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ある探偵小説マニアの日記(その7)by真田啓介

【以下にご紹介するのは、「探偵小説の愉しみ」と題して私が昔書いていたノートの記事です。今から40年近く前、一人の若者がどんなミステリ・ライフを送っていたか、おなぐさみまでに。】

■ 10/25 「陸橋殺人事件」を前にして幸福な気分にひたっている。宇野利泰氏の完訳、戸川安宣氏の解説、装丁もよく、オビには例の「探偵小説大全集」、いうことなし。
 次回配本は、カー短編集いや、短編全集4「幽霊射手」。

■ HMM12月号。HM文庫の近刊案内には、カーター・ディクスンの名が2つ。「別れた妻たち」と「騎士の盃」。
 来月号の長編分載にはヘイク・タルボット「Rim of the Pit」(「手帖」の名作リストにあり)。これも、いうことなし。

■ きょう、奈良県のM氏から本が届いた。安さにつられて注文してしまったが、格別ほしくもないものばかり。
 H氏からの送本が遅いのが気になる。
 今月も〈掲示板〉を利用させてもらう。大田区のT氏。「第四の郵便屋」10,000円、「ベラミ裁判」7,000円。「第四――」は再刊される見込みはまずないから、多少はりこむだけの価値はあるだろう。
「マイアミ沖殺人事件」、買うべし(10/25朝日)

※新聞切抜き(D・ホイートリー「マイアミ沖殺人事件」書評)貼付

■ 10/29 一昨日H氏より本届く。まずまずの状態。

■ 10/30 T氏より返信。ダメでした。「他の人は交換か、1冊2~3000円という条件を出しています。それに比べれば、貴方の1,7000円というのは、とてつもない大金だと感じています。……」 高値をつけた人間に売らぬというのはおかしな話だ。警戒されたか?

