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小学校受験を通してわかった事と、人は何の為に学ぶのか?について

いきなり私事で大変恐縮だけれども、文字通り戦争という名の娘の小学校受験が無事終わり(正確にはまだいくつか残っているが本命は終わり)、全てが希望通りとは行かなかったものの、なかなか良い形で着地することが出来た。小学校受験は子ども自身よりも親の占めるウェイトが圧倒的に大きいと先生方に多大なプレッシャーを与えられ、戦々恐々と日々過ごしていたが、やっとそんな重圧から開放され、ホッとしているところではある。

一貫校である為、もう私に残された仕事は高校生以降の自我がはっきりと生まれている状況での彼女の選択を否定せずに肯定・応援し、必要があれば支援することのみとなるだろう。どうせ私の子なので右斜め上の選択をするに決まっている。驚かない準備くらいはしておこうと思う。

小学校受験の情報はその構造上、驚くほど世の中に出回らない。理由はいくつかあるが、今回はそれを気にせず書いていく。その為、最初は何が正解なのかがわからず、非常に悶々とした日々を過ごした。約一年半の準備で私自身が大いなる学びを得たので書いておこうと思った。きっといつか誰かの役に立つはずだ。

※注意点:小学校受験の具体的な対策などを記載する記事ではなく、親側の考え方、子どもとの接し方をメインとした記事です。

「解る」とは何か?

以前の記事でも書いたことがすべてだが、「解る」とはその対象に対して臨場感を得る事だと思う。

問題は、その場しのぎでわかったふりをする事だ。少し賢い子だと答えを丸暗記することにより表面上の正解は得られるが、少し変則的な問いが出たときに当然ながら解を導けない。それを見極めるのは、表情であり、タイミングであり、全体感でしかありえない。だからペーパーの正解か不正解かを見ただけでは本当の意味で理解しているのかはわかり得ない。その為、問題を解く工程の観察にこそ解がある。適当に回答したのか、本当に解って回答したのかは感情を隠し切れない5.6歳児は一目瞭然だからだ。

仮に「本当に解った?」と質問しても、子どもは(大人も)大抵の場合は「解った」と答えるだろう。それは間違えたくない、失望されたくないなどの人間としての心理からどうしようもないものだけど、そこで何度もしつこく質問し、本心を引き出すのがプロの教育者だなと痛感した。「本当の本当に、絶対のぜっ~~~たいに大丈夫???万が一、次に同じ問題で躓くとおやつが●●になっちゃうかも!」みたいなアプローチに必ず笑いを盛り込めながら行うことで本心を探る事が出来る。

基本的にはこれらを繰り返し、明らかに臨場感を得たと感じられるまで、詳細には同じ構造を抱える異なる問題を正解できるまで、根気強く寄り添う以外に方法はないと思う。

人それぞれ、臨場感を得られるポイント、尺が異なる

問題は、臨場感を得るプロセスは子どもによって異なるという部分だ。幸い、私たちは3名しか受講生がいない少人数制の教室に通っていた為、すべての受講生の学びの工程、表情などをよく観察することが出来た。A君が大きく頷いた個所ではうちの子は無表情であったり、その逆もしかりだ。そういった状況を目の当たりにしたことで、当然のことではあるのだけれど、人それぞれ、臨場感を得られるポイントが異なるのだと理解した。

また、うちの子は特に熟考するタイプで、質問されてもすぐに回答するタイプではない。初期にはこれにも悩まされた。決して解っていないということでもないし、考えていないのでもない。むしろ、彼女は誰よりも深く考え、正しい解を導く為に深い思考の旅に出ているのだということに気づくまでに少し時間がかかってしまったのは大きな反省だ。

特に受験勉強をし始めた初期には好きなだけ考えさせたほうがいい。考える尺は人それぞれなのだ。素早く解くよりも、自分のペースで問題構造を理解し、さまざまなケースで対応できる状況に引き上げることの方が圧倒的に重要だ。勿論、年長中盤になってくるとスピードがものをいうが(※1)、それまではスピードを追い求めていいことはほとんどないだろう。

(※1)難関校になると信じられないスピードで問題が区切られていきます。学校の中には大人でもかなり難しいスピードで問題が出されたり、解かせない前提のようなボリュームの問題が出る学校も多いです。

