見出し画像

他人に対してできることは少ないと思う

ぼくは恋人から、かなり多くのことを学ばせてもらった。

特筆すべき学びはいくつか挙げられるのだけど、その中には「自分が如何に無力であるか」というものがある。より細かく言うと「他人に対して自分がしてあげられることの少なさ」である。

ぼくが大学3年生の6月頃、付き合って1年も経っていない時期だった。ぼくの恋人は1つ年上なので、大学4年生の就職活動中だった。

恋人は就職活動が上手くいってない様だった。6月頃だったので、世間的には焦る時期ではないかもしれないが、内定が中々出ないことに焦りがあったのだろう。

ぼくは当時、大学3年生の未熟者で(今でももちろん未熟者)、もちろん心配はしていたが、就活の大変さも分かっていないし、恋人の心中を情報としては理解していたものの、人生経験不足の故どこか他人事というか、楽観的な思考でいた。

そんな楽観的なぼくは、落ち込んでいる恋人を励まそうと「気晴らしにホタルでも見に行こう」と提案した。

恋人は優しいので、ぼくの提案に乗ってくれた。

車を持っていたぼくは、夜、恋人を乗せてホタルを見に出かけた。最近の就活のことや悩みとかを聞きながら、なんとなく重い雰囲気が流れていた。どうやら今日か明日辺り、面接の結果が出るらしい。

きっと悩みを話せばスッキリする部分もあるだろうし、ホタルでも見て癒やされればいいな。なんて思っていた。

しばらく会話していると、隣に座っていた恋人から突然、返事がなくなった。視界の端で、動きも止まり、隣を見ると深刻そうな顔でスマホを覗いていた。

どうしたの。と運転しながら聞いても返事がない。気付けば恋人は下を向いていた。

泣いている。

理解したのは、数秒経ってからだった。初めて、泣いている恋人を見た。

何をしたらいいのかわからない。なんで。泣くのを隠し、下を向きながら恋人は言った。

どうしていいか分からなかった。なんて声を掛けていいかも分からなかった。頭に思い浮かぶ励ましの言葉のどれも、実態のない軽薄な言葉に思えた。

自分は、恋人を支えたいと思っていた。自分なら支えられると思っていた。でも、掛ける言葉も、わからない。

しかもそんな自分が、励まそうとホタルを見に連れて行く?本当に見たいかも分からないのに?こんな大変な時期に?

自分の思っていたことが、なんて浅はかで愚かなんだろう。そして、なんて無力なんだろう。と心底自分に失望した。


こういった過去の反省から、自分は他人に何かをしてあげられるという驕りを持っていること、他人のためになるだろうと思い行動するエゴイストな部分があること、を知った。

そして、大事なときに言葉はあまり意味を持たないことを知った。その人の側にいること。話を聞くこと。日々の行動の積み重ねによる信頼が物を言うこと。

文章にするとなんだか安っぽいけど、これぐらいしか人に出来ることはないな。と思った。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?