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『学びの個性尊重プロジェクト』 始めます。

ずいぶん長いあいだご無沙汰しておりました。アメリカのちょっと特殊なリベラルアーツカレッジに進学した息子が、コロナでとりあえず秋学期は渡米せず、リモートで大学1年生を始めたはいいですが、それまでのオンラインスクールとは同じオンラインでも勝手がまったく違い、想像以上に苦しんでおりまして、それを後方支援することに精一杯な毎日でした。今月になって息子もだいぶ慣れ、ようやく落ち着いてきたように思います。たぶん……

そんな “毎日があいもかわらず感情のローラーコースター” のようななか、

「SEM@homeをベースにした学びの場を一緒に創りませんか」

と『学びの個性尊重プロジェクト』発起人の上田志穂さんから声をかけていただきました。オルタナティブ教育をしてきた息子の教育担当&モラルサポートを最優先でやる、と決めて大学院にも進んだ私ですから、この秋学期も大学院の未完課題は保留気味になっており、故に、大学院を卒業する前にこのようなプロジェクトに携わってもいいのだろうか、三足の草鞋なんて私に履けるだろうか、と正直動揺しました。が、上田さんの情熱に「やはり私も一緒に創っていきたい」と心動かされ、賛同者・協力者として参加させていただくことにした次第です。

以下は『学びの個性尊重プロジェクト』のブログに掲載した自己紹介です。

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はじめまして。
賛同者1号の知久麻衣と申します。

このたび「SEM@homeをベースにした学びの場を一緒に創りませんか」と『学びの個性尊重プロジェクト』発起人の上田志穂さんから声をかけていただきました。SEM@home、つまり家庭でできるSEMを、ご興味ある皆さんに紹介し、実践のお手伝いをしていけたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

私は、2017年の夏よりアメリカのコネチカット大学大学院にて、主にジョセフ・レンズーリ教授らが研究開発したSchoolwide Enrichment Model(SEM / 全校拡充モデル)を学んでいます。

しかしオルタナティブ教育をしてきた息子の子育て・教育を最優先でやってきましたので、課題に集中する時間や気力体力がなかなか持てず、あともう一歩で卒業のところ、苦戦しています。この秋学期も、リモートで大学に進学した息子のモラルサポートで私自身の未完課題は保留気味になっており、故に、大学院を卒業する前にこのようなプロジェクトに携わってもいいのだろうか、三足の草鞋なんて私に履けるだろうか、と正直なところ悩みました。でも上田さんの情熱に「やはり私も一緒に創っていきたい」と心動かされ、賛同者・協力者として参加させていただくことにした次第です。

そもそも私は、息子がアメリカでギフテッド認定された11歳の時点から、ずっと、ギフテッド教育にこだわってオルタナ教育(=主流ではない教育)を進めてきました。当時は、ギフテッド教育でなければ、ギフテッドの子達の凸凹なり凸口は、アカデミック面においてもソーシャル・エモーショナル面においても適切にはサポートできない、と強く信じていたからです。

海外移住は諸事情で難しかったため、アメリカのギフテッドプログラムには主にオンラインで関わることになりました。ギフテッド教育界隈では鉄板の「満たすべきアカデミックニーズを十分に満たし、同じようなマインドを持った仲間(like-minded peers)とも出会える環境を整えれば、ギフテッドの子達はもともと備え持った資質を発揮して困難をも乗り越え、自身のパーソナル・ゴールを達成する」という調査報告に基づき、あれこれ模索し、試し(失敗し)てきたわけです。

わが家の場合、地理的な壁、アカデミック言語の壁、ほか諸々の壁があったことも考慮しなければいけませんが、それでも「アメリカの既存のギフテッドプログラムをもってしても息子を心身健やかに育てるのは難しかったし、大学生になった今でもまだ難しい」の一言に尽きるように思います。

例えば知的好奇心は人一倍強くても、学校の勉強となったら、いくら自分の好きな分野であってもまったく興味を持てなかったり、その好きな分野で飛び級をしても何故だかますます引いてしまったり。好きな分野で自分よりも秀でたピアに遭遇してインスパイアされるときもあれば、逆に落ち込んでその分野から退いてしまうこともあったり。同じギフテッドの子達となら意気投合すると専門家には言われたのに、当の本人は意気投合するどころか緊張してしまって話すこともできず、あるいは皆さんの凄さに圧倒されて自信を失くしてしまったり。

