見出し画像

ある探偵小説マニアの日記(その16)by真田啓介

【以下にご紹介するのは、「探偵小説の愉しみ」と題して私が昔書いていたノートの記事です。今から40年近く前、一人の若者がどんなミステリ・ライフを送っていたか、おなぐさみまでに。】

■ 7/6
 創元の世界推理小説全集全80冊、きょう届いた。全体として状態は良好、月報も8~9割ついている。箱から取り出した包みを開いて1冊1冊テーブルの上に積み上げていく、その心おどりよ。

■ 7/9
 SRの会より返信。会費1年3,000円。バックナンバーは50冊位あるとのこと。

 今「ペーパーバックス読書学」をパラパラとめくっていたら、奧付ページに「発行者 瀬戸川猛資」とあった。トパーズプレスという所の発行である。

 おととい駅の売店で買った本。紀田順一郎「われ巷にて殺されん」、梶龍雄「若きウェルテルの怪死」。

 きょうはこれからフィリップ・マクドナルドの「Xにたいする逮捕状」を読む。

■ 7/11
 SRに送金。

 ROMバックナンバー届く。すばらしい内容。大いに刺激を受ける。Leo Bruce、Crispinとあわせて注文すべし。

■ 7/12
 帰ったら丸善から通知が来ていた。7冊で17,160円。やりくりがいよいよ苦しくなってきた。ペーパーバックにせよ、Poisoned Chocolates Caseが入手できるのはうれしい。
 Chocolateといえば――
 けさバス停で、前に並んでいた女の子のバッグの中にペーパーバックの背中らしきものが見えたので、ムム、と思って背文字を読んでみたら、何のことはない、MORINAGA CHOCOLATEとありました。

 ところで、もう2週間になるのにT氏からはまだ送本がない。どうしたものか。明日照会のハガキ出す。

■ 7/13
 YL「モルグ街」読了。非常に論理的な小説であることをあらためて見直した。

 丸善から通知、Malice Aforethought、¥4,320。

 T氏にハガキ出そうとしたところ、ちょうど宅急便が届いた。届いた36冊を大ざっぱにグループ分けすれば――

シリル・ヘアー「ただひと突きの……」、E・D・ビガーズ「シナの鸚鵡」、ベロック・ローンズ「下宿人」、ナイオ・マーシュ「ヴァルカン劇場の夜」「死の序曲」、レックス・スタウト「我が屍を乗り越えよ」

「名探偵登場②」、アンドリュー・ガーヴ「ヒルダよ眠れ」、D・アリグザンダー「恐怖のブロードウェイ」、ロイ・ヴィカーズ「ヴェルフラージュ殺人事件」、モーリス・プロクター「ペニクロス村殺人事件」、ニコラス・ブレイク「闇のささやき」、トマス・フラナガン「アデスタを吹く冷たい風」、レイン・カウフマン「ウォルドー」、「EQMMアンソロジーⅠ」「同Ⅱ」

ディクスン・カー「三つの棺」「疑惑の影」「火よ燃えろ!」「引き潮の魔女」、カーター・ディクスン「時計の中の骸骨」、エラリイ・クイーン「ドルリイ・レーン最後の事件」、アガサ・クリスティー「ねじれた家」、クレイグ・ライス「スイート・ホーム殺人事件」、リチャード・ハル「伯母殺し」、コーネル・ウールリッチ「恐怖」

ピーター・チェイニイ「女は魔物」、エド・レイシイ「死への旅券」、J・J・マリック「ギデオンの一日」、ジョルジュ・シムノン「メグレ罠を張る」、ロバート・ブロック「気ちがい」、エド・マクベイン「死が二人を」、フレッド・カサック「日曜日には埋葬しない」、ブレット・ハリデイ「血の味」、スーザン・ブラン「緑の死」、H・ペンティコースト「狂気の影」
 状態はいずれもまずまず良好。

