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ある探偵小説マニアの日記(その1)by真田啓介

【以下にご紹介するのは、「探偵小説の愉しみ」と題して私が昔書いていたノートの記事です。今から40年近く前、一人の若者がどんなミステリ・ライフを送っていたか、おなぐさみまでに。】

 1982年4月以降読んだ作品の読後感を中心に、探偵小説にかんする覚書をこのノートブックに記していくことにする。(82.7.12記)

■ ジョン・ディクスン・カー「テニスコートの謎」
 久しく絶版であった創元のカー作品集7「足跡のない殺人」の改訳新版。
 解説等で想像していたところでは、「白い僧院の殺人」ばりの、純論理的な、キッチリとした本格もののようであったので(不可能犯罪の状況設定もよく似ている)、かなりの期待をもって読んだのだが、全体の印象は、カーのものとしては中位というところか。
 第一の殺人――テニスコート――物理的トリック
 第二の殺人――劇場――心理的トリック
 前者のトリックは、驚いたことに、自分が以前考えていたものと、原理的に同じものである。このトリックから与えられる筈の意外性が欠けたために、多少点が辛くなったのかもしれない。
 1939年の作品。前年には「曲った蝶番」、同年「緑のカプセルの謎」、翌々年に「連続自殺事件」があり、初期のオカルティズム濃厚な作風から中期のスッキリした純粋推理小説へと移っていく過渡期にある。何となく作品のトーンが徹底していない感があるのはそのためか。 (4/29)

■ ジョン・ディクスン・カー「死者のノック」
 1958年作品。いささか疲れ気味。体育館の笑い声、無気味。コリンズのからみもあって、「血に飢えた悪鬼」と似た味。「血に飢えた—」よりはまとまりがある。 (5/5)

■ カーの諸作を全体的な印象で分類してみると――
1 たんまりした味(横正いうところの)
 「三つの棺」、「プレーグ・コート」、「曲った蝶番」等、初期の傑作群。オカルティズムの色彩の濃いものが多いが、必ずしもそれと直接結びつくわけではない。「帽子蒐集狂」、「一角獣」等、オカルティズムの影がうすいものの中にも、同じ味のものがある。やはり、カーの代表作はこれらの作品のうちから選ぶのがスジというべきだろう。
2 スッキリした味
 「緑のカプセル」、「連続自殺事件」、「皇帝のかぎ煙草入れ」等、「探偵小説」というよりは「推理小説」という呼び方が似合う感じの、非常にスッキリした味の作品群。
3 ゴテゴテした味
  どこか全体としてまとまりがなく、読み終えたあといささかの失望を味わう作品。「血に飢えた悪鬼」、「雷鳴の中でも」、「毒殺魔」等。
※時代ミステリはまた別。

■ 6/26、〇〇〇信用組合の口座を解約したカネで買った本。
(ポケミス)「エレヴェーター殺人事件」「一日の悪」「毒蛇」「ビッグ・ボウの殺人」「スターベル事件」「神の燈火」
(別冊宝石)スカーレット(白魔)/ヘキスト(怪物)
 それから、「裸の太陽」!
 講談社書下ろし長編探偵小説全集のうち大下、木々、香山、鮎川

■ クリスチアナ・ブランド「ジェゼベルの死」
 ミステリ・マガジンの山口雅也〈プレイバック〉で紹介され、気になっていた本。山口サンがあれほどちょうちんを持っただけのことはあって、傑作の部類に属する。
・不可能犯罪の謎の設定
・謎をさらに強力にするディスカッション
・「カーやチェスタトンも蒼くなるような悪魔的発想のトリック」
・トリックとプロットとの有機的結びつき
等々、山口氏の評言はみなうなずける。
 とくに、〇〇〇〇〇〇〇〇を使ってのアリバイ工作は、思わずうーむと唸りたくなる衝撃的な意外性がある。容疑者全員が自白する〈狂気の大団円〉も面白い。
 ただ、作者の語りめいた部分が、ちょっと気になった。パズルとの対比などはそれなりの効果をあげていると思うが、たとえば次のような部分。
「殺されるのは二人。殺すのは一人。他はすべて傍役。まさに幕は切って落されようとしている…」(p27)
 このような記述は必ずしも必要ではないし、むしろ「二人殺されたあとにはもう殺人は起きない」こと、及び「共犯説はみな誤りである」こと等がわかってしまって、逆効果ではないのか。
 それにしても、こうした記述からもうかがえるように、この作者にとって、作中人物というのはまったく将棋の駒でしかないようだ。だからこそ、ああいうトリックも考えつけたのだろう。こういう態度は多かれ少なかれ本格ものの作家に共通しているが、ブランドの場合、それがカーなどよりも徹底している。その徹底ぶりが、作品にうるおいをなくしている気もするのだが。
 ブランドの「ハイヒールの死」、中野書店で見つけたときに買っておかなかったことが悔やまれる。(そのときには、クロフツ「マギル卿最後の旅」の、いい感じの初版本もあった。)教訓。本を買うときは、カネにイトメをつけてはならぬ。 (6/28)

■ ロバート・L・フィッシュ「懐かしい殺人」
 英国風のウイットとユーモアを感じさせる会話がよい。探偵小説的趣向にはとりたてて見るべきものなし。 (7/4)

■ アイザック・アシモフ「鋼鉄都市」
 SFミステリの路標的名作として名高い作品で、読んでいないことが幾分負担だったが、やっと荷を下ろせた気分。たしかに傑作といってよいものだが、もう少し本格探偵小説の味わいの強いものかと思っていた。
 解決に至るまでの二転三転する事件解釈、意外な真犯人(もっとも、登場人物をしぼりすぎたきらいがあり、アッと驚く真犯人!という具合にはいかない)、振り返って知る巧妙な伏線(総監の懐古趣味、眼鏡)等々、本格ミステリとして見ても充分合格点をつけられる出来だが、興味の中心は、枠組みとしての未来社会――SF的要素――及びライジとR・ダニールの関係の進展にあるというべきだろう。(続篇の「裸の太陽」では本格ミステリの味が一層濃くなっているらしい。)
 SFミステリは、まだ作品数はそう多くないが、ギャレット「魔術師が多すぎる」、ホーガン「星を継ぐもの」等々、注目すべき作品を生み出しているジャンルである。探偵小説が犯罪小説化していく傾向の中にあって、この分野はその風化作用を食いとめる最後のトリデとなるかもしれない。
 読んでいる途中、随所で「鉄腕アトム」を思い出させられた。ロボット嫌いの探偵シャーロック・ホームスパン、耳の大きい宇宙人、移民、etc、 それに、「裸の太陽」。アトムにはかなりアシモフの作品の影響があるようだ。
 続けて読むべし。「裸の太陽」、「わたしはロボット」、「アシモフのミステリ世界」。また、日本のSFミステリとして、小松左京「継ぐのは誰か」etc。 (7/11)

■ 映画「第三の男」(TV放映)
 暗やみの中、窓からの光に照らされたオーソン・ウェルズの顔、どこかで見覚えがあると思ったら、思い出した。アトム「電光人間」に出てきた悪党の顔だ。
 ラスト前の追跡劇で、追いつめられたハリー・ライムが、排水溝の格子のすき間から指を出す、その指のふるえの不気味さ。
 しかし、全体のテンポはむしろ軽快で、ウイットに富んだ英国風の味。
 ホリー・マーチンス(西部劇作家?)が文芸講演会で立ち往生するあたりも面白い。しかしそんな場面でも、ジョイスの位置付けを問われて「The Third Man」と呟かせるあたり、心にくい演出である。 (7/11)

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