寝るまえ読むのに丁度いい日記_7/1
か細い一本道に二人の少女が並んでいるのが見える。西宮ガーデンズの屋上テラスには子連れが多い。ともすれば自分だって連れてくる側になっていてもおかしくはないが、僕の隣にいるのはインターネットで知り合った血の繋がらない生意気な高校生だ。
目の前を歩く少女たちの構図があまりにもシャイニングなので、その旨を伝える。
「シャイニング?」
「シャイニング」
「あの?」
「あの」
しばらく沈黙。
「違いますよ」
「違いますよ?」
「シャイニングってあれでしょ、壁に挟まってるオジサンのやつでしょ」
「うん」
「いや、うんじゃなくて、だから、違います」
「だから、違います?」
歩いている道はゆるやかに湾曲しているのに、会話はありえないほど平行線だ。
——と、これは昨日の話。いまちょど思い出したので書いた。
さらに詳しくディティールを書いてみたが、西部劇に出てくる枯れた砂地のような不毛さに嫌気がさし、いったん消して今のこの行に至る。
👭
7月2日、火曜日、午前2時1分。日記を書くのにまた日付を跨いでしまう。PCを開いてその日の出来事を記録するつもりが、昨日(厳密には一昨日)の出来事を書いてしまっている。一連のくだりを書き終えて、この行の時点で2時27分。返して欲しいような時間の再現に30分もかかっている。時間の無駄は複利で膨らむ。
朝、くらげがサメを喰らう悪夢を見る。サメに喰われるならまだしも、くらげ食われるさまを三人称客観視点で見る夢の、どこが怖いのかはまったくわからないが、概して夢というものは詰めの甘い脚本家が手がけているのだからしかたない。夢は製作陣の独壇場だ。脳内物質である彼らが「悪夢」「ホラー」と分類を主張するなら、見る側はそれに従わなくてはならない。
🦈
昼過ぎ、孔雀王が家に来る。
いやいや名前「孔雀王」て。
なんやねんお前。人生の中のどこかのタイミングで、自分で自分のことを「王」と改めようと決意した瞬間があったんだろうな。
「近所まで来たから」という飄々とした理由で喫茶店に誘われたが、犬に触れたほうが彼も嬉しかろうと思い家に招く。
白髪混じりの頭髪に、上下黒の服装。おそらくこの「黒」に確固たる意志は介在しない。結果的にそうなっただけだろう。孔雀にしてはあまりに色彩不足だ。そんなやつが堂々と、孔雀の王と書いて「孔雀王」と名乗っている。
この家には妙な名前の奴がいっぱい来る。
話が逸れたが、とにかく、家に孔雀王が来た。彼がひとしきり犬を撫でるのを見守ったのち、週末に開くイベントの詳細を話し合う。孔雀王は1時間ほど滞在したのち、黒いTシャツを白い犬の毛で汚して帰っていった。その数時間後、彼が犬アレルギーであったことを知る。
🦚🦚🦚
夕方、ついたちは映画が安いので『関心領域』を見ようと思いつく。本当は隣町にある西宮ガーデンズのTOHOシネマズがよかったのだが、もう上映していないので梅田のステーションシティシネマまで行く。
天を突き破るような長いエスカレーターに乗る。暑い。乗っているだけで汗が出る。慶應幼稚舎にも慶應幼稚舎なりの苦労があるのかもしれない。
最上階に辿り着いてから冷房の効いたルクアイーレの中を通ってくればよかったことに気づく。もし子どもができたら、この快適な道順を案内してあげようと決心する。結論、慶應幼稚舎に入れてもらえる人間は、なんの苦労もしていないのだ。さぞ立派な豪邸で涼しい顔をしているだろう。豪邸なんだからIMAXシアターくらい平気であるはずだ。少なくとも上流階級の人間はファーストデーだからって不愉快な梅雨の日本を徒歩で移動したりなんてしない。
18時10分からの『関心領域』を見る。カメラワークをしない止め画が多く、しかもドイツ語がまったくわからないので前半は正直かなり眠かった。それでも最後まで見ると面白かった。見ることを強制する「座席」という装置は素晴らしい。
👗
終映後、孔雀王のやっている店に顔を出そうと思っていたが現金が216円しかないので諦める。雨も降りそうなので早めに帰ることにする。
新梅田食道街の手前にあるマクドナルドに寄り、ハンバーガーを2個食べる。
思い返してみれば、幾度となく前を通るマクドにもかかわらず、ここで飲食をしたことは一度もない。少なく見積もっても10年は梅田を歩いているが、初めての経験だ。
マクドの2階のテーブル席であからさまにモスキートーンが鳴っていることに愕然とする。そんなことあっていいはずがない。
「マクドナルドは回転率をあげるために微妙〜〜〜に座りにくい椅子にしているんですよ」という雑学がある。真偽は不明だが、まあでも実際そうなんだろう。ここまではまだ許せる。「椅子は座るもの」という最低限の機能を満たしたうえで利益追求のため細工をしたまでだ。創造性すらも感じるし美しいと思う。「帰って欲しい」という意図が潜んでいるが、「帰れ」というメッセージではない。許容。
一方でモスキートーンは「帰れ」というメッセージそのものではないか。もちろん正確には周波数だけが先にあってそれを技術的に発見したまでにすぎないので、存在するモスキートーンそのものに目的は特にないだろう。ただし、都市におけるモスキートーン」の役割・目的はひとつしかない。若者を排除することだ。目には見えないがメッセージは明確である。飾らない言葉で書こう。普通にありえない。
「回転率を上げるための座りにくい椅子」はファストフードを食べる程度の滞在には全く支障がないが、モスキートーンは最初からあからさまに楽しい食事を阻害してくる。これでは店が汚いのと同じだ。しかもそれを店側があえて汚くしている。
なんか飲食店を相手に長文で恨みごとを書くとこっちがクレーマーみたいに思えてくるけど大丈夫ですよね。僕が合ってますよね。
不可視の波長の話だからわかりづらいのかもしれない。「さっさと帰って欲しいから」という理由で店を臭くさせるためにウンコ置いてたらおかしいですよね。
だめだやっぱり書いてるうちに腹立ってきた。僕は音の不快さではなく、マクドナルドが論理を軽視 / 無視していることに怒っています。
🍔🦟
帰宅後、いくつかの家事をしたのち東京03のコントを見る。
東京03のコントでは「誰かひとりが退場する」ことがよくあることに気づく。これによって「秘密」が生まれる。角田だけ知らないこと、豊本だけ知らないこと——そしてその両方を飯塚(=観客)だけが知っている。あーーーーーーーなるほどね。こういう状況をコンビで作るのは難しい。ひとりならなおさら。こんなにも優れたエンターテイメントがあるのに、僕が自撮りのiPhoneで作れるものなど何もないだろうと軽く絶望する。
就寝前、この日記を書く。
昨日は革鞄をカッターナイフで痛めつけていたが、今日はやっていない。進捗は半分以下だが削られっぱなしの状態で三脚に掛けられたままだ。中途半端に擦り剥けた鞄が、恨めしそうにこちらを見ている。
鞄も三脚も、こんなことのために生まれたわけではないと憂いているだろうか。
以上
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