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機内訓練の厳しさと研修医が直面する厳しさ

1月2日の飛行機衝突事故の関連動画がyoutubeで上がっていて、興味本位で数分見てしまった。
すると、客室乗務員デビューまでの機内訓練の厳しさが、現場にでたばかりの研修医が直面する厳しさに似ていたのを思い出した。

私にとっては、研修医ではなく、現場で初めて臨床を行った時の厳しさが相当する。
―――研修医と言っても、私は歯学部出身、歯科医師なので歯科医師臨床研修期間はたったの1年だった。
口腔外科等は2年になる病院が多いし、普通に研修が終わってもそのまま無給で医局に残るパターンもある。
医科系の初期臨床研修みたいな長い道のりと、いくつもの科をローテしない。
私は最初、総合診療科に進みたかった。
だが、母校と違う他大学病院に臨床研修で入った「よそ者」だったので、不人気NO.1だった某放射線科一つにしか行けなかった。(放射線専門医の先生には申し訳ない書き方で恐縮デス・・・)
―――あの頃、本当に、研修を断念しかけていたと思う。
内部の人や部活の人間関係で配属が決まるらしく、総診、保存、歯内、補綴、歯周治療、高齢者歯科以下臨床系・・・どこの科の面接も出来レースで受からなかったのだ。
まさか、国試に通過して、これから「町のはいしゃさんめざすぞー!」と意気込んでいた自分に、研修で実務をこなせる門がさらに狭き門とは想定していなかった。

あらかじめマッチングしていた臨床研修施設内部では、形だけの通過儀礼面接と各科研修予定人数制限があたりまえのようにあった。
ところが、「母校出身ではない外部者」を全ブロックしていたなんて今思い出しても呆れてしまう。
何も知らなかった自分は、臨床各科への選択肢が決められていた。
―――放射線科しかなかったのだ。(注:放射線科を馬鹿にしているわけではナイデス・・・科目の中では好きだったんです)
当時の国家試験で、母校は合格率低迷最たる学年だったため、あの時、外部へ臨床研修に行ったのは私だけだった。

歯科医師といっても、歯科麻酔科、口腔外科やインプラント科は志望していなかった。
そして、総合、保存、歯内、歯周、補綴といった順番でどこか入れるだろうとたかをくくって、滑りまくったのも懐かしい。

当時、気を取り直して入った歯科放射線科では、指導医がさっそく指導放棄をしていた。(これも本当に笑えるけど)
後から知ったのだが、毎年、外部からの研修医がみんな途中でここに来なくなるという有名な地雷科だったという。
理不尽な目にたくさんあったが、ここでやれることを身に着けようと、私は自分から前向きに立ち回った。
だが、かえって指導医に妨害を受けてしまう結果となっていった。

1日中図書館以外出てくることのないように、教科書の写真にでてくる顎骨名を毎日用紙50枚に書き写すことを強制されたのだ。
毎日毎日、上顎骨、下顎骨、篩骨、蝶形骨云々と、筆記で写経をするようなものだった。
信じられない話だと思うが、毎日図書館で過ごすことを強要される一方、周りの他科研修医は一般臨床の手技を進めている。

途中からあまりにばかばかしくなって飽きてしまった。
図書館の端末で論文検索をし始めて、「これはもういよいよ、ここでできることをするしかないな」と、臨床を諦め次の他大学院での研究テーマを考えだすことに腹をくくっていったのだ。

臨床研修期間に、厚労省に実態を話して来年から臨床研修を別の所でやり直したいと告げた時もあった。
加えて、大学病院にも申し出た所、「もうこれ以上は毎年、この病院放射線科から挫折者をだしたくないので我慢してくれ」といわんばかりの結果であった。

図書館強要はなくなったものの、世界でこれほど理不尽な臨床研修を受けているものは私くらいだったろう。

スピード、手技、正確さ、周りとの連携・・・臨床研修?がなんとか終わって(結局、ほとんど大学院へ行くために論文ばかり読んでた期間だったが)、初めて取り組んだ開業医でのアルバイト生活で直面した様々な苦労と壮絶な休みのない生活を思い出してしまった。

飛行機の乗務員は、緊急事態で命に係わる訓練を受けているが、私が直面したものはそうでないかもしれない。
しかし、実務に関わったあの頃の厳しさの世界は本当に今でも壮絶だった。
人より1年遅れて入ったバイト先での実臨床の世界。
そして今は口腔病理学の世界。
何をしたいか、何をするべきか、何を求められるか、規約と判断で頭がフル回転の日々。
自分にとって、昔の記憶は美化も風化もしないし、今でも理不尽な厳しさの数々に困惑することも多い。

今回、目にした訓練映像では罵倒されたかのように涙を流す人もいてたが、教官はメンタルケアもしていたりしていたので教育という意味では理想だと思う。
その分、自分の選択した分野で進むべきやりがいもそれだけあるのだろう。

2024年の私は、卒業当時から随分立っていて、専門医取得に必死になっている。
今いる所を干されて、次の施設をまず確定させないといけないほど進路に困窮してしまった。
歯科系の学会は、そういう意味では医科系ほど研修施設に対して希望者を導いてくれるような親切はない。
少々の誤解もあるかもしれないが、専門医の研修を受けたいと思って申し出ても、認定施設なのに対応できないという返事の施設が多く、道は本当に狭い。

まさに選ばれた人が行ける門なのだろう。
必要な要件もこなさないといけないのだが、これから専門医研修のできる施設を時間をかけて探して、再開できるよう”研活”が永遠に続く。

なるべく、進路がうまくいくようにと願うが、もうこのまま中断になるのかと不安とストレスは募るばかりだ。
できるだけ活路を見つけたいと思うこの頃だった。

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