もう食べられないナポリタン

正直そこまでこだわりがないけれど、強いて言うならパスタは固めが好きだ。今はもうない、小さなイタリアンレストランの亭主が作るナポリタンが大好きだった。

――

小学生のころ、毎日、商店街を通っていた。学校と自宅の距離は片道30分弱ほどあっただろうか。帰宅の際、最初は何人かと一緒に学校を出ても、ひとり、そしてまたひとり「じゃあねー!」とそれぞれの家に帰っていく姿を見送るのが時々、寂しかった。また、家に帰ってランドセルを置いて、公園に遊びに行くときも、私よりも先にもうすでに友達が集合していて遊んでいる中に入っていくのに気が引けて「そもそも行かない」ことを選択することもあった。

当時からの友人にも言われるのだが、私は「どこにでも入れる、どこにも属していない」子どもだった。女子はたいてい「仲良しグループ」ができると思うが、私はどれにも所属することができて、どこにも所属していなかった。

私は自分のスタンスに満足していた一方で、たまにちょっと寂しさを覚えていた。そこで、毎日ひとりで歩く商店街で、誰かに必ず挨拶をすると決めたのだ。

「おっちゃんおはよう!」
「おばちゃーん!今日も終わったよーー!!」

挨拶って魔法の言葉。しばらく続けていくと私の名前は商店街中で広まっていったらしい。

「おお、ゆみちゃん。お帰り。おなかすいたかい?」
「うん!!!!」

給食でたらふく食べたにもかかわらず、ごはんをよくご馳走になった。

私のテリトリー内には「オリーブ亭」というイタリアンレストランがあった。パスタとピザを出されていて、仲睦まじい夫婦によって営まれていた。私はそこのパスタが大好きで、いつもカウンターに座っては
「おじちゃん、いつもの!♡」と図々しくもオーダーさせてもらっていた。
賄いついでに作ってくださるナポリタンは私の大好物だった。

私はどうやら、とてもおいしそうに食べるらしい。おばさんはいつもニコニコしながらお水を継いでくれて「ユミちゃんがカウンターに座ってくれると嬉しいわあ。また来てね。」と優しくしてくれた。

「私は守られている。」
安心感や、たーっぷりの愛情を商店街の方々からいただいた。
――

中学生になり、私立に入学した私は商店街を一切通らなくなった。あっという間に冬休みを迎え、自主トレー二ングのために私は懐かしい通学路を走ってみることにした。1週間ほど走ったのだが、オリーブ亭のドアにかけられている看板はいつもClosed になっていた。

ちょっとモノ寂しさを覚えながら走っていると「◎◎◎家葬式会場」という看板がある日突然道に現れた。嫌な予感がする。そしてその予感は当たっていた。

「都合により、しばらくお休みいたします。オリーブ亭」

私はただぼうっとドアに貼られているそのペラペラの紙切れを眺めていた。
文字がどんどんぼやけていく。一画一画がグニャリと歪みバラバラになっていった。

数日後。
冬休みも終わりに近づいてきたある日、オリーブ亭の厨房に明かりがともっていた。思わず走るスピードをジョギングから全速力にギアチェンジ。相変わらずドアの看板はClosed になっていたが、厨房の窓には少し老けたおじさんが立っていた。

「おじさん、、、!」

「おお、ゆみちゃんか。元気?もしよかったらおいで。」

無言でうなずき店内にお邪魔した。客室は電気がついておらず、カウンターの上から差し込んでくる厨房の蛍光灯の明かりのみで薄暗かった。
いつものカウンターに座るとおじさんがお水を出してくれた。

「奥さん、亡くなっちゃったんだ。」

「そうだったんですね。。。」

ご冥福をお祈りします、という言葉を当時は知らず、言葉に詰まった。
「ご愁傷様」ってお医者さまが言う言葉でしょう。。なんて声を掛けたらいいのか。。。

頭をぐるぐるさせながら考えていると、ナポリタンがすっと差し出された。

「よかったら食べていきなよ。」

「いただきます。」

おばさんの笑顔を思い浮かべながら、いつもよりも丁寧に手を合わせ、目を閉じ、ゆっくり頭を下げてからフォークをとった。
硬め、濃いめ、あっさり目。やっぱり、おじさんのナポリタンはおいしかった。

「おじさん、おいしい。今日もおいしいよ。とーっても。だけど。。。。今はとっても悲しい。でも、久しぶりにおじさんには会えて私はすごく嬉しい。」

ランダムに浮かび上がる感情を飾らず声に出した。たちまち、ボロボロと涙があふれだしてきて、泣きながらナポリタンを口に運んだ。

おじさんも目を抑えながら一言。

「来てくれてありがとう。おじさん、これからも厨房に立つよ。」

それから程なくして、オリーブ亭はお店を再開させた。私は部活や学業に忙しくなり、また商店街からは疎遠になった。

―――

数年後。

私の住んでいた町は開発のために商店街のお店の入れ替え、建て替えがされるようになった。そんな開発途中の商店街を再び走ってみるとオリーブ亭の姿がなくなっていた。

後日、風のうわさでオリーブ亭は町田に拠点を移したという話を聞いた。最後に挨拶できなかった寂しさを覚えつつも、拠点を移してもまだ厨房に立ち続けるおじさんに心から拍手と声援を送った。

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