 きのう「Xにたいする逮捕状」を読み終えた。傑作といってよい。きょうはもう寝るので明日にでも覚え書を。

■ 7/14
 丸光の書籍大蔵払い、例によって例のごとしだが、グリーン兄弟編の「スパイ入門」だけ買ってきた。500円。
 洋書のバーゲンもやっており、「ミステリ百科事典」3,300、「スリーピング・マーダー」1,100等があった。

■ フィリップ・マクドナルド「Xにたいする逮捕状」
 マクドナルドの代表作の一つ。「やすり」よりも買う。世界ベストテンに入れてもよいと思う。(小林晋氏のcritical reviewによれば、アレグザンダー・ウールコットという人は「あらゆる国語で書かれた推理小説の中でベスト」とまで言っているとのこと。いくつかの名作リストにも採られている。)
 小林氏は「サスペンスに富む発端、論理味豊かな中盤」をよしとしながら「結末の処理の仕方に若干の疑問が残る」と書いているが、どの点を問題にしているのであろうか。自分には芝居小屋での「〇」の錯覚発見以降の急展開はそれ以前の部分にまして面白く感じられたが――。ただ、ガレットが「直感」で犯人をつけるところ、ガレットがしがみついていったタクシーを警察が発見できる運の良さなどには中盤までの展開に見られた論理性が欠けており、その点「疑問が残る」と言えないこともない。たしかに普通の作品なら致命的な欠陥にもなりかねないが、「論理味」はそれ以前に充分堪能させられているので、少々のことは気にならなくなってしまうのかもしれない。
 本格ミステリとしては、風変わりな筋立てである。(あるいは形式面だけから見れば本格ミステリとは呼べないかもしれない。)まず冒頭第一文からチェスタトンの名が出てきて、自分のような読者をうれしがらせる。
「シェルドン・ガレットは、広く旅行もし読書もしている人間でありながら、34歳の誕生日になるまでG・K・チェスタトン氏の作品をまるで知らずにすごしてきていたが、これはシェルドン・ガレットがアメリカ人である事実を考えれば、うなずけることだ。」
 何とも心にくい書出しである。傑作の予感に胸がときめこうというものだ。
 チェスタトンの名は「ノッティングヒルのナポレオン」を媒介としてシェルドン・ガレット氏をノッティングヒルへ赴かせるだけの役割しか果していないが、このノッティングヒル散策から「やなぎ模様茶寮」(変な名前の店だが、英国のものを読むとよくこういう式の飲食店や宿屋の名が出てくる)での犯罪計画盗み聞き、尾行と続く冒険小説ふうの展開は、どことなく「木曜の男」などを思い出させるところがある。乱歩いうところの英国風お伽話の味である。
 以下要所要所でプロットの要約がなされるので、頭を整理しながら読みすすむことができる。たとえば、p129~30、p269等。(これはなかなかうまい手である。)
「さかさまの事件」という言葉が何度か出てくるが、たしかにこれは普通のミステリとは随分違っていて、どこの誰とも知らぬ人間が、いつどこで誰にとも知れず行おうとしている犯罪(その内容が誘拐であることだけがかろうじて分かっている)を食いとめるために、アメリカ人の熱血漢トマス・シェルドン・ガレット氏と、つねに冷静な名探偵アントニー・ゲスリン大佐及び英国警察が必死の追及を行うという物語である。何かサスペンス小説めいた筋立てだが、その追及の過程がきわめて論理的であり、意表を突くトリック⦅〇〇の錯覚、p292「どうして君にはわかるのか――どちらの〇〇がどちらの女のものだったかということがさ?」 冒頭の茶寮での盗み聞きの場面は実に巧妙に書かれている。「〇〇〇〇〇〇」という形容が再三なされている。そこで読者はガレット氏とともに知らずしらずのうちに、何の疑いもなくその〇〇を〇〇〇〇〇〇〇の女に割りあててしまうのである。「〇〇だけ〇〇〇〇あとから〇〇〇〇」というのが単にプロット進行上必須の設定であるばかりでなく、重要な伏線になっているわけである⦆もあって、本格ミステリとしての味わいを十二分にそなえているのである。ただ、犯人は最後に捕まりはするが、その段階でもなお「エヴァンズ」という偽名しか知られない。まさに「Xにたいする」逮捕状なのである。
