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活動家に対して自分の意見を言った罪ー小宮友根さんの私の『現代思想』への批判を再批判する。

小宮友根さんが私の『現代思想』「『女』の境界線を引き直す―『ターフ』をめぐる対立を越えて」(千田有紀)について、『現代思想』の千田論考についてで批判して事について、軽く反論しておきます。私のこの論文は、「論考」であるようです。清水晶子さんも藤高和輝さんも、みんなで私の論文は「論文などではない」「あんなの論考で十分だ」というなぜかよくわからない「論考」という言葉を貶めるゲームを粛々と続けられていることが、面白すぎます。学者ですよね? そんな違いがこの2つの言葉にあったんですね(棒)。興味深いことです。こういういじめは楽しいですか?

こういやつね。引用先は小宮さんのブログです。小宮さんのブログのタイトルは、frrootsのtwitter補完メモです。frrotsというのはTwitter(現X)の小宮さんのアカウント名。そこで繰り広げられている言説の補完をするものだそうです。さてそれではこの5年間、小宮さんが書かれた最新ブログ5本を見てみると、『現代思想』の千田論考について(2020年2月23日)、千田有紀「LGBT法案をめぐる攻防が炙り出した『ねじれ』」についての補足(2021年6月27日)、『社会学評論』の千田論文について(1)(2022年4月17日)、『社会学評論』の千田論文について(2)(2022年4月17日)、『社会学評論』の千田論文について(3): スコットランドの事例(2022年8月11日)、すべて私への批判です。小宮さんがTwitterでいかに私に粘着していたのかよくわかる歴史となっていますね。まぁ言いたくないけど、ストーカーですよね。

しかも「補足」って、他人の文章への「補足」って新しい日本語のあり方の提案でしょうか? また『社会学評論』の(1)は、私の論文の構成などの書き方指導をしてくださっています。が、どう考えても私の論文のほうがよくないか?大きなお世話だわ。小宮さんが指導するのは、ご自身の学生の卒論でいいんじゃないかと思います。言いたくないが研究者としてのキャリアも年齢も私のほうが上であり、こんなわけわからん指導はまったく求めていません。端的に言って失礼だと思いますが、小宮さんをここまで突き動かすものは何なんでしょうか? 

ところでこの『社会学評論』のジェンダー論の現在の特集は、公募によって私の論文が掲載されたわけですが、小宮さんは「公募は査読が甘いんだぁ!」と絶叫されていました。小宮さんは公募の締め切り日に自分も投稿されたような旨を、Xに投稿されていましたよね? 小宮さんは応募されて落ちたんですか? いつまでも答えてくれないので、また聞いておきます(でもこの質問をするようになったら、ぴたりと小宮さんからのストーカーのような絡みがなくなったのでよかった。なので答えてくれるまで何度も聞く予定です。何か書くたびに、難癖をつけられて、この5年間うんざりしてきましたから)。

それでは小宮さんの批判を見て行きます。私の主題設定について。

「誰がトランス排除的なフェミニストであるのかをめぐって争いが起きている」と書かれていて、どうやらこれが「『ターフ』をめぐる対立」と言われるもののようだとわかります。しかし、この1年くらいTwitterで多少なりともこの問題をウォッチしてきた者として言えば、「誰がターフなのか」という争いはあまり(というかほとんど)見たことがありません。

小宮友根『現代思想』の千田論考について

ん?そうなんですか?Twitter上でターフ(トランス排除的ラディカルフェミニスト)と思しき人を特定しては、「○○さんをフォローしてはいけない」「○○の意見はリツイートしてはいけない」「いいねするなんて、こんなひとに賛同するんですか?」ってそのひとにかかわったひとに突撃し、フォロー罪、リツイート罪、いいね罪を繰り広げ、ターフ批判、ターフを孤立させることにいそしんでこられたと思っていましたが…あれは幻だったんですかね? まぁ最近のXの雰囲気は、かなり改善されたので、何か遠い過去を思い出して感無量になってしまいました。いけないいけない。

