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わたしの自転車履歴書

①中学生、クロスバイクとの出会い

 最初に「スポーツバイク」に触れたのは、小学校卒業〜中学入学頃でした。ちょうどスポーツバイクが認知され始めたくらいの時期ではなかったでしょうか。父がクロモリフレームのロードバイクを買い、一緒に乗る相手としてわたし用にクロスバイクを買ってくれたのが始まりです。

  車種はspecializedのsirrusです。クロスバイクだけどコンポはsoraで組んであるレア物(父がそう言っていた)です(画像は大学時代に撮ったもの)。

 ですが、すぐに乗らなくなってしまいました。運動部に入部した上に、進学先は中高一貫の県立校ーー所謂自称進学校だったため、土日もなく勉強と部活に追われてしまったのが大きな原因です。あと、このくらいの年頃にありがちな反抗期で父親と一緒にサイクリングするのが気恥ずかしかったことや、通学手段がバスだったこともあり、離れる原因となりました。

②ブランクを経て、大学生

 中高一貫校6年間を経て、大学進学により親元を離れました。家を出たらすぐに坂だらけで山越えしないと市街地にいけない、車は必須の地元から、移動するなら自転車が利便性の高い政令指定都市での大学生活が始まりました。
 新しく自転車を買うより、今持っているものを、ということでクロスバイクをひとり暮らしのアパートに持っていくことになりました。
 普段の通学はもちろん、バイトの出退勤にもフル活用しました。日常生活の移動手段としてだけでなく、趣味の1つにもなりました。
 週末に時間があれば江津湖や山鹿サイクルロードに行きました。命知らずにも、阿蘇の火口を目指したことや、夜景を見るために夜に金峰山を走ったこともあります。周りに走ってくれる人がいなくて専ら1人で走っていました。
 某自転車漫画がちょうどブームになり始めていたことも拍車をかけたと思います。読書好きなので、ロードバイクをテーマにした小説も買いました。最近久しぶりに読みかえしました。

 初めてゆうかファミリーロードに行ったときの写真。この間行ったときは同じアングルでロードバイクで撮りました。

 しかし、クロスバイク生活は1年も経たずに終わりを告げます。
 下の妹を走り相手にしたい父により、弟が使っていたママチャリとトレードされることになりました。そして「バイトしているのだから、自分で金を貯めてロードバイクを買え」と通達されました。
 

③念願のロードバイク、だけど……

 突如終わったクロスバイク生活でしたが、日常生活としてはママチャリでも事足りました。そしてバイト代を貯めた大学2年生の冬、今でも愛車としているロードバイクを購入することになります。住んでいたアパートの近くにあったサイクルショップで購入の手続きをし、納車の日を心待ちにしていました。ちなみに、今もお世話になっています。久しぶりに訪れたときに、店主が覚えていてくれたのは嬉しかったです。

 そんなとき、あの熊本地震を経験することとなります。そして、納車と震災のタイミングが被ることとなりました。GWまで大学が休校となった私は、ロードバイクと共に父の運転で実家へと戻りました。熊本に置いておくのは不安だということになり、ロードバイクはそのまま大学卒業まで実家の車庫で安置されることとなります。帰省時には乗ったものの、数える程度です。

 乗れなかったので、見る方に少しハマって、大学4年生の秋にはツール・ド・フランスさいたまクリテリウムを見に遠征しました。前日にディズニーシーに行ったのですが、「ディズニーよりテンション高い」と同行者にドン引きされたのは良い思い出です。

 震災後の帰省中、父のロードバイクと。2番目に一緒に走る頻度が高いのは今のところ父。多分今年は父より全然走行距離多い自信ある。

 大学4年生の年明け、K氏と初めましての元旦ライドにて。

④大学院生、ようやく手元へ

 大学卒業後、別の大学院へと進学し、引っ越しの折にようやくロードバイクを手元に置くこととなります。まあまあ乗っていろいろな方面に走ったと思います。
 院のキャンパスは福岡県の自転車の聖地とも言える糸島半島にあり、バイトや研究室に行かなくてもいい週末は1人で走っていました。当時はフラットペダルに普通のジャージという装備で、しっかりした装備のサイクリスト達にガンガン追い抜かれていました。削除前には、雷山まで走ったり、熊本まで約160kmをヘトヘトになりながらも走破したりしたことをnoteに書いていました。

走った記録あれこれ(K氏は同級生だけど、学部で卒業して就職していたため2代目となるクロモリを買っていた)。

⑤休学とロードバイク

 しかし、修士2年の秋に自分の限界が来てしまい、休学することになってしまいます。アパートは引き払い、実家に戻りました。
 実家に戻ってきてすぐに父とサイクリングに出かけたのですが、さほど高低差もないコースで気分不良を起こしてしまい、全く走れないままに終わりました。車載して途中まで車で移動していたため車酔いを引き起こしたのか、本当に体力が落ちに落ちていたのか。とりあえず身体的にも精神的にもどん底の状態でした。

 実家の周りをランニングしたり、筋トレをしたり、まずは小さなことから体力を取り戻すようにしました。気分不良を起こしたライドから半年以上のブランクを経て、やっと高低差のあるコースやある程度の距離を走れるまでに回復しました。田舎特有のコミュニティやコロナ禍の不安もあったため、あまり走り回ることはできませんでしたが。それでも、どん底の時期からすれば走れるようになりました。自分から走りたいという気持ちが湧くようになりました。久しぶりに走ったときは、たどり着いた先で感無量で涙が出ました。

 感無量となった景色。呼子・加部島の風の見える丘にて。

 内定後、実家から最後にライドしたとき。鷹島の道の駅。

⑥今、そしてこれから

 結局、大学院は中退してしまいました。そこからなんとか就職にこぎつけ、偶然にも配属で学部時代を過ごした土地に戻ってきました。もちろんロードバイクも一緒に引っ越しました。
 
 休みが確保されていることで、週末には定期的に走るようになりました。ずっと1人で走っていた私にも人脈ができました。
 一緒に走れる同世代の女子ができたのは大きな収穫となっています(女子のロードバイク乗りの知り合いは全くいない、というわけではなかったけど、みんな本州在住のため一緒に走ることはしたことがない)。また、金銭的にも余裕ができたことで「就職したら買う」とずっと目標にしていた、ビンディングペダルとシューズデビューを果たしました。

 もちろん、良いことばかりではありません。このnoteに記録しているように、いろいろな悩みも出てくるようになりました。元がネガティブ思考強めなので、いくら好きでやっていることでも何かと悩みや迷いは尽きない気がします。それでもきっと、なんだかんだ手放したくなくて持っているものが私を支えて形作っていくのだと思っています。ロードバイクもその1つです。

 これから、フレームやパーツを変えようとも、また自分の限界や弱さに打ちひしがれることがあろうとも、ロードバイクは私を支えるコンテンツであり続けるのだと思います。

✱✱✱

 余談ですが勢いでツール・ド・おおすみへのエントリーをしてしまいました。初めてのイベント参加でかなりビビっているけどがんばります。

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