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靴ひもがほどけたら... Senaが考える自己肯定感

今日の出来事で考えたことがあったので、書いてみようと思います。


考えてみて。

靴ひもがほどけた時、どう思いますか?
私は 面倒くさいな とか タイミング悪いな とか思う。

一緒に歩いてる友達の靴ひもがほどけたら?
私は 結ぶために止まって待つし、荷物持とうか?って声かける。

子供の靴ひもがほどけたら? 上手く結べなかったり、いらいらしていたら?
私は 一緒にしゃがんで「だいじょうぶだよ 出来るよ」って声かけたり、片足は結ぶの手伝ってあげたり、楽しく練習出来るような工夫を考える。

自分でも他人でも、何回もほどけたら「またか…」って思うけど 仕方ない。
練習するか 工夫を考えるか 靴ひもを変えるか・・・まぁともかく、その場で苛々したって仕方ない。

今日の出来事

妹(小6)の靴ひもがほどけた。
母親が 「結ぶ練習続けてないから」「いつもゆるいんでしょ結べてない」と言った。
話を聞くと、母親の靴を妹に貸したところ、靴底がすり減ったらしい。「だからママの靴が無いの」と言う。

よく分かんなかったな。
小学生の子はみんな自主的に「結ぶ練習したい!」ってなると思っているの?
「いつも」とか「結べてない」って言われて、さらに結ぶのが嫌になるの分からないの?
子供に靴渡したら すり減るのは当然だろうし、それで親のスニーカーが無いって子供に言うなんて、お門違いだろう。

「平たい靴ひも難しい」っていう子に、「じゃあ他の靴の紐外して使ったらいいじゃん」って言うけど、紐結ぶのを練習中の娘が それを自分で楽々出来ると思っているの? 大人でも面倒くさくて避けがちなのに。

自制心という名の優しさと、責任と、環境と。

この話は、私の経験が大きいと思う。
保育園の時リボン結びが出来なかった。凄く凄く悔しかった。でもどうしたらいいのか分からなくて、リボンをくるくるってして形が出来るのが魔法みたいに見えてた。
ある日 保育園の先生が、厚紙に色とりどりのリボンをつけて 持ってきてくれた。先生がやってるのを見て、何回もやってみて、出来なくて悔しくて また見せてもらって練習して・・・ 初めて出来た時。繰り返し出来るようになった時。色とりどりのリボンを全部結べた時。ポーチの紐、プレゼントのリボン… 自分が凄く誇らしくなったことを覚えてる。

だから私は「だいじょうぶだよ、ゆっくりやってみよう」「一緒に練習しよっか!」「難しいよねぇ」って声をかけたい。
普通に結べる大人でも(なんで今…めんどくさい…)って時に思ってしまうのだから、練習中の子供は なおさら嫌だろう。

そこまで考えると、「早く!」とか「また?」とか「練習しないから」とか… 私は言えない。黙って結ぼうとしてる子供に、その言葉を言う意味が私は分からない。

苛々はすると思う。それは仕方ない その感情は悪くない きっと。
でも、私は大人だから。妹より年上だから。簡単に結べるから。黒い感情が出てきたとしても それを制して優しい感情にして。
安心して練習できる、焦らずに頑張れる そんな環境を作っていきたい。


自己肯定感はそうやって、

そんな小さく見えるかもしれない積み重ねが ”自己肯定感”になるのだと思ってます。
私がリボン結びを出来て、自分が誇らしくなったように。
親が凄く褒めてくれなくても、私は誇らしいその経験を 20年以上経った今でも覚えているのだから。

難しい時もあると思う。厳しく言ってしまうことも。
私も・・・そんな事があって、今でも反省してる。それはSenaさんのせいじゃないと言ってもらっても 忘れないように自戒を込めて。

言ってしまった言葉は、聞かせてしまった言葉は、無かったことには出来ない。でも「さっきはごめんね、ほらこれで一緒に練習しよう!」って言うことは出来るし「難しいよねぇぇ、ねーねも〇〇がうまく出来なくてさー」って言うことは出来る。

もう少し言うなら、私は「これを用意してあげたよ!」「買ってきてあげたよ!」みたいな事を言いすぎないように気をつけてる。そうやってプレッシャーをかけないように。


人は、無意識にも他人や、友達や、同僚や、家族を傷つけてしまうものだけど、私はそれに慣れたくないから 今日も優しいせかいを作る工夫を考えています。

Sena.👟 🥾

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