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ある探偵小説マニアの日記(その9)by真田啓介

【以下にご紹介するのは、「探偵小説の愉しみ」と題して私が昔書いていたノートの記事です。今から40年近く前、一人の若者がどんなミステリ・ライフを送っていたか、おなぐさみまでに。】

■ アン・オースチン「おうむの復讐」
 創元推小全集73、7月にT氏より入手した本。
 女流作家の筆になるだけあって描写のきめがこまかい。一方サスペンスに乏しいので、冗長な感を覚えないこともない。犯人、伏線等なかなかよく考えてはあるのだが、全体的にどうも大人しすぎる印象である。
 乱歩は井上良夫あて書簡の中で、この作について「相当感心しました」と述べている。
「これはマア何という陽気な青春的な探偵小説、若い男女の歌声が作中に鳴り響いている。それでいて、犯人は終始、一同の目の前に犯人の孤独を以て悲痛を以て隠れ通していた。之は凄味です。明るくて、凄くて、不思議な小説……」
 乱歩の感想と重ね合わせてみると非常な傑作のようにも思えてくるが、これはいささか乱歩の深読みしすぎの気味がある。この作にはたして乱歩がいうような凄みがあるかどうかは疑問である。変装と「レドメイン」がお気に入りであった乱歩としては、「犯人の孤独と悲痛」といったものを勝手に読み込んでしまうきらいがあったのではないか。いずれにしろ、「凄み」というものについては、もっとよく考えてみる必要がある。あるいはこの作品、再読すればもっと面白く感じられるかもしれない。
 題名にも使ってある「おうむ」の役割があまりパッとしたものではない(重要なことは重要だが)ことも不満。
 探偵役の新任刑事ジミー・ダンディ君はなかなか好感のもてる人物である。彼の報われぬ恋には大いに同情する。(そのせいもあって、途中しばらくの間犯人はノーマの婚約者ウォルター・スタイルズであろう、そうであればよいと思ったりしたのだ。)
 細部で気付いた点を2つばかり。
〇デージー・シェパードの部屋は3階ということになっているが、p19の記述によれば3階にはジュエル・ブリッグズと女中のチルダしかいなかった筈である。
〇ダンディーがスタイルズの部屋を訪ねた時、洗たく物の中に手袋があり、それに意味があるような書き方がされていたが、その後それに関する説明がない。
 解説によれば、この作品、発表年代不詳ということである。既に昭和10年に柳香書院の「世界探偵小説傑作叢書」の企画中にリストアップされていた程の作品なのに、年代が分らぬとは不思議な話だが、翻訳にあたって初版本を参照できなかったためだろう。ただ、昭和10年(1935)に日本で出版企画に入っていること、事件の設定年代が1929年であることからして、発表は1931~2年頃というところか。カーが「夜歩く」で登場したのとほぼ同じ頃である。

■ カー短編全集4「幽霊射手」
 一昨年アメリカで編集されたディクスン・カーの発掘作品集「THE DOOR TO DOOM AND OTHER DETECTIONS」の翻訳。本書はその一部で、2月刊行予定の「黒い塔の恐怖」と合わせて一体となるもよう。
 ほとんどの作品がすでにHMM、EQ誌上で紹介済であるが、怠慢して読んでいなかったので、「死者を飲むかのように……」を除いて、今回まとめて読んでみた。ラジオドラマは、「幽霊射手」を除いて既読。
(「死者を――」は、HMMでは「死者が呑むごとく」という訳題であった。どちらが正しいのか。原題は「As Drink the Dead」。内容からしてもどちらが適当なのか、ちょっと判断がつきかねる。あるいはその両方の意味を兼ねているのか。)