 板橋区のO氏から入手した本で、12,500円払ったが、これほどの作品であれば決して高い値ではない。一度焼きついた傑作としての印象は生涯を通じて消えず、折々にその記憶が喜びを与えてくれようから。ただ、本の形式が新書版で、「大衆と共に生きる」ナニワ・ブックスというのはいただけない。(「探偵小説は大衆文芸か」?)また本の状態が良くなく(カバーはパラフィンがかけられていたのできれいだが)、あちこちで背割れが起きていて、こわれないようにそっと扱わねばならなかった。また、誤植も多い。翻訳は多少古風な文体だが、こういう作品にはかえってその方が似合うかもしれない。こういう作品を、大きな活字でゆったり組んだハードカバー本で読んだらどんなにいい気持だろう。もっともかなり長い作品だから、そういう本を作ったら相当部厚くなって、机の上でしか読めなくなるだろうけれど。
「迷路」「やすり」「X――」と読んできて、「ゲスリン最後の事件」こと「エイドリアン・メッセンジャーのリスト」が残っている。小林氏は「やすり」「X――」「エイドリアン――」をマクドナルドのベスト3に数えている。読むほどに面白さが増してきているので「エイドリアン――」にはいよいよ期待を寄せるわけだが、HMMの読者評等ではあまり評判がよくないようだ。それと、瀬戸川氏の解説を先に読んでしまい、その中に犯人は――とあったのが頭にこびりついてしまって――。そういうことを気にしなくてよい作品なのだろうか。そうだとしても、瀬戸川氏ともあろう人が不注意ではあるまいか。
(以下、表現等にかんするメモ)
〇全体の叙述形式、短い場面を次々につなぎ合わせていく。長さの割に読みやすいのはこのためか。「映画向き」という評もこうした点を含めてのことか。
〇p3下 「ノッティングヒルのナポレオン」を読んだのは、「土曜日の多くの時間」なのか、「日曜日の午前1時から5時ちょっと前まで」なのか? どうでもいいようなことながら、冒頭から矛盾した話が出てくるとちょっと気になる。
〇17上 茶さじで茶碗を打ち鳴らして女中(?)を呼ぶ
〇17下 「へま」の中味は?
〇18下 「神の恵みと街灯のおかげで――」
〇24~25 ソーンダイク、フレンチ
〇27上 「彼女からとど出してくる言葉が――」?
〇43上 「彼の背後には、英本国の地方税納付人たちが不動の階層をなして整列しているのが、ガレットの心眼に見てとれた。」
〇74下 「私は玄妙不可思議に筋を運び、大詰ですべてを開示するのが大好きでね……」
〇80上 「入口を額縁にして立っている――」 チェスタトン的感覚
〇109上 窓の外 「内側の灯にへきえきもせず」 霧
〇127下 馬が盗まれないうちに戸をしめる
     その他多数のか所で ことわざか? Yes(p269下)
〇129上 白子が黄金を感じとる神通力をもっている
     ~アリンガム「霧の中の虎」のテディ・ドルー
〇182下 「探偵組合の一員」 ~「やすり」にも同様の表現
〇210上 自分をエヴァンズと――  ダブリ?
〇221下 「レンズは壊れて落ち散り、じゅうたんの上に小さな星々のようにきらめいていた。」 これもチェスタトン的
〇237下 「知ったところで気にもしなかっただろう。」 くり返し
〇240下~ 「言いわけするのではありませんが――」
      (ただしこちらは後の展開の伏線ともなっている)
〇243下 「残念ながら、活字にできないが」
〇245下 「根本的には、警察力は計画されている犯罪を防止するよりも、遂行された犯罪を罰するのを目的としている、という誤った考え方」
〇246上 (a)何が遂行されようとしているか
     (b)だれがそれを遂行しようと――
     不明 ~この事件の性格
〇257下 その他「手綱を引きしめたまえ!」 ~マクドナルドの乗馬趣味?
〇270下 「五月姫」?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?