怒るのは辞めたほうがいい

全員が解っていることなのに、ほとんどの人が実行することが難しいのがこれだろう。どれだけ頭では「怒ってはいけない」と理解していても、感情がそれを許さない。それでもあえて言おう。怒ってはいけない。特に、問題を間違ったこと、思考に時間がかかってしまっている事の2つに対しては絶対に怒ってはいけない。小学校受験で最も最悪なケースは、勉強すること自体に「嫌い」「怖い」といったネガティブな感情を連想されるようになってしまうことだろう。

ではどんな時には怒る事が有効なのか?それは、嘘を付いたときだ。解っていないのに「解った」と嘘を付いたとき。本当に解ったのかどうかはその問題の類似問題を出せば一目瞭然になる。勿論、嘘を付かせた側にも問題があると考えるのが自然だ。まず、何故子どもが嘘を付かなければいけなくなったのかを考え、自省し、正す。その上でも嘘を付くようであれば多少怒る事は有効に働くだろう。私自身も何度自省したのかわからないくらいだ。

ただし、怒らないに越したことはない。私達の年長時の担任だった素晴らしい先生は1年間の中で一度たりとも怒りの感情を表情に出したことはない。いくらプロだとはいえ、最早聖人である。どんな時でも子どもの可能性を信じ、意見に耳を傾け、尊重し、更には親を律しw 正しい道に導いてくれた。これこそプロだなと、私は彼女から多くの事を学んだし、彼女無くして今回の成果はありえないと断言できる。今では最も尊敬する教育者の一人だ。

如何に興味を持たせることが出来るか?

親が出来ることなんてほとんど限られている。その限られている中で、最も重要だと思う親の役割は、如何に学習に興味を持たせるかという部分だろう。しかしこれは十人十色、各人各様、三者三様、千差万別だ。

これはあくまでうちの子の場合だが、彼女はゲームが大好きでいつも家ではマリオパーティをやっているか鬼滅の刃を見ているのかのどちらかだ。そんな時、私と妻は大抵リビングで本を読んでいる。

ある日、「なぜパパはいつも勉強しているの?」という発言があった。詳しく聞くと、「勉強は嫌いじゃないけど、ゲームのほうが好き」というのだ。そこで私は何の気なしにこう答えた。「勉強もゲームと一緒じゃない?ゲームをうまくクリアするにはそのゲームのルールをしっかりと知らなきゃいけないし、キャラクターの可動域や特性を知らないとクリアできないでしょう?勉強だって同じ。社会でうまくやっていくために勉強しているだけだよ。勉強もゲームも何も変わらないよ」と。

すると、彼女の表情が明らかに変わったのを今でもよく覚えている。全くの偶然ではあったが、それは勉強する意味について臨場感を得た表情だった。それから、自宅で過去問をやったとしてもこちらの指定した枚数を終えても自らおかわりするようになり、模試や実際の小学校受験本番の日も、いつでも見送る最後の掛け声は「ゲームみたいなものだから楽しんできなさい」に変わった。彼女にとって全ての努力・チャレンジにゲーム性が帯びたのだ。

当たり前のことだが、やらせられている内は学習効率は上がらない。大事なことは、如何に興味を持たせることが出来るかに尽きると思う。我が家の場合はたまたまゲームと一緒だという掛け声だった。子どもにはその子なりの趣向やこだわりがあるだろう。それと照らし合わせてでも興味を持ってもらえれば万々歳だと思う。

模試を数多く経験させよう

志望校別の受講者の順位が分かることに付け加え、問題出題のパターンや苦手な問題の種類などが明らかになるので、腕試し的に受けることを進めてる。また、模試を受ける一番の理由が場慣れだ。中でも「お話の記憶」は多くの場合音声で読み上げられ、試験会場によっては突然後方から聞こえてくる場合もあるらしい。この場合、前列は聞き取りにくくなるようだ。このようなさまざまなケースがある以上、本番で慌てることのないように、模試は数多く経験させたほうがいいと思う。うちの子も模試を受けるごとに大きく成長してきた。

尚、この受験期の5歳から6歳にかけての成長は凄まじい。半年前の模試の結果なんて殆ど意味をなさないレベルで皆大きく成長する。だからこそ、志望順位などで一喜一憂する必要はない。

また、試験結果が返送されるのは多くの場合二週間程度だ。そんな昔のことを子どもに問い詰めても覚えているわけもない。場慣れさせることと、苦手分野を特定できればそれだけで元が取れると言えるだろう。

参考:小学受験統一模試最新情報|みつめる21

模試自体を楽しませられるようにするには親の努力が必要不可欠だ。

秘技!全集中の呼吸!

