たらればムスメ、そろそろ脱皮したくなってきた。

もし、ピアノを辞めていなかったら。もし歌を続けていたのなら。
今の私はどうなっていたんだろう。

人生、「たら、れば」を言えば限りが無いとは思いつつ、ふとした瞬間に思い立つことがある。

3歳からピアノを始めた私は15歳で部活を理由に辞めるまで毎日最低でも30分は必ず練習していた。風邪をひいて熱を出しても。受験勉強で忙しくても。その日々の積み重ねが功を奏し、学校行事でのピアノの伴奏はほぼ私が担当していた。それは私にとって誇りだったし、今後ピアノを弾くという行為は一生続けていけるとさえ思っていた。また、両親が合唱団に所属していた影響を受け、家では毎日歌っていた。

小学校4年生の頃、衝撃的だったことがある。
同じ区にある小学校、複数が集まって音楽祭が開催された。もちろん私は学校代表の伴奏者として参加した。後日、録画されたビデオをみんなで見返したのだが、私はクラスの哂いの対象となった。教室のテレビに映された、ピアノを弾きながら歌う私。自分でも引くほど狂ったように全身全霊で何かを表現していた。審査員からは「君の表現力は素晴らしい」というオホメの言葉をいただき、音楽の先生や担任からは「将来音大だね」と言われた。しかし、クラスの皆から笑われてしまったこと、我を忘れてピアノを弾く自分の姿に引いてしまい、好きだった「音楽」が怖くなってしまったのだ。

ピアノを弾くことが好き。歌うことが好き。でも、「好き」に忠実になったとき、誰かにあざ笑われるが怖い。そんな葛藤を抱えるようになった。

そして中学3年生。部活のレギュラー争いで勝つか負けるかギリギリのところにいた私は、「部活」という全うな言い訳を見つけ、「音楽の道へのコミット」を捨てることにした。

頭にパッと浮かんだメロディを実際に歌ったり、ピアノで音にできたときの幸せ。自分自身がピアノや音と一体化しているようなフロー状態。
その感覚を今ではもう味わうことができない。

ああ、すごく贅沢な時間だったな。自分が選んだ選択に後悔は無いけれど、もしそのままピアノの道を突き進んでいたら今私はどんな世界をみているのだろう。海外のオーディション番組とかで気持ちよさそうに演奏している人を見ると、カラオケでそこそこの点数が取れたりすると、「私、もしかしてイケたんじゃない?」ってどこか期待してしまうことがある。

別に、いまの生活が嫌なんじゃない。だけど、たまに無性に今の自分ではない自分になりたくなるし、その時にはどんな世界が広がっていたのかが気になってしょうがない。社会人として企業に勤める今、私はもしかしたらパソコンのキーボードをたたくことでちょっと同じような気分を味わおうとしているのかもしれない。ブラインドタッチには自信があるし、チャットのレスも、会議中や取り込み中でない限りBot並みに早く返せる自信はある。
まあね、それがどうした?って感じだけれども。

私の場合はきっと、何者かになりたいのだと思う。
そしてまだ、自分の思う何者にもなれていない焦りの気持ちがあるから、力強く、何かを表現している人を見ては羨ましく思うのだと思う。

私は、表現することが怖かった。美術や工作ではどんなに頑張っても成績では平均点かそれ以下で、それ以上のものを作ることができなかった。
音楽は「好き」で「得意」だけど怖かった。対人関係でも人に嫌われたくなくて相手の顔色を窺って、自分の意見よりも相手の喜ぶ方を積極的に選びに行った。

コンプレックスを隠し、自分を殺してでも優等生でいようと必死だった私は、とうとう学校という枠を出て社会人になった。社会人5年目、さ迷いにさ迷ってアラサーに足を突っ込んだ今、やっと素直に言える。

やっぱり私は何かを表現したい。自分の「好き」という感覚を大切にしたい。でも、自己満では終わらせたくない。何かに、誰かの役に立つことにつなげたい。

実はいろんなめぐりあわせがあって、2020年から調香を学び始めて現在目下修行中。香りの制作は私のこの渇望を解放させる1つの大きなきっかけとなった。
今までにはVoicyで公式パーソナリティをしたこともあったし、文章の執筆も、インタビュアーとして活動をしてきたこともあった。それらは職人レベルまで極められてはいない。しかし、これらは全部今まで怖くて手が出せなかったことばかりで、自分にとっては愛おしいチャレンジだった。まだ何においても半人前かもしれない。時間もその分かかるかもしれないけれど、きっと何かにつながるって信じたい。表現の方法は無限大だし、そこには正解しかない。

まだ私は、何者でもない。でも、だからこそ何色にでもなれるしなんにでもなれる。この可能性の広さが時に苦しいこともあるけれど、きっと動いていく先に見えてくる世界があると信じたい。

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