「山羊の影」から「四号車室の殺人」に至るバンコランものの探偵小説は、すでにしてカーの探偵小説の主要な特徴をほとんど備えている。密室、人間消失等の不可能犯罪、オカルティズム、そして何よりもその語り口。ただ、全盛期以降の作品に見られるドタバタ喜劇調のファースの味はその片鱗も見られない。(バンコランの言動等に皮肉なユーモアはあるが。)また、ストーリー・テリングの手腕も、後の長編において鮮やかなそれほどみがかれてはいない。ただ、作者を隠して、登場人物の名を付け替えて提出されても、これだけはまぎれようのない、カーの個性を標本にしてピンでとめたような作品群である。
 細かく見ていけば、「山羊の影」について先に書きとめたような不満が各作品にないではないが(ただ、巻末で戸川氏がふれている「幽霊射手」の日付のミスというのは何をさしているのか分らない)、そうしたことをあれこれ言い立てるのは野暮というものだろう。
「正義の果て」は、原書の編者ダグラス・G・グリーンによれば「カーの中心的主題ともいえる《法と正義》の相関と相克の問題を扱っている」(p40)ということだが、それはいささか深読みで、ひいきの引き倒しにもなりかねない。仮にこの作品がそれを狙っていたとしても、その方面では成功しているとは言えないだろう。むしろこの作品は、その舞台装置において「プレーグ・コートの殺人」の、トリックにおいて「三つの棺」の原型をなしている点で興味がある。(ダーワースというのは、「プレーグ・コート」の降霊術師の名ではなかったか?)
 ラジオ・ドラマでは、再読であるが「B13号船室」と「絞首人は待ってくれない」が良い。いずれも単純なトリックを中心に構成されたスッキリした味の作品である。「幽霊射手」の矢を〇〇〇〇〇〇〇〇〇トリックは、以前どこかで読んだ記憶がある。あるいはカーの作品であったかもしれない。「花嫁消失」の〇〇〇のトリックは、チェスタトンの「ムーンクレサントの奇蹟」の〇〇〇〇〇トリックの変型ともとれるが、おそらく関係あるまい。「見えぬ手の殺人」だったか、別の短編でも、カーはこのトリックを使っていた筈である。

■ 12/19 板橋区のY氏より、
「パリの狼男」2,100、「パリを見て死ね!」2,100、「リーヴェンワース事件」6,500、「スミルノ博士の日記」6,500、「第四の郵便屋」5,500  /22,700
「ハムレット」10,500と「古書」12,500は不落。ただし、「古書」は12,000で買って送ってくれるとのこと。

※新聞切抜き(コナン・ドイル「ササッサ谷の怪」書評)貼付

■ 一昨日HM文庫でカーの「騎士の盃」が出た。未読のカーが数冊たまってしまった。以前なら考えられないことだ。
「赤い鎧戸のかげで」(HM) 「青ひげの花嫁」(同)――この訳題は気に入らない 「エレヴェーター殺人事件」(HPB) 「バトラー弁護に立つ」(同) 「五つの箱の死」(同)
 もっとも、「五つの箱」は西田政治訳だから、改訳を待って読んだ方がいいかもしれない。

■ ハリイ・オルズカー「殺人をしてみますか?」
 似た作風をあげるとすれば、やはりクレイグ・ライスか。酒と冗談のドンチャン騒ぎのうちにストーリーが展開していくが、全体の構成は立派な本格探偵小説になっている。
 犯人の意外性は充分だし、解決に導く論理もまず納得のいくものである。「イギリスの本格探偵物とはちがうんだぜ、今度の事件は」(p66)ということだが、「イギリスの本格探偵物」といってもおかしくはあるまい。ただ、スピーディーな文体とユーモアの質はどう見てもアメリカのものであるが。
 文章は、翻訳がよいせいもあろうが、非常に読みやすい。3時間くらいで読んでしまった。
 この作品はテレビ界の内幕を扱っており、それが目玉にもなっているのだろうが、こういう世界が好きでない自分にとっては、あまり意味がない。むしろあまり不道徳な人間ばかり出てくると不愉快になる。ピート・ブランドとセアラがそれほどスレた人間でないことが救いになっている。

■ 12/25 尼崎のT氏からやっと返事が来た。
カー「死人を起す」B 1,000、同「死の時計」B 2,000 同「眠れるスフィンクス」B 2,000×2 同「雷鳴の中でも」A 800 ディクスン「プレーグ・コートの殺人」B 2,000×2
クリスティー「そして誰もいなくなった」B 800 アイリッシュ「幻の女」A 1,000 ロード「プレード街の殺人」B 2,000×2 デイヴィス「優しき殺人者」B 3,000×2 クェンティン「疑惑の場」B 800 グルーバー「走れ、盗人」B 1,500

以上、11冊で25,900円だから、安い買い物といえる。「眠れるスフィンクス」、「プレード街」、「優しき殺人者」といったあたりが目玉だろうが、それよりも「プレーグ・コート」を手に入れられたことの方がうれしい。以前神田のどこかの本屋で見た表紙絵が強く印象に残っているのである。入手できなかったものの中では、なぜかグレアム・グリーンの「密使」に未練を感じている。

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