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母の″急激な老い″への戸惑い

母は「なんでもすぐやる課」と自負していたくらい、とにかく常に動いていないと気が済まない実に活動的な人でした。

手先が器用で趣味も多彩。これまでの人生、ありとあらゆる習い事をしてきました。油絵は数年前まで個展も開いていたほどの本格的な趣味で、絵本を自費出版したこともありました。

料理も「私は適当だから」と言いながら、目分量の調味料で美味しい料理をいつもちゃちゃっと作ってくれました。

年齢を重ねても基本的にはずっと変わらない、バリバリに活発な人でした。年齢の割には見た目も若く肌もキレイで、若く見られることが本人のちょっとした自慢でした。

3か月前のあの「接触事故」も、一人で電車に乗って「デッサン会」に参加してきた帰りの出来事でした。

3か月経って家に戻ってきた母の″急激な老い″に、私自身かなり戸惑っています。

「でした」「ました」とすべて過去形で書いている今、なんだか悲しくて少し泣けてきます。

今週は腰が痛くて歩けないという救急車騒動がありましたが、実はオムツをしないとトイレにも行けず、初めて母の"しもの世話"をしました。

救急の先生が急遽予約してくださり、術後の経過を診ていただく前にMRIの検査もしました。

病院の中、母を乗せた車イスを押しながら歩く私に「車イスの操作うまいね」と声をかけてくる母。「リハビリ2か月やって、しっかり歩けるようになって帰ってきたんじゃなかったっけ?」と私は心の中でつぶやきました。

MRIの結果を見てもどこか骨折しているわけでもなく、脚の手術に関しても問題ないと主治医の先生のお墨付きをいただきました。転ぶのは極力気をつけて、どんどん歩かないと…と。

でもタクシーに乗るのも一苦労で、タクシーを降りてから家に向かうまで杖と私の腕をしっかりつかんでおっかなびっくり歩く母。

最後の面談後のリハビリ中の転倒事件さえなければ、こんな風にはならなかったと思うと正直悔しい気持ちもあります。

最後の面談の日は、杖をつくことも忘れてスタスタ歩いていたんですから…。あの時の姿と別人の今の母の姿が、見ていて本当に切ないです。

リハビリ病院では「私、薬の管理は自分でできます!」と看護師さんに言って薬を飲んでいた母が、今は簡単な痛み止めの薬も自分で管理できない感じで驚くしかありません。

人間は、こんなにも急激に老いるものなんですね。

これまでが元気過ぎた母なので、その分が今来ているということなんでしょうか…。

でも「老いては子に従え」という言葉がまったく当てはまらず、「私はまだまだなんでも自分でできる!」と少々ウザくてパワフルだったあの母の姿を、もう一度見たいと願ってしまいます。

人間”ないものねだり”ってことですね。元気過ぎた頃は、もう少し頼ってきてもいいのに…と思っていたんですから…。

腰と背中の痛みさえなくなれば、もう少しは以前の母に戻れるのか戻れないのか…。

まぁるくなった母の背中を見て、これから先の生活のことをいろいろ考えていかなければ…と思う少しもの悲しい2024年6月のスタートです。

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