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あのフツフツと煮えた、爆発する直前みたいなインターネッツ時代を、僕は知っている。

僕は今年23歳で、小学3年生の頃からインターネッツにどっぷりだった。人格形跡期も、青春も思春期も、全部インターネットと共に過ごした。

僕が初めてインターネットに触れた2007年は、ニコニコ動画が本格始動し、YouTubeが日本語対応した年だ。著作権侵害が注目され、違法アップロードな違法ダウンロードへの法制化が進んだ。ちなみに、堀江氏に判決が下った年でもある。

当時のインターネット普及率は、白書によると50.9%で初めて日本の全世帯の半数を超えた。ちなみに2020時点では83.4%だ。当時はインターネット普及が爆発している最中だったのかもしれない。

その年にWindowsVistaが〜とか、ニコニコ組曲が〜だとか、インターネット老人会を始めたいところではあるが、今回はそういう話をしたいのではない。

当時のインターネットの中に蠢く熱を、そしてそれを感じていた僕について話したい。

小学3年の頃、父が自営業をしていたので僕はよく仕事場に遊びに行き、デスクにあるパソコンを勝手にいじっていた。

そのパソコンはWindowsXPだったので、起動画面は暗くて黒かったり青かったりして怖かった。でも、その不気味も良かった。

勝手にいじって気づいたのだが、このYahooっていうのを使うと、どっかの誰かが入力した文字とか動画がみれるらしい。小3なんて学校と家庭だけが自分の世界だし、喋る人、行くところなんて限られている。

しかしパソコンの中では、全然知らない人が全然知らない話をしている。同級生が知らないような、非日常がここには広がっている!

僕はすぐにのめり込んだ。
YouTubeを見つけ、外国人が銃のおもちゃで戦っている妙にクオリティの高い動画や、違法アップロードされまくっているアニメを見漁った。

ゲーム実況や、その当時YouTuberという言葉があったか覚えていないが、動画投稿活動している人たちの動画も見漁った。

すごい…!インターネットにはみんなが気づいていない、すごい人たちがたくさんいる!

この、「みんなが気づいていない」というのが僕にとっては重要だった。みんながインターネットという荒野を、しかし資源や発展の余地がある土地を、可能性を感じながら、試
しながら開拓しているように感じたのだ。

個人的に、一番それを感じたのはニコニコ動画との出会いだった。

ボーカロイド。音MAD。同人活動。東方アレンジ。ゲーム実況。

またsteamをはじめとする、オンライン上でのゲーム販売プラットフォームとの出会いでもそれを感じた。

それぞれが世間が気づかないところで腕試しをして、才能を暴走させていた。ryoさんのメルトを聞いたとき感動した。

ボカロは流行の曲に負けてないだとか、Ipadが発売された2010年なんか、電子書籍元年だ。なんて皆言っていた。ちなみに、ボカロが世間にはじめて認知されはじめた「千本桜」の投稿は2012年だし、電子書籍が本格的に普及しだしたのは2014年頃だったはずだ(当時の体感)。

すぐさまインターネット活動を始めた。みんなの熱にあてられて、抑えられなかった。2008年頃にはYouTubeにゲーム実況をあげて、2010年頃にはニコニコ生放送もはじめた。ブログもやっていたし、ネットの友達とオンライン上でゲーム大会を開催したりもしていた。

周りに言っても「オタク」だとか「キモい」とか言う子が多かったが、構わなかった。世間が気づいていないだけだ、と本気で思っていた。

みんなが今か今かとアンダーグラウンドで熱を帯びていて、爆発寸前のようだった。

気持ち悪くて歪かもしれないが、本当に眩しくて、ひとつの青春の形だったのだ。


それが今では…と懐古厨をしたくはないが、当時と比べてインターネットの様相がかなり違うのは事実だろう。

すべてがコンテンツ化され、どこで楽しんでどこに流れていくのか、という舗装された道がある。コンテンツには多くの企業が参入して、利便性は上がり営利性も上がった。

もうほとんどが爆発しきったのだ。

無駄〜なおもしろフラッシュはもうみれないし、ブラクラも久しく見てない。キリ番カキコもないし魔法のiらんどは終了した。

次に爆発するところはどこだろう。メタバースはもう爆発寸前か、爆発しているかもしれない。熱を帯びているのは暗号資産だろうか。

きっと今もどこかで、あの熱を帯びた場所はあるに違いない。そしてその熱にあてられて、いつかは爆破するのだ。

もういい年をした大人なのに、あのときの様な熱を帯びた場所をまだ、探している。

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