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ある探偵小説マニアの日記(その13)by真田啓介

【以下にご紹介するのは、「探偵小説の愉しみ」と題して私が昔書いていたノートの記事です。今から40年近く前、一人の若者がどんなミステリ・ライフを送っていたか、おなぐさみまでに。】

■ 4/30 フィリップ・マクドナルド「鑢」
 P・マクドナルドは純論理的な本格ミステリの作者としてマニアの間で評判が高く、自分の頭の中ではバークリー、ノックス等と同列に置かれるべき作家として位置づけられていた。HMMで読んだ「迷路」にはあまり感心できなかったものの、マクドナルドの名は依然として黄金のヴェールに包まれていた。
 そのマクドナルドの「ゲスリン最後の事件」が創元推理文庫で5月に刊行されるというので、入手したままだった「鑢」と「Xにたいする逮捕状」をまず読んでおこうと思ったわけだが、実のところ上記「迷路」の印象があまり芳しくなかったばかりでなく、最近「エドガー賞全集」で読んだ2つの短編があまり面白くなかったので、期待はずれに終わるのではないかという懸念もあった。
 しかしこと「鑢」にかんしては、古典的名作としての評価に偽りはなかった。英国式本格探偵小説として充分満足できる出来栄えである。
 探偵の恋愛という趣向はやはり「トレント最後の事件」を思わせるが、推理の緻密さでは「トレント」を上回る。いや、「トレント」ばかりでなく、論理小説としての水準は古典的名作といわれる多くの作品より上にあるだろう。後のクイーンといい勝負であるが、クイーンの著名作に見られる推理の冴え(傍点の付された文章がふうっと立ち上がって目に飛び込んでくるような感じ)はあまり感じられない。アクロバチックな論理展開とか、意表をつくトリックがないために、全体としての印象はかなり地味であり、もうひとつ迫力に欠ける感があるのは否めない。
 しかし、それを救っているのが英国の本格ものに特有の物語式叙述法であり、小説として、物語としての面白さである。それは各章の標題の付け方にも如実に現れている。たとえば、「偏見を持った探偵」「マーガレットの冒険」「アントニーの多忙な日」といった具合。こういう語り口に自分は弱いのだ。

 それでは覚書をいくつか――
〇マザーグースの歌が冒頭に掲げてあるが、プロットと有機的な結びつきがないので、趣向としてあまり効いていない。やはり「僧正」以前にマザーグース殺人事件はなかったのだろうか。
〇トリックは〇〇〇を使ってのアリバイ工作であり、それだけ見ると大したものではない。
〇被害者の描写はややどぎつすぎる。もっとも、そのこと自体、動機としての「憎悪」を導き出す手がかりになってはいるのだが。
〇推理のための伏線はかなり綿密に張ってあるが、多くの場合手がかりの提示にまでは至っておらず(※)、読者は必ずしも充分に推理を競えないのではないか。ノックスがその探偵小説論でもらしていた、手がかりを独り占めする探偵に対する不満を感じないこともない。ヤスリの刃の跡から組み立てる推理は面白い。(〇〇〇〇〇〇という結論じたいは想像がついてしまうが。)
〇探偵作家としてしきりにガボリオが引き合いに出されるのは(p43、72)いささか時代を感じさせる。
(「鑢」は1924年の作品。それ以前の目ぼしい長編としては、「赤い館」「赤毛のレドメイン」が1922、「樽」「スタイルズの怪事件」が1920、「恐怖の谷」1915、「トレント」1913、「黄色い部屋」「赤い拇指紋」1907、といったところ。「赤い拇指紋」のトリックを割ってしまっているのはいかがなものか。)
〇p126「それには、お答えしかねますね――素人探偵組合の規約に反しますんでね」 ※の一つの理由
〇p143 チェスタートン『奇蹟について一番素晴しいことは、それが時たま起るということだ』
〇p187 火かき棒で何度もなぐる――「恐ろしい愛」と同じ
〇p24でディグビコーツ卿のことを初めて聞くのは変では? すでにヘイスティングズと打合せ済なのだから。
〇p170 電文中「次ニハ何ガオコルカ」というのは「次ニハ何ヲスベキカ」とあるべきでは? 誤訳か?

 小林晋氏の論稿の中で「迷路」に対して自分が感じたのと同じ不満が的確に述べられているので、引用しておく。
「ここでは、小説としての面白さが犠牲にされてしまったことを指摘しておくだけに留めよう。それにしても大きな犠牲である。フェアプレイを指向しつつ、物語りの面白さを備えることもできる筈である。断じて!」

■ 5/28
〇エスパルの古書市で、探偵小説本を40冊ほど買った。大方は雑本だが、桃源社の書下ろし推理小説全集の何冊か、ポケミスのクリスチアナ・ブランド「自宅にて急セイ」(500円)なども含まれている。
 3回目に出かけたときK氏と会って、喫茶店で話をした。K氏の情熱にはいつもながら頭が下がる。時々ああいう人の話を聞くのは刺激になって良い。

〇丸善に注文しておいた本のうち、次の3冊が届いた。
・Carter Dickson「Lord of the Sorcerers」(青銅ランプ)
・   同    「My Late Wives」
・「Father Brown Detective Stories」
前二者はハードカバーのいい感じの本だが、73年出版のものだから、各1,000円をちょっと超える位の値で入手できた。ヨキカナ。後者は外国の学生向けの薄い本。

〇新刊
 P・マクドナルド「ゲスリン最後の事件」!
 ホーガン「巨人たちの星」
 ライス&マクベイン「エイプリル・ロビン殺人事件」
 ポケミス版「緋色の研究」 etc.

※新聞切抜き(ピーター・ラヴゼイ「マダム・タッソーがお待ちかね」書評)貼付

※新聞切抜き(連城三紀彦「運命の八分休符」書評)貼付

■ マージェリー・アリンガム「霧の中の虎」(HMM 324~326)
 「善と悪との比類なき闘い」といった惹句につられてビールを飲みながら読み始め、けっこう面白く読み進んだのだが、読み終えてみると、さて、それほどのこともなかったな、という感じ。というのは、「極悪人ジャック・ハボック」の悪が、それほど身に迫ってはこないからだ。したがって、それと対決する善の側――ルーク警部、というよりはアヴリル師も、それほどの輝きを帯びてこない。深夜の教会でのハボック対アヴリル師の対決が一つのクライマックスとはなっているのだが、もう一つ物足りない感じがする。
〈野獣〉は悪たりうるのか? バークリー「トライアル&エラー」の作中人物(及び作者?)の意見「ほんとうに怖ろしいのは悪ではなく無関心」も傾聴に値するが、今のところ自分はチェスタトンと共に、最大の悪は狂気であり、それが最も怖ろしいものであると考えている。
 霧は探偵小説によく似合う。

■ ディテクション・クラブ「漂う提督」(HMM 291~293)
 文庫本でも出ているが、ナラキハチ氏の挿し絵が気に入っているので、雑誌で読んだ。途中「前号までのあらすじ」で頭を整理できるので、雑誌で読んだ方がよいようだ。ただし、誤植がけっこうあるので、その点注意が必要(文庫と突き合せれば分る)。
 豪華メンバーによる華麗なアトラクションとして楽しめばよい作品で、実際、黄金時代の本格派作家たちの遊び心を充分堪能できた。「予想解決篇」も楽しい趣向だが、続けて読んでいくと少々頭が混乱してくる。終章「混乱収拾篇」のバークリーは、困難な条件をものともせずまとまりをつけたばかりか、新たなヒネリを加えてさえいる。さすがというほかない。


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