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ある探偵小説マニアの日記(その4)by真田啓介

【以下にご紹介するのは、「探偵小説の愉しみ」と題して私が昔書いていたノートの記事です。今から40年近く前、一人の若者がどんなミステリ・ライフを送っていたか、おなぐさみまでに。】

■ (8/24記)5~6日前に、紀田順一郎「推理小説 幻書辞典」を買い、その日に「第一エピソード 殺意の収集」を読んだのだが、つまらなかったせいか、そのことをすっかり忘れてしまっていた。「これから出る本」で予告を見たとき(最初は〈幻のミステリ〉についてのエッセイだと思った)から気になっていて、出るのを待ちかねて買ったわけだが(その日のうちにすぐ読んだというのは、夜見る予定にしていた映画「12人の怒れる男」が来客で見られなくなったという事情があったため。ついでながら、「12人の――」というのは、ポストゲート「12人の評決」と関係があるのかしらん)読まなくてもよかったと思うような出来である。あれほどミステリに造詣の深い紀田先生の作だから、かなり期待していたのだが。
 どこが不満なのかというに、トリックがどうこうといったこと以前に、ミステリが生まれるべき〈もう一つの世界〉が構築されていないことである。難しい注文かもしれないが、そういう〈世界〉をつくれない以上、よいミステリなど決して書けはしないのだ。せっかく蒐書という夢のある(紀田氏には「甘っちょろい」と言われるかもしれないが)テーマを扱いながら、出来上がったものはロマンのカケラもない、ギスギスした「実社会」の模写でしかない。蒐集家などというのは所詮その程度の存在でしかないのか。

■ 古書界に目をつけるぐらいのことは自分もしていた。もっとも、題名しか考えてないが。「蒐書人生」――ルブランの「刺青人生」の真似。
 あるいは、「探偵小説図書館」を舞台にする(これにはK氏の承諾をもらう必要があるが)。冒頭はこんな風に始まる。
 求人広告「求ム司書。内外ノ探偵小説ニ通ジタ方。探偵小説図書館」
 主人公たる青年が出かけていくと、面接試験があって、探偵小説のことを色々訊かれる。途中相手が中座し、いつまでたっても戻ってこない。隣の部屋を覗いてみると、その人物が死体となって――  あとは考えていない。

■ 批評家を殺す。営業妨害。

※以下、3頁にわたり創作メモあるも略す

■ 創元推理文庫の新刊、オースチン・フリーマン「赤い拇指紋」の装丁に感激している。
 白地のカバーの上の方に黒い帯があり、そこに白抜きで「赤い拇指紋」のタイトル。絵は、1911年刊行の原書再刊本のカバーから借りたもの。円形の、いかにもそれらしい絵の周囲を、THE AUSTIN FREEMAN DETECTIVE NOVELSと赤い文字がとり囲んでいる。
 カバーの上の黒いオビがまた何ともいえない。白抜きの大きな文字で、「探偵小説大全集」。このオビだけでも、500円くらいの値打ちはありそうだ。
 新刊案内の「紙魚の手帖」らんに曰く、
「ミステリ部門では、久しぶりのクロフツのあとに、名探偵ソーンダイク初登場の長編『赤い拇指紋』、ノックスの幻の長編『陸橋殺人事件』と古典的名作の紹介がつづきます。これを、探偵小説大全集と名づけてみました。今後もディクスン・カーなど、続々と刊行の予定。乞御期待!」
「その昔、抄訳が出ただけ、という作品を初めとして、まったくの本邦初紹介もヒョッコリ顔を出しそうですよ」
 いやがうえにも期待に胸が高鳴るではないか。
 さしあたり、9月には宇野利泰訳で「陸橋殺人事件」が出る。ポケミスの井上良夫訳を入手済であるが、新訳が出るならそれにこしたことはない。