一方で、この6年間、息子はギフテッドプログラムとはまったく関係のない世界で知り合った子達と独自に絆を深めてきました。その仲間達は、もともとは同じ関心ごとを持つ子達(like-interest peers)で、共感力が高い優しい子だったり、関心ごとは似通っていても思想や信念が真逆な子だったり、学校の成績なんて全然気にしてない子や、場面緘黙、LGBTQで悩んでいる子もいれば、ふつうに学校生活を謳歌している子もいたり。飛び級して大学生になった息子を賞賛することもなければ嫉妬することもなく、お互いの得手不得手を補い合って、それぞれ年齢も国も違うのに宿題を助け合ったり。嫌いな部分もあるけど、ここは好きとか凄いとか、無意識にでも認め合っていたり。

アカデミック面でも、ソーシャル・エモーショナル面でも、既存のギフテッドプログラムでは結局挑戦続きだった6年間のオルタナ教育を経て、私が今たどり着いている “場所” は、

ギフテッドであっても、その能力や得手不得手は一人一人違うし、性格も嗜好も思考もバックグラウンドもそれぞれ違うし、本人が満たされたいニーズも、その満たし方・満たされ方も、必要とするサポートも、驚くほど千差万別で、だからこそ “いわゆるギフテッドプログラム” という存在に「ギフテッドプログラムだから大丈夫だ」と期待し過ぎてはダメなんだな…

というところです。又、ギフテッドどうこうまったく関係のないところでの息子の交友関係を嬉しく見守りながら、年齢や国籍、ジェンダーを含め、さまざまな括り(label)って何なんだろう、と以前より意識するようになりました。

ギフテッドと “個人” をラベル付けするのが嫌いなSEM生みの親のジョセフ・レンズーリ教授のもとでギフテッド教育を学んだ経験も私には大きかったです。「すべての子がギフテッドだと言っているのではない。ソーシャル・エモーショナル面のことは専門外だから私は何も言う立場にない。ただ、すべての子に、それぞれに適したギフテッド教育と才能伸長教育を受ける機会が平等にあるべきだ」と何十年も訴え続けてこられた先生の言葉には(私は)賛同しかありません。

大学院にまだ入る前、ギフテッドの社会的認知度を上げることの意義と難しさを感じ、自分の非力さから落ち込むことも多々ありました。が、息子の子育てやオルタナ教育、「すべての子のための(それぞれに適した)才能伸長教育」を目指すSEMとの出会いを経て、私にできること、私のやりたいことに、今ようやく行き着いた気がしています。SEMに興味あるすべてのお子さんが、それぞれに才能・情熱伸長教育の機会を享受できるお手伝いができれば本望です。

オルタナ教育をしていた6年間、タイミングの重要性というのを毎日痛感していました。いくらギフテッドプログラムに属していても、本人の知的渇望がある一定以上であるときのタイミングで(本人に)適した学習環境や機会を投入できなければ、せっかくの情熱の火も消えてしまう、と。その後いくら素晴らしいシングルコースやプログラムなりメンターを見つけてきても、本人の情熱の火がほとんど消えている状態では、すべてが本人にとってただただ苦痛でしかなくなると。

このタイミングというのがいかに曲者であるかをイヤというほど思い知った6年間でしたが、これもSEM@homeでなら解消しやすくなると実感しています。ギフテッドのペアレンツグループであるギフテッド応援隊さん主催の講演会や、ライター長岡真意子さんがインタビューしてくださったAllAboutの記事で、このSEM@homeをさらっと紹介してきましたが、今度は上田志穂さん発起の『学びの個性尊重プロジェクト』を通して、実際に皆さんと実践していけたらと思います。

得意なことが必ずしも好きであるとは限りません。むしろ努力が苦にならない「好き」や情熱にフォーカスし、自分だけのプロジェクトを立ち上げ、その道のプロに徹してやり遂げたその学びを「自分のもの」にするSEM@home、正確にはEnrichment Triad Model(ETM)がベースですが、その学び体験のお手伝いができたら幸いです。

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よろしくお願いいたします。


【ちょっと一言】
息子の大学に関しては、機会があれば、と思いますが、一つ言えるとしたら、教育面でも心理面でも未成年(18歳以下)の学生個々人に対しての理解とケア、サポートが柔軟で、驚くほど手厚く、私が思い描いていた理想のギフテッドプログラム像を超えた “ギフテッドプログラム” でありました。ギフテッドのための早期大学だとは謳っていませんが、わが子のギフテッド教育関連の情報収集を英語でしている親御さんなら高い確率でその存在にたどり着くと思うし、NAGCなどギフテッド関連のカンファレンスでもたまにブースを出しています。息子が “想像以上に苦しんでいる” のは、息子個人が解決していかねばならない課題であり、大学側の問題では一切ありません。逆に理解と配慮とサポートが素晴らし過ぎて、感謝を通り越して心が痛いです。


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