次の1節の批判。

では「プライベートな場所の性別分離のあり方」をめぐる日本での議論が紹介されるのかと思うとそうでもなく、そこで書かれているのは千田さん自身の主張です。しかもそこでおこなわれているのは日本のトランスアクティビストの発言に異論を唱えることです。

 ひとつは「今日明日にでもペニスをぶらさげた人が女湯に入ってくるかのようなイメージを喚起するのはあきらかにトランスジェンダーの排除を意図したデマです」という三橋順子さんの発言に対する、「将来の不安がかき立てられているという側面があるのではないか」という主張。

 もうひとつは「ターフがペニスのことばかり語っているのは異常な光景だ」という畑野とまとさんの発言に対する、「彼女たちの意味世界に寄り添えばそれは十分理解可能だ」という主張。

 このふたつの主張はどちらも問題含みだと思うのですが*1、それよりわからないのは、なぜここで千田さんが突然自分の主張をしているかです。

小宮友根『現代思想』の千田論考について

このまとめ自体にも悪意があって、三橋順子さんが特例法があるからペニスのある女性は女湯には入ってこない、という批判に対してのリアクションですね。いまや特例法の生殖要件は違憲とされ、そのなかの外観要件もホルモン治療で行けるという判決が出てしまったので、いやまさに「将来の不安」が的中したわけですよね。いちおう私の論文の該当箇所を置いておきますね。

しかし将来的に手術要件が廃止されたら、議論をしなければならない懸案事項であることが、逆に確認されてしまっている気もしないでもない。すでに「トランス女性が女子トイレを使うのは「権利」であり、手術要件がなくなったら、女湯に入ることを認めなければならない」といったツイートも確かに見受けられる。 こうした風呂をめぐる議論は、今現在と言うよりは、将来を見据えているからこそ不安が掻き立てられている側面があるのではないか。

『現代思想』「『女』の境界線を引き直す―『ターフ』をめぐる対立を越えて」(千田有紀)

それとも小宮さんは、「ペニスのあるひとが女湯に入ってきたら」という不安自体が差別だという立場ですか?でも、これは欧米などでの典型的な「デマ」でありえないのだとLGBT法連合会ですら否定してましたよね。どっちの立場なんでしょうか?(答えを知っていますが聞いてみました)。

畑野とまとさんのところの該当箇所も引用しておきます。

トランス女性の「権利」を擁護するひとは、ターフが「「ペニスが嫌いだ」といいながら、ずっとペニスについて語っていること」を「すごく異常な光景」「日本における特殊な「闇」と断じる(注13)。「嫌い」というよりは、「怖い」という文言が多かったと思うが、Twitter 上では性暴力の後遺症のPTSDで男性器が怖いなら、「病院に行け」というような乱暴な言葉も飛び交っていた。

『現代思想』「『女』の境界線を引き直す―『ターフ』をめぐる対立を越えて」(千田有紀)

この注の13がとまとさんの発言ですね。性暴力の後遺症で男性器が怖いっていうのに理解を示したらあかんのですか。そうですか? 私は理解可能ですけど、理解可能とか言ってすみませんでした。

そこで書かれているのは千田さん自身の主張です。しかもそこでおこなわれているのは日本のトランスアクティビストの発言に異論を唱えることです

小宮友根『現代思想』の千田論考について

三橋順子、畑野とまとという日本のトランスアクティヴィストの発言に異論を唱えて、私の主張などしてすみませんでした。アクティヴィスト発言に異論唱える罪。でもアクティヴィストのいう事を全面的に受け入れなければならないとしたら、もうそれは学問じゃないと私は思っています。小宮さんとは学問観が違うんですね。

次の第2節。もう息切れして飽きてきた…。

私も20年近くジェンダー論を勉強していますが、この三段階説は寡聞にして聞いたことがありません。私が不勉強なことを差し引いても、決して一般的に流通している説でないことは確かです。「私なりに大雑把に分ければ」と書かれているので、千田さんオリジナルなのかもしれません。
 さて問題は、オリジナルなことではなくて、この三段階説がよくわからないことです。私には、そもそも「段階」として成立していないように思えます。
 マネーのような性科学者を「ジェンダー論」と呼ぶことには違和感があるし、バトラーの読解にも異論はありますが、それはおいておきます。大雑把に「『性別は社会的に構築されている』という主張を学者が推し進めてきた」というくらいに受け取っておきましょう。