■ 探偵小説の匿名批評家 タイプした英文を投稿 博識 辛らつ
 センセーション 正体は誰か?  魔童子 抜き打ち座談会  作家じしんが――

■ 10/31 ロナルド・アーバスノット・ノックス「陸橋殺人事件」
 ポケミスの井上良夫訳を既に持っていたがまだ読まないでいたところ、創元推理文庫で宇野利泰訳(完訳、井上訳は抄訳)が出たので、こちらを読んでみた。
〈幻の名作〉の筆頭のような作品であったが、一度入手してしまうと不思議に読む気にならず、そのままになっていた。こういう作品をゆっくり味わう余裕(時間的・精神的)がなかったせいでもあるが、また、乱歩の評があまり芳しいものではない(乱歩・井上探偵小説論争、全集22)記憶があったためだろう。
 宇野訳はこの1か月ほど待ちに待たされたせいもあって、飛びつく思いで買い、コンディションのよいときに充分の時間をかけて読んだ。錬成休暇をとったきのう土曜日の夜から、きょう日曜日の午前中にかけて、270頁の本を6時間以上かけて読んだのであるが、それだけのことはあったといってよいだろう。
 印象を一言でまとめるとすれば、出版社の宣伝文句めくが、悠揚迫らぬ古典的傑作、ということになろうか。傑作といっても、ベスト10に入るようなそれではない。あるいはベスト20にも、入らないかもしれない。それとは種類が、次元が違うのである。
 99冊の名作を読み終えた人間が100冊目に読んではじめてその味わいがわかる作品。探偵小説を読み始めたばかりの人間がこれを読んでも、大して面白いとは感じないかもしれない。「推理小説ファンが最後にゆきつく作品」と言われるゆえんである。クロウト向け、マニア向けの、やや特殊な部類の傑作なのである。
 読むのに時間がかかったのは、ところどころ、ポケミスの井上訳と比べてみたりしたためである。
 2、3意味のはっきりしない部分があったので、2種類の訳をつき合わせてみたわけである。その結果明らかに誤植と思われるのは、
〇「時間を長く感じさせるものは……時間と沈黙と煙草をすえないことの三つです。」(p133)
 2回目の「時間」というのが文脈からしておかしいので、井上訳を見ると、その部分は「暗闇」となっており、これならわかる。ここの「時間」は「暗闇」の誤植であろう。くずした字だと両者よく似ているから、こういうミスが生じたのだと思う。
 意味がよくわからないのは、
〇「あれは片道乗車券だから、それを買った男は、この土地の住人ではあるまい。片道の料金はわずかなものだ。……」(p40)という部分。
 料金のわずかな片道切符を買えばどうして「この土地の住人ではあるまい」ということになるのか。その辺がわからない。むしろ往復切符を買っていればヨソ者ということになるのではないか? この部分、原文を見ないと何とも言えないが、あるいは宇野氏の誤訳ではないかと思う。井上訳を参照したが、この部分は省略されていた(p38~39)。
〇原作のミス、とまでは言わぬにしても、説明不足と思われるのは、p71~74の、ゴードンがサリヴァンの留守中にデヴナント邸に忍び込む場面。入るときにはドアに鍵がかかっていることになっているのに、サリヴァンが帰って来たのを知って大あわてで玄関から飛び出したとある。内側からは開くことができたのだとしても、そのままではサリヴァンに怪しまれることになろう。それともこれはあくまで登場人物ゴードンのミスであって、作者のミスではないというべきか。それにしても、ゴードンがその点を何ら気にかけていないのはおかしい気がする。
 しかし、ミスだとしても、そんなことは作品全体の価値とは殆ど何のかかわりもない。厳密な論理の整合性がこの作品の魅力なのではないから。
 それではこの作品の魅力とは何か。
 それを短い言葉で(長い言葉でも)言い表すのは難しい。驚天動地の大トリックがある訳ではない。意外な真犯人が、異常な動機が暴露される訳でもない。乱歩の言うところでは「アーマチュア達がいくら尤もらしい推理をやって見ても、真相はそうではないという事が読者には分っているので、一向迫って来るものがない。それも一つひとつが、大してユニックな推理があるわけでもないので、論理の為の論理としてもさして面白くない。……ユーモアと怪奇(凄味)とは隣合せで、師父ブラウン物や、「赤い家」などではその「ユーモア即凄味」というような感じがよく出ているが、之にはそれも乏しい。」(全集22 p196)ということになる。
 〇〇〇〇〇〇〇〇が結局は犯人であったというトリック(というよりも、皮肉なプロット)にかっさいを送るわけでもない。(ただ、山口雅也〈プレイバック〉には、「この作品が永遠の古典として残ったのは、その奇想天外な結末ゆえである。ともすると気づかずに読み流してしまいそうだが、その裏には、それこそポーもドイルもチェスタートンも考えつかなかったような作者のトリックが秘められている。」(HMM259)とあり、その探偵小説的趣向を賞賛しているようなので、何か見落としている大トリックがあるのではないかといささか不安である。)
 あれでもない、これでもない、と消していくと、あとには一体どんな魅力が残っているのか、自分でも疑問になってくるが、ある種の魅力をつよく感じていることは確かだ。
「のどかさ」なのである。
 稚気というのともちょっと違う。それよりはむしろ雅趣とでもいいたいほどの、おだやかでのんびりした趣が全編に漂っており、その雰囲気が何ともいえずにいいのである。
 探偵小説に対する評言として、これほど的外れのものはないかもしれない。しかし、よく出来た探偵小説を読み、面白く感じたとき、探偵小説的趣向を忘れてしまっても、その作品の名と共に記憶に残るもの、それはなつかしい、幸福な時間の記憶とでも呼びたいような、あるのどかさなのである。
「陸橋」にはそれがある。他の何はなくとも、それだけで傑作と呼ばれる資格は充分にあるのである。こののどかさに包まれて、チェスタトンもカーも、バークリーもクリスピンも、そしてノックスも、黄金色の光を放っているのである。

 細部で面白く思った点、参考になると思われる点をメモしておく(叙述の方法を中心に)。
・カーマイケルのおしゃべり、常に横道に入らずにはいられない。~「トリストラム・シャンディ」 地の文でこれをやってみたら?
・p123 ゴードンの観察の目で記しておくと……
・「逃亡を開始したからには、逃亡をやり抜く以外にどうしようもない運命なんだ。」 警官の車で逃走
・p169 ゴードンの日記  いろいろな意見を無理なく述べられる
・p174~ 「ミスR・S=ミセスB」 書きおえると、どういうわけか、ばからしく思えてきた。
・p188 二重の訂正
・24 原注 本章は省いてもよろしい。
・p260 「ゲーム、ゲーム、ゲームばかり、ゲームのほかには何もなしだ。」
・カトリック――無神論――国教
・害虫なら殺してもよい――人間なら?
・幕開きの議論 ~「トライアル&エラー」

 2度、3度と味わってみたい作品である。

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