■ 探偵小説の愉しみの一つに、その装丁、とくに表紙絵の味わいをあげてもいいように思う。たとえば、ポケミスの初期のもの。現在のアブストラクトも悪くはないが、あの雅趣ある具象画の味は何ともいえない。「火刑法廷」の魔女の顔、「ユダの窓」の空中に浮き出した透明な手、「道化者の死」の道化師、「学校殺人事件」のアーチのある建物、等々。未だ入手していない「プレーグ・コートの殺人」や「古書殺人事件」の表紙も、その絵のためだけにでも入手したいと思うほど魅力のあるものだった。ミステリマガジン誌上で、表紙絵展のようなことをやってくれないだろうか。
 ミステリマガジンに投書してお願いしてみようか。パトリック・バトラーの件と一緒に。

■ 8/28 サミュエル・ローゼンバーグ「シャーロック・ホームズの死と復活」を買う。もちろん買わずにはいられない本だが、たぶん読むことはないだろうと思う。
「モリアーティ教授はニーチェがモデルだった。」
 そのとおりかもしれない。あるいは、違うかもしれない。
 しかし、もしそれが本当だとしたところで、それがどうだというのだ。そのことを知ったからといって、シャーロック・ホームズ物語を読む楽しみが増すとでもいうのだろうか。
 せんさく好きな人間は大嫌いだ。週刊誌のゴシップ記事の俗悪さを身に引き受けるには及ばない。
 物語の楽しみ方は、人それぞれであり、他人がどういう読み方をしようが文句を言う筋合いではない。しかし、どんなものであれ、作品は、それじたいを、そのままの姿で味わい、その創り出す世界に没入できるとき、最も純粋な、そしておそらくは最も高い次元の楽しみ方をしていることになるのではないだろうか。

 それにしても、ここ数年、ホームズ関係の本が次々に出るので、とても全部に目を通してはいられない。
 10月には新潮社からドイル伝(著者はピアソールという知らない人)が出るらしい。来春にはさらに2冊のホームズ学文集を出す予告をしている。
 東京図書で刊行中のホームズ全集は、ベアリング=グールドの注釈が貴重だが、とてもこういう本でホームズを読む気にはなれない。原典だけの、文字通りの全集をどこかで出してくれぬものか。

 きょうは序でに、カーの「死者はよみがえる」とクリスピン「消えた玩具屋」を買ってきた。今持っている本はそれぞれ、カバーの状態が良くないので買い替えたわけだが、こういう宝物のような作品だと、何冊買っても惜しい気がしない。

■ 8/29 T氏より入手したカミ「名探偵オルメス」の前半、「圧倒的勝利」(コント19篇)を読む。
 いつもながら、名探偵ルーフォック・オルメスの活躍には圧倒されてしまう。出帆社の「ルーフォック・オルメスの冒険」と重複するもの、ミステリマガジン等で読んでいたものもあったが、どれもみな新鮮なオドロキを味わうことができた。中でも秀逸なのは、
「ヴェニスの潜水強盗」(死んだタコを自転車の〇〇〇にする、〇〇〇の弾丸で浮き上がる)、
「脱腸殺害団」(〇〇と〇〇〇を使って証拠をすべて消してしまう)、
「飛行ボートの怪」(〇〇の波の上をボートでこいでゆく)
といったところか。人形使いがギニョールを使った殺人を告白する「警官殺害事件」の異様な味も忘れがたい。
 このシリーズは、シャーロック・ホームズのパロディというよりは、探偵小説そのもののパロディであると以前から考えていた。しかし、それよりも、訳者の三谷正太氏が「あとがき」で述べている「論理の奇術」という言い方がもっとピッタリくるようだ。

■ (評論の構想)
 バークリー「第二の銃声」の序文/ジュリアン・シモンズの犯罪小説論
 探偵小説 → 犯罪小説の傾向
 原因は? ヴァン・ダイン20則中の「殺人(犯罪)を扱うべし」
 犯罪は、謎を構成する材料にすぎない筈なのに、
 犯罪じたい、及びそれを取り巻く風俗に主眼が移ってくる
 (一方で独創的トリックが出つくしたという事情あり)
 打開の方策は? 犯罪からの解放 具体例――SFミステリ 「星を継ぐもの」
 「SFミステリと探偵小説の未来」
 チェスタトン「詩人と狂人たち」の試み
 「トリック払底による行き詰まり」説への反論
 よみがえる悪意

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