子どもはどうしても注意散漫だ。そんな時に、どんな掛け声も無力だったのだけれど、このtweetをみて試してみた結果、彼女は圧倒的な集中力を手に入れた。よそ見をする、明らかに話を聞いていない、そんな時に是非使ってみてほしい。

我が家では勉強を開始する前に必ず「全集中の呼吸だよ」と掛け声をかける。すると、姿勢を正し、体幹を入れ、耳を傾けだすのだ。それはそれは面白いほどに。本番の10月後半からは全集中の呼吸、常中も手に入れたような集中力を発揮しているので、痣が出てくるのも時間の問題かもしれない(謎)

受験教室には通うべきか?

子ども自身が天才的な能力を持ち合わせている、または親が教育のプロという以外であれば、私は通っても損はしないと思う。

上記であげたような事柄を、私は先生が教えている工程を見ることで、教育というものを客観的に見ることが出来たのは非常に大きかった。「こういう言い回しをすると理解してくれるのか!」とか、「この伝え方はうちの子には全く響いてないだろうな」など、プラスもマイナスもすべて客観視できるということは私の教育スタイルに多大な影響を与えたからだ。

※注意:いくつかの超有名受験教室を見学したが、受験教室の中にはかなり激しく教育する教室もあるようで、そういったところは完全に避け、信頼できる人たちによって運営されている教室を選んだ。この辺は家庭の教育方針と合わせて検討すべきと思う。私たちは週に1度、2時間程度、任意で運動も合わせて3時間程度の教室だったので、子どもも私も受験教室に通うのが楽しみで仕方なかった。

そもそも小学校受験を経験させるべきなのか?

私も妻も東北の田舎育ちのため、高校までは当然のごとく公立だ。その為、当初は小学校は公立で中学受験で問題ないだろうと考えていたが、中学受験を題材にした「二月の勝者」という漫画をみて考え方が変わった。それを元に、私の近くにいる中学受験経験者や中学受験を経験した子を持つ方々にヒアリングしたところ、おおよそ98%の確率で自分の子どもには中学受験をさせたくないという中学受験否定派だったのだ。

私なんかが考えるよりもどうも壮絶だというではないか。家族の仲が悪化するのはよくある事で、中には家庭崩壊につながるケースもあるくらいにもめにもめるらしい。そんな経験は想像するだけで悍しいということで、中学受験を回避すべく、一貫校だけの受験準備を開始したのが約2年前に遡る。

我が家の方針的には究極的には公立でもいい、くらいの気持ちで臨んでいたので、そこまで気負いはなかったのはよかったのかもしれない。更に言えば、5、6歳の時点で人生が決まるわけでもないだろうし(※2)、経験して改めて思うが、小学校受験はほとんど縁であると思うことが多かったからだ。(※3)

(※2)幼少期の時点で人生が決まるわけでもないだろうが、その時の周りの環境は良くも悪くも多大な影響を与えると私は思う。私達が小学校受験に踏み切ったのはその為でもある。

(※3)小学校受験には行動観察なるものがよくある。この行動観察時に先生に個別で声を掛けられ、さまざまな質問をされるのだ。学校によってはこの行動観察のウェイトが大きい学校などもあるのだが、そういった学校でうちの子は全く声を掛けられなかった!!というのに何故か内定を頂いた。正直、要因は全くわからない。また、小学校受験の科目は、お話の記憶、点図形、回転図形、シーソー、逆思考、観覧車、置き換え、折り重ね図形などなど、本当に多岐にわたるのに、実際に試験に出るのは数科目だけだ。そういったことも踏まえると、運というよりは縁という表現の方が正しい気がする。

こういったこともあり、もう縁であるし、万が一ダメだったとしてもそれはそれで仕方ないのでは?くらいの思考になっていったのだ。

なんなら受験準備期間中によく旅行にも行っていたし(コロナ禍を除き)、1日1時間ほど勉強に付き合う程度だったので何かを犠牲にしたという感覚は全くない。寧ろ、私も妻も楽しかったという感想すら抱いている。

人は何のために学ぶのか?