小宮友根『現代思想』の千田論考について

まぁ私のオリジナルですよ。オリジナルだと悪いんですか? むしろ論文においてオリジナルなことをいうのは、求められているのかと思いました。問題とされる筋合いはないです。
マネーの「ジェンダー」の概念は、ジェンダー論に大きな影響を与えなかったのでしょうか?バトラーの読解に異論があるなら、むしろそれを展開してくれてよかったんじゃないでしょうか?(あるならいってくださいよ。思わせぶりなことをいわずに)。

ここを読むと、「再構築は自由におこなわれるべきだ」というのはジェンダー論者の主張じゃなくて、(「第二段階」の主張を受けて?)一般の人びとが持つようになってきた考え方を指しているように読めます。だとするならば、なおさらそれは「ジェンダー論の第三段階」ではないはずです。「人びとがそう考えるようになっている」ということと「ジェンダー論がそう主張している」ということは別のことですから。

小宮友根『現代思想』の千田論考について

「ジェンダー論」がそう主張しているって、いつの間にかジェンダー論が主語になっていて驚くんですが(「ジェンダー論」においてそう主張されている、ってことですよね)。まぁ一般の人々はそうだけど、ジェンダー論者はそう考えていないっていうことでOKでしょうか? なら、ジェンダー論者は一般の人々とまったく異なった存在なんですか? ジェンダー論者は、異なった性別や、男女以外の多様なアイデンティティのありかたを構築することをまったく主張していないということでしょうか? 本当にそう思ってんでしょうか…。そうですか、そうですか…。

まだ論点があるのか…注1

たとえば「ペニスをぶらさげた人が女湯に入ってくるかのようなイメージ喚起が排除を意図したデマ」なのは、現在の話か未来の話かというよりも、性器はトランス当事者にとってこそ最もデリケートな場所であるのに「性器を他人に見せつけるように女湯に入りたがってる人がいる」というイメージで語ることにトランス女性への偏見があるからでしょう。そうした趣旨のことを多くの当事者が語っていたはずです。

小宮友根『現代思想』の千田論考について

んー、みんなが心配しているのは「見せつけるようにして」じゃなくて、「チンコをまたにはさんで、ちぃーっす」と、隠してはいってくる人のほうだと思うんですよね…。見せつけるひとは、警察を呼んでよいとのことなので、むしろ心配していないじゃないでしょうか。女湯をめぐる制度的な在り方を問題にしていて、別に偏見から来てるんじゃないと思います。そんなイメージをもっているひとっているんだろうか?

次は注の2

「セルフID」について読者に与えられる情報は「性自認で性別が決まる」という言葉だけなのですが、これだけ言われて問題を理解できる読者はいないと思います。法的な性別に関して言えば日本でも要件が厳しいだけで性自認にあわせて変更ができるのですが、日本も「セルフIDだ」とは千田さんは言わないでしょう。「セルフID」と言われていることについて考えるには、法的な性別の変更の要件(SRSを要求するのか、医師の診断を要求するのか、RLEを要求するのか等)が他国でどう変わってきていて、それに対して反発する人たちがどういう意味で「セルフID」という言葉を使っているのかを知る必要がありますが、「性自認で性別が決まる」とだけ言われてそうしたことがわかるはずがありません

小宮友根『現代思想』の千田論考について

ほう。この文章をみてわかることは、私に対して「セルフIDなんて求めてない、そんなのターフの妄想だ!」という批判をする人たちが、セルフIDという言葉の意味を誤解しているという事を、小宮さんは理解してるってことですね。「それに対して反発する人たちがどういう意味で「セルフID」という言葉を使っているのかを知る必要があります」って予防線貼ってますもんね。ちゃんとそれを小宮さん自身が話されたらどうでしょうか? セルフIDというのは司法や医療によらない、性自認のありかたのみに依存して、(法的)性別を変更できることです。それ以外の定義ってあります?

おしまいです。1時間もかかってしまった。疲れた。しかし5年前はこんな文章が流通したんですね。本当にしみじみとしてしまいました。



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