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ある探偵小説マニアの日記(その5)by真田啓介

※野村芳太郎監督「鬼畜」、刑事コロンボシリーズ「白鳥の歌」の結末に触れている部分があります。気になる方はご注意ください。

【以下にご紹介するのは、「探偵小説の愉しみ」と題して私が昔書いていたノートの記事です。今から40年近く前、一人の若者がどんなミステリ・ライフを送っていたか、おなぐさみまでに。】

■ 9/6 フレデリック・ダネイ死す。カ行の3人は、これで、誰もいなくなった。
「Yの悲劇」には感心したが、結局クイーンは好きになれなかった。代表作といわれる「エジプト十字架」や「ギリシア棺」を読んでも、もう一つピンとくるものがなかった。ロジックの緻密さに感心することもあるが、カーなどと比べると、小説として、というか、物語としての魅力が欠けているように思う。
 読後の印象が妙に薄いのである。軽い。しかしその軽さが、クリスピンやライス流の楽しい軽さではなく、内容がない感じなのである。死者に対して酷な言い方かもしれないが、それが正直な印象である。
 探偵クイーンがキザなばかりで魅力に乏しい点も困りものである。もっとも女性にはずい分人気があるようだが。
 文句ばかり並べて申し訳ない。さよなら、クイーン。

※新聞切抜き(「エラリー・クイーン」で百冊 F・ダネー氏死去)貼付

■ 9/9 憂愁を抱いて帰宅すると、東京のY氏から手紙が来ていた。ロースンの本2冊、見つかったとのこと。2冊で12,000円。状態良好というから、決して高い買物ではない。秋の第2回処分では、ブランド、セイヤーズ、イネス等、ポケミス中心に放出するとのこと。心が明るくなってきた。

■ 9時からテレビで「鬼畜」を見る。松本清張原作、野村芳太郎監督、53年松竹映画。
 水野晴郎氏のいうとおり、まさに胸えぐられる思いがした。いろいろな見方のできる作品だと思うが、ちょうどE・ネズビットの「宝さがしの子供たち」を読んでいるところなので、それとの対照で子供たちの不幸にばかり思いがいった。
 カバーで窒息死させられた赤ん坊(ショウジ)の、カバーからはみ出ていた小さな足。そのそばで鳴っていたオルゴール。
 東京タワーに置き去りにされた女の子(ヨシ子)が、エレベーターの扉が閉まる寸前、振り向いて、逃げようとする父親(宗吉)と目を合わせた一瞬。宗吉が外に出ておそるおそる振り返ったとたんに、一斉にタワーのランプがともる場面。
 そして何といっても、ラストの、少年(利一)が父親と対面して、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、それでもしっかりと言った言葉「父ちゃんじゃない」。
 ここには不幸があり、悪がある。この悪はどこから来たのか。
 どこからわいてきた、どんな悪が、どのようにして襲いかかり、この子供たちを、そして大人たちを、不幸にしたのか。
 そもそも宗吉が、菊代に手を出さなければよかった。そのとおりである。そのとおりではあるが――。
 探偵小説的趣向としては、伏線の巧妙さ――石けりの石=石板のかけら――があげられるだろう。これはこの作品の主題からすればどうでもいいことのようにも思えるが、しかし、この伏線がなければ、ラストシーンは実現されないのである。構成の重要性、その妙を知るべきである。

■ 「宝さがしの子供たち」は、「世界の推理小説総解説」で教えられた本。ライス「スイートホーム殺人事件」の項の解説で、子供たちのやりとりは「宝さがし――」を想い出させるといっている。途中までだが、読んでみて、妥当な評言と思う。

