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「脱OX社会」をめざしたい

「河内の沢口靖子」こと、谷口真由美先生については、東京オリンピック2020開催前にあった種々のエピソードの中の一つである日本ラグビー協会理事辞任の件で、そのご高名を存じ上げていた。発売直後からあれよあれよという間に重版出来続きで、帯も新しくなるなど、今年、もっとも話題となった新書としての立ち位置は揺るがないだろう(急いで読みたかったのでKindle版だったが、再度、お目にかかる機会に備えて新書版も購入しておこきたい♡)。

ここでは、ラグビー業界のことについてコメントするつもりはなく、本書を読んで#MeTooと思った1人として、伝えたいことを残しておく。

谷口先生は、「おっさん」という存在が日本のラグビー業界の体質改善を拒んできた元凶であるとして、さらに種々の汎化を試みておられる。

私がこのとき定義した「オッサン」に、年齢や見た目は関係ありません。「独善的で上から目線、とにかく偉そうで、間違っても謝ることもせず、人の話を聞かない男性」を指します。言い換えれば「『ありがとう』『ごめんなさい』『おめでとう』が言えない人たちです。

(本書p123)

令和時代にも生息する「おっさん」の定義を抜粋しておこう。
●「ムラの長」には絶対服従。しかし立場の弱い人間には高圧的。
●理屈ではなく、慣例や同調圧力で部下を黙らせる。
●とにかく保守的。新しい技術や価値観には無関心。
●部下の功績は自分の手柄。

(本書p124)

おっさん」が知る女性の種類は、母親、配偶者、娘(もしあれば)、宴席で侍る女性(バーのマダム、ホステスさんなど)くらいなので、職場で対等な立場で働く女性に対しては、どう接して良いのかわからなかったりするようだ。

若い男性であったり、女性でも「おっさん」的な言動をする方を目にすることがある。それは、意識的であれ無意識的であれ、「おっさん中心社会」に適応する為のストラテジーなのだろう。

ところで、本書の最初の帯はこちらだった。

それが以下に変わったという点に興味を持った。

初版から3刷までと異なる帯に注目。

つまり、最初、想定されていた読者層は、ラグビー業界の裏話を知りたい方だったのかもしれないが、実際には、多数の「おっさん被害」に会った方々が、あるいは、おっさんの言動に困ったことのある方々が、本書を読んで共感を覚え、それを口々に伝えたのだろう。

そうだ、本書はジェンダーにまつわる「無意識のバイアス」を知るのに、格好の副読本なのだ。

実際、本書を読んで〈おっさん〉認知感度が上がり、「これも〈おっさん〉、あれも〈おっさん〉……」と、〈おっさん〉的事例を自分の中でピックアップする「〈おっさん〉バスターズ」的になっていた私……。

数日前に、ふと「〈おっさん〉化」はジェンダー依存的な差別用語かもしれないと思い、流行りに乗じて「OX」という言葉が頭に浮かび、Facebookに載せてみた。

このFacebook投稿は友達限定での公開。本note記事執筆時点で29件のコメントが付いた。

すると、ただちに「DX=digital transformation」は「ディジタル化」ではない、とご指摘を受けた。確かにそのとおり。前者は「ディジタル技術を用いた変革」なので、同じ使い方だとすると「OX」は「〈おっさん〉を用いた(あるいは〈おっさん〉による変革」が正しい応用。が、上記の定義にあるように〈おっさん〉はもっとも変革から遠い立ち位置にいる……。

ところが、そのFBコメント欄は、そこそこ盛り上がり、「自分はOXになっていませんよね?」というようなコメントもあり(←そのように感性のある方は、たいてい大丈夫です!)、用法としては「ディジタル化」的な使われ方の方が馴染みやすいのだと思われた。

もともと谷口先生の著書では、多数の「おっさんの掟」に基づいたエピソードが挙げられている。それらの背景には、ジェンダー・フリーな「昭和的習慣」と呼ぶには余りある、種々の性差にもとづく差別等がある。ジェンダー業界のキーワードとなっている「無意識のバイアス」には、〈おっさん〉的なコンテンツが多数含まれる。

