウォーキングしながら聞いていた。
もう25年以上前のアニメの話である。
どうしても書きたい内容だった。
最近好きなものを書きすぎかな?
そのネタはまた来週で…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?