■ 9/15 「刑事コロンボ 白鳥の歌」を見る。
 このシリーズは探偵小説的趣向からいってかなりレベルが高いので、つとめて見るようにしているが、この作品はそれほどの出来ではない。
 倒叙ものは、犯人の犯行が一見完璧であることが必要条件であるが、この作の場合、その点が甘い。
 セスナ機からパラシュートで飛び降り、身の安全を図りつつ、機を墜落させて同乗の妻を殺すというのがその計画だが、たまたまうまくいったからいいようなものの、危険が多すぎる。パラシュートが飛行機の側に降りなければならぬが、その保証はない。骨折がひどかったら、パラシュートの始末もできない。第一、目撃者がいたりしたら、すべてオジャンである。(霧で視界がきかないという設定にはしてあるが。)こんなズサンな犯罪ではちと困る。
 Swan Songというタイトルは、エドマンド・クリスピンの作品リストにもあったような気がする。翻訳されることはまずないだろうが。

■ 9/16 Y氏よりロースンの2冊届く。美本といってよい状態。

■ 創元推理文庫の背表紙、色つきのものがちらほら見え始めている。
カーの「曲った蝶番」「夜歩く」、グリーン(HМ文庫とまぎらわしい)。
クリスティー「七つのダイヤル」「殺人は癖になる」等、黄緑。
チャンドラー「大いなる眠り」、水色。
 色をつけるのも悪くはないが、HМ文庫のようにドギつく俗悪な感じになってもらっては困る。
 ところで「陸橋殺人事件」、なかなか出ませんね。

■ 9/18 「泥棒成金」を見る。
 ヒッチコック映画。ケーリー・グラント、グレイス・ケリー。
 原作はデヴィッド・ドッヂ。このあいだ早川ミステリの訳本を買ってきた。
 探偵小説的趣向はとくに見るべきものなし。犯人の見当もついてしまったし。ただ、大泥棒が〇〇〇〇〇〇をつかまえるというプロットは面白い。
 グレイス・ケリーという人は、きれいなことはきれいだが、もっと違った感じの人かと思っていた。役柄のせいかもしれないが。
 女優は、やっぱりオードリー・ヘプバーンが最高だ。あのぎこちなさが何ともいえない。「マイ・フェア・レディー」「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」etc、何度でも見たい映画だ。
 あと、「泥棒成金」で、「時計がない」「盗んできたら」という会話があった。この部分について誰かのエッセイか何かでふれていた記憶があるのだが、誰の、何という本だったか。

■ 9/21 帰りに本屋に寄ったら、今年の江戸川乱歩賞受賞作の一つ「焦茶色のパステル」(岡嶋二人)が出ていたので手に取ってみた。この本じたいには格別興味もわかなかったが、巻末の選考経過と選評を見ていたら、16歳、22歳といった人たちの作品が最終選考に残ったことを知り、いたく刺激された。10代でロクなものが書ける筈がないとは思っても、長編ミステリをともかくも書けたこと自体、立派なものである。
 我が年齢はもはや26歳。書きたい気持は大いにあるのだが、書けない。悲しいことだが力不足を認めざるをえないようである。
「ソクラテス」の構想は何とかものにしたいと思っているが、これがまた非常に難しい。叙述形式をどうするか―― 一人称、三人称、それとも対話?――といった技術的な問題はさておき、プラトン全集の読破をはじめ、まず勉強しなければならないことが山ほどある。
 もう一つ、「英国風お伽噺」も前々から書きたいと思っているものだが、全体としての雰囲気についてはモヤモヤしたものをかなり強く感じているのに、それが具体的なディテールとして結晶していかない。もどかしい限りである。

※新聞切抜き(エラリー・クイーンと私 人気は「Y」に集中)貼付

■ 9/25 一昨日、W氏より、創元の「ルパン全集」全12冊、4,000円で入手。状態もそうひどいわけではないから、安い買い物といえる。しかし、読むことはまずあるまいが。

 本日、HMM及びEQの11月号を購入。
 HMMの掲示板を見ると、またもや金を使ってしまいそうな気配。「一日の悪」を「ナイン・テイラーズ」や「ゴルゴタの七」と交換してくれる人がいるので、これは早速申し込んでみるつもり。状態があまり良くないので多少気が引けるが。
 本日はほかにW・ゴドウィン「ケイレブ・ウィリアムズ」(ゴシック叢書)を購入。2,500円。「白衣の女」もそろそろ注文せねばなるまい。


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