受験準備を始めるのは凡そ年中の中盤が多いようだ。御多分に漏れず我が家も年中の夏に受験準備を開始した。その当初に幾度となく「4歳にしてなぜこんな勉強をしなければいけないのか?」を考えるようになった。そこで、私は一つの解に出会う。

幾度となく書いているが、私の推しの哲学者、苫野一徳である。

「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」~中略~<自由>になるためです。勉強するのは、最も根本的には<自由>になるためなのです。といっても、まだピンとはこないと思います。少し解説しましょう。ここでいう<自由>というのは、「生きたいように生きられる」ということです。もうちょっというと、できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、行きたいように生きられているという実感のこと。これが<自由>という言葉の意味です。「こう生きたくはない」というのもまた、<自由>に生きたいということの、いってみればちょっと弱めの表現なのです。「こう生きたくはない」ということは、そうじゃないように生きたいということ、つまりやっぱり、「生きたいように生きたい」ということだからです。ということで、人はだれもが、どうしても「生きたいように生きたい」、つまり<自由>に生きたいと思っているはずなのです。わたしたちは、<自由>に生きるために実にさまざまな「力」を必要としています。だからこそ、わたしたちはこういうべきなのです。わたしにとっての勉強する意味っていったいなんだろう?それは最も根本的には、わたしを<自由>にしてくれる「力」を身につけることだ、と。<自由>に生きるためには、そのための「力」がいる。その「力」をつけるために、わたしたちは勉強しているのです。

苫野一徳は「自由になるため」といった。さすがだ、苫野一徳。たしかにその通りだ、一理ある。やるじゃないか。

そんなことを考えているうちに、とある小学校の過去問で親に対するものの中に「親として子どもに伝えたいこと」という項目があった。そこで私なりの考えをまとめた物を引用する。

小学校受験に伴い、塾や家庭での勉強など、多くの学びを行う中で、あなたは「なぜ、学ぶべきなのか?」を考えたことと思います。学ぶとお菓子を貰えるから?またはゲームができるから?お母さんと一緒にいれるから?いろんな思いがあると思います。たぶん、全部正解です(笑)。そんなことを感じ、あなたが本格的な学びを始める前に、私たち夫婦も「なぜ、学ぶべきなのか?」を膝を突き合わせ、長い時間をかけ、じっくり話し合いました。前提として伝えておくと、答えは決して一つではありません。そんな中で私たちが導き出した答えは「人に、世界に、優しくなれるから」です。当たり前ですが、知識を得ると、これまで知らなかったことを知る事ができます。知らなかったことを知る事が出来れば、これまでに見ることが出来なかった景色を見ることが出来るようになります。つまり、視野、視座が広がるのです。そうすると、これまで見ていたものが全く異なる見え方をすることがあります。これらを繰り返せば、徐々にではありますが、人の気持ちが分かるようになり、世界のことが分かるようになってきます。「なんで●●ちゃんはあんなことをいうのだろう?」「なんで世界の争いごとは絶えないのだろう?」そんな風に思ったことがありますよね?その問いかけを大事にしてください。大事なものは「何故、○○なんだろう?」といった問いかけです。問いかけを起こす動機、それは好奇心です。では、好奇心はどこから生まれるのか?それは、知識や体験などに始まる、学びから起こるのです。学びはいつでも知識と体験の両輪です。人は知らないものを考える事はできません。だから、より多くの問いかけを行うためには、多くの学びが必要不可欠なのです。だからこそ、私たちは学びを止めてはいけないのです。最後に一つだけ、まだ志半ばではありますが、私たちの経験から伝える事があるとすると、最高の学びの出発点は「好きなこと」から始めてください。どんなことでもいいです。夢中になった数だけ、あなたの人生は豊かになります。その点と点は、いつかあなたの中で線になる、繋がる時が必ずやってきます。その時に、あなたはきっと、今以上に、人に、世界に、優しくなれるはずです。

「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」という問いに、私たちが出した答えは「人に、世界に、優しくなれるから」。別にどんな思考を持っていようが自由だし、この答えを誰かに押し付けるつもりも毛頭ないが、「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」という問いに対する回答は、小学校受験を控えるすべての親が持っておくべき指標だと思う。法人で言えばビジョンのようなものだろう。

まとめ

正直、自身が取り組むまでは小学校受験なんてどうなの?と思っていたが、結果的に、私たちにとっては娘と多くの時間を共有することができ、これまで以上に間近で成長過程を見ることが出来たうえに、私自身も、特に教育に関しては目から鱗の連続で多くの学びを得ることができたのでかけがえのない時間を過ごすことが出来たと思う。

また、「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」という問いに限らず、多くの事を振り返るきっかけになったことも本当によい経験だった。

すべての人に小学校受験をお勧めするわけでは毛頭ないが、私立だけではなく、国立という選択肢もあるわけで、はなから除外する必要はないかもな、と思うのでした。

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