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見知らぬ女子高生に「気持ち分かるよぉ…」と思わず同調したシチュエーション

道を歩きながらいつもいつも感じていること…。

なぜ、こちらばかり道を譲らなければならないのでしょうか?

お互いに道を譲り合って同じ方向に行ってしまい「あっ、あっ…」なんて二、三度そんなこと繰り返して、思わず照れ笑いし合うという方がどれだけ平和かといつも思います。

ものすごいスピードで”鬼の形相”みたいな顔つきでガシガシ直進して来る人たちをかわすのがどれだけ大変なことか…。

今日も仕事先の池袋のコンコースで何度かそんなシチュエーションがありました。

お互いに直進すれば必ずぶつかるに決まっています。どちらかが譲らなければならない…。譲らない人たちは、ぶつかってもいいと思っているのでしょうか?相手が譲るに決まっているとでも思っているのでしょうか?一度聞いてみたいものです。

その池袋のコンコースで昔、いわゆる「ぶつかりおじさん」に遭遇したことがありました。私の前を歩いていた女性にわざとガツンとぶつかってきて、その反動で後ろにいた私もぶつかられた感じでした。

私はまだ勢いが弱まっていたからよかったものの、前にぶつかられた女性は本当に痛かったと思います。後ろを何度も振り向いてショックを受けている様子でした。

その一件があってから、以前にも増して私は道を譲るようになった気がします。恐怖ですらありますからね。

仕事場に向かう通りの歩道は道幅が狭く、たとえば向こうから手をつないだカップルが歩いて来たとしたら少し自分が避けるくらいじゃないと余裕を持ってすれ違えないくらいだと思います。

今日仕事場に向かうとき、向こうから高校生の男の子の団体が15名くらい入り乱れて騒ぎながらその狭い歩道を歩いて来ました。完全に道をふさいでいる状態でしたね。

「あの集団とはどう考えてもすれ違えないよな…」と、私はあきれ顔で思わずため息をついてしまいました。

少し離れて私の前にいた女子高生は、その集団が通り過ぎるまで道を譲って黙って立っていました。

「気持ち分かるよぉ…」

彼女の背中に私はそっとつぶやきました。その子は″うるさい集団″が通り過ぎたあと、スッと背筋を正して歩き出しました。その姿が凛としていてなんだかやけに素敵に見えました。

別に彼女にとってこの歩道を通るのは家に帰るまでのルーティンであって、こんなこと日常茶飯事なのかもしれません。とるに足らないほんのささいな出来事だと思います。なんなら気にも留めていないかもしれません。

でもなんだか″やるせない″というか、あの″うるさい集団″は周りに少なからず迷惑をかけて気を遣わせているんだという自覚を持ってもらいたいよなーと、そんなことをついつい考えてしまいました。

杖をついたお年寄りや、ベビーカーに乗った赤ちゃん、さまざまな人たちが通り過ぎる歩道です。”譲り合いの精神”がお互いにないと、小さなトラブルがたくさん起きてしまうでしょう。

ところでこの”譲り合いの精神”って、いったいどこで学ぶものなんでしょうね?

親が教えるのか、学校の道徳の授業なのか、生きていく過程で自然と身についていくものなのか…。

他人に対するほんの少しの優しさを互いに持ち合えば、もっともっと生きやすい世の中になると思うんですよね…。

今日はそんなことをしみじみ感じながら、こんなことを書いてみたくなりました。

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