どのようなときに無意識のバイアスがあるのか、気づくのが第一歩」というのがジェンダー界隈でのキャンペーンの軸足にありるが、それを実行するのは、そう簡単ではない(20年以上、共同参画活動を行ってきた体験として、自信を持って言える)。社会変革は、概念だけで実効性を伴わなければ達成できない。

例えば、人事の際の無意識のバイアスの事例を挙げておく。

●無意識のバイアスには、性別や出身地、出身校など、自分と同じないし同類集団に属する人に親近感を抱き、属さない人に警戒心を抱く「同属性」があります。選考や評価の際にそれらが影響します。
●性別、学歴、出身地、所属先、前職等の属性は特定の代表的なイメージを想起させます。これらが採否要件や評価基準に影響します。
●顔や表情、しぐさ、経歴などがこれまでに出会った人に似ていると、本来無関係でも評価に影響を与えます。
●面接の最初に「こういう人だろう」と予断・即断すると、以後の質問はその仮説を検証するためのものになります。
●採用、昇進のための評価会議・委員会では、能力や成果ではなく、性別や国籍など属性が影響します。
●早急な判断が必要な時、疲労した時、多様な情報で脳に負荷がかかる時には、バイアスが強くなります。
●業績等については、正確で妥当な情報、データに基づく判断が必要です。
●ダイバーシティ、ライフイベント(出産・子育て・介護等)の考慮についても適正な選考・評価基準の設定が必要です。
●選考、評価基準は予め設定し、人事選考に関わる委員会委員で共有し、適正に評価を進めます。
●組織への適応性は現時点での組織状況ではなく、将来像を想定した判断が必要です。

今年の男女共同参画推進センターからの冊子に掲載予定

Facebookのタイムラインを見る限り、「〈おっさん〉化」は多くの方々に刺さる言葉のようだ。それをちょっとオブラートに包んで「OX」とし、さらに「脱OX」という用語に変えると、「無意識のバイアスの払拭」という日本語よりも、たぶん浸透しやすいのではないかと思う。特定の誰かに「レッテルを貼る」のではなく、どのような態度が〈おっさん〉なのかを知り、「脱OX社会」を目指すための気付きを増やすことができればと思う。ちなみに、「脱OX社会」は、FBコメント欄に美馬のゆり先生が寄せてくださったものを拝借。響きが良くてぴったりハマる言葉だと思う。

なお、FBのコメント欄には「おばさん化は何と言うのか?」などもあった。この反応はなかなかにビミョーである。なぜビミョーなのかがわかる方は、OX感度が高いといえよう。

谷口先生は「大阪のおばちゃん」と自称されるが、この関西弁の「おばちゃん」は、むしろ、高いコミュニケーション力で困りごとや環境を改善する力があると捉えられている。周囲を見ていても、気づいたときに一言、伝えるのは「おばちゃん」の資質。これは、以前にオードリー・タン氏のAudible『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』を聴いたときに知ったのだが、台湾では男性でも「おばちゃん」的な言動の方が多いらしい。(書籍もあります)

自分の師匠が存命なので言いにくいのだが、大学院入学の際に「女性は男性の2倍の業績があって同等とみなされるので頑張りなさい」と言われ、助手から研究所の室長になるときに「これからは〈可愛子ちゃん〉とは思われないから、そのつもりで振る舞いなさい」と言われ、それらの性差別的アドバイスは結果としてサバイブするのに役立った訳だが、今の時代に同じ助言は不適切。時代に即したアドバイスをしていきたい。一言余計だと思われても「おばちゃん力」を発揮しよう。

日本全体でなるべく早く「脱OX社会」を目指すことは、ICT化、キャッシュレス化等、色々な面で遅れを取っている日本をアップデートするための鍵だと思う。

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