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信仰

まえがき

7章構成で各話1分程度で読めるようにしました、お気軽にお読みくだされば幸いです。いつでも読むことを止めることができやすいようにしました笑

 1000年以上も昔、遠く西方の国に少年は生まれた。

少年の家は貧しく毎日働いても暮らしは少しも楽にはならなかった、それは彼の親が小作人であり実り豊かであったとしても、まずすべてを地主でもある村長に納め分配されるのはいつも家族がギリギリ生きていける分だけであったからだ。5才ほどになるとすぐ働きに出るのでこの村では子供の遊ぶ姿は見られない、仕事をして食事をとり眠る、少年の生活はこれがすべてであった、

この世に楽しいことはないのか?そう考える少年の心の中には楽しいという感情がどんなものかもはっきりとしていない。

 青年期に差し掛かる少し前どんなものかはわからないがこの世にはどうやら「楽しい」ことがあるらしい、楽しみとは何かわからないがそう思ったのは村長が夜ごとキラキラと光あふれる町の方へ向かって行き帰ってくるといつも上機嫌が良さそうだったから、ただその様子が少し恐ろしくも感じた、それはそんな陽気な表情をする人間や大声で笑う人間ががこの村にはいなかったからである。

あれはきっと楽しみに違いない、僕も楽しみを感じたい、村長と自分との間に何の違いがあるというのか、もし自分のわからない違いがあるにしても1日くらいは楽しんでもいいではないか。そしてある日村長に向かってどうか自分も一緒に町に連れていって下さいとお願いしてみた、

すると村長は少年をチラリと見て従者に何やらささやいた、従者は少年に「お前の家はどこか?」と尋ねた。

 少年が案内すると従者は両親に何やら話しかけていた、その間両親は床にすりつけんばかりに頭を下げていた、あまりにペコリペコリとしているので可笑しくなって笑いそうになるのをこらえていた。従者が去り両親は同時に少年の方を向く、少年の顔から先ほどまでの可笑しさは消えた、

父親は馬乗りになり力いっぱい少年を殴りつけ母親は少年を罵った。

これ以上殴られたら自分は死んでしまうのではないかと思ったところまで覚えているが、失神してしまったらしく目が覚めてからは今までに感じたことのない恐ろしい痛みに襲われた、あまりの痛みに叫ぼうにも顔が晴れ上がり叫べない、とにかく何かを訴えようとするとうるさいと怒鳴られたので黙って耐えねばならなかった。

やがて少し腫れが引いた時に自分の状態が少しわかった、まず自分が生きていること、お腹が空いてたまらないこと、手足も随分やられていて手の指は何本か折れていること、

こちらは恐らく母親がやったのだろう、もし父親であったならばこんなものではすまないであろうから。

ようやく動けるようになると母親が食べ物をよこし、それを食べたらすぐに畑にきて手伝うように言われた、食べるも何も歯は折れているし口の中は傷だらけで随分難儀したが、この時だけはいつものほとんど味のないスープがありがたかったスープにパンをつけドロドロにしてから胃に流し込むようにして飲み込む、、胃にじんわりとしたものが伝わり味は全く感じないのに初めてうまいと感じた。

この時潰れた鼻と曲がった手の指は生涯治らなかった。

 やがて両親が年を取ると畑を継いだ、少年はすっかり一人前の男になっていた。

この村では年頃になると嫁を迎える、この村の結婚には必ず何らかの利害が関係するので、

それらを判断し適当と思われる男女を結びつける年取った世話人がいた、

ある日男の家に世話人がきて言った、お前の家に嫁は来ぬ、娘たちがどうしても嫌がって泣くものもあるのだ許せよと。

男は自分に嫁をと考えてくれたことと許せと言った世話人の親切に対する二重の驚きと丁寧な態度に感謝し深く頭を下げた、世話人は醜く貧しいこの男にさらに孤独が加わったことを憐れに思い何度か許せよと言い残していった、男はむしろありがたいことと感じていた、自分の嫁になる憐れな娘がいなくなったことや何より身近で両親をみてきたから。

 年老いた両親を置いて家を出て朝から晩まで働き両親の食事をつくる、家を出ぬ両親は夜ごと男に悪態をつく、お前が情けないばかりに嫁も来ぬ不便でかなわん、お前なんか生むんじゃなかったと。

はじめの内は男にも言いたいことがないでもなかったが小さかったころ散々殴られて怒鳴り散らしていた両親が今は自分以外に寄る辺なく老いていく姿を見ていると何も言えなくなるのだった。

四 

そんな日々を送っている中で男の心には不思議な変化が現れた、変化というよりも以前から身の内にあったぼんやりしたものが少しずつ形を取り始めたようでもある、

変化の1つとして生活の中で「楽しみ」を見つけられるようになった、

畑仕事にしても鍬の使い方を変えてみたり、独自に工夫をした道具も作った、大抵の場合失敗に終わったが中にはこれは便利だということで村中の者たちが使いだしたものもある、両親に対しても献身的に尽くすようになった、なるべく作り立ての温かい食事を出し家の中を清潔にするよう努め、程よい天気の時には畑仕事を軽く手伝わせて体を動かすようにした、はじめは悪態ばかりついていた両親も次第にそれらを口にしなくなり感謝を伝えようとしていることがあった、具体的な言葉は最後まで聞くことはなかったがそれは今までの行いからくる一種の気恥ずかしさと感謝の仕方がわからなかったのかもしれない、これらの変化は直接的な利益をもたらすようなっものではなかったが身を包むような楽しみを感じさせてくれた。

 直接的でなければこれらの変化は間接的ないわば精神のありようがもたらす喜びであったのか? 

男の村にも宗教らしきものはあり祈りを捧げる儀式めいたものもあったがそれはあくまで収穫に関わる自然に対する畏怖であり祈りであった、例えば太陽や雨を司る神に感謝をささげる時は村の皆が集まって祈るのであるが、それは作物が豊かに実るように干ばつが起こらないようにと祈るのであってそれ以上の意味はない、作物が豊かに実ったところで全て村長に収められ各家に分配される分は決まっている、豊かさがなんであれそのことによって喜ぶのは村長だけであった、

それは誰もがわかっていて祈りの最中に虚ろな目でただ時間が過ぎるのを待っている者もいたし、もっとも極端な忌避は祈りに参加せず畑にでている者もあった、畑に出ているものは祈りに参加しないことを黙認されている。

また葬儀の最中に妻が夫の棺に唾を吐きかけるのを見たことがある、だがそれを不敬であると非難するものはなかった、日頃の夫婦の様子からそれはむしろ当然のものとして受け入れられたのである。

 五

なぜだろうかと考えた、

同じ村に生きて多少の変化はあれども基本的な生活は全く変わらない貧しく厳しい日々だ

それなのにこんなにも「楽しさ」を感じるのはなぜなのか?

何年もの自問自答を続け遂に己の内にはっきりとした答えを見つけた、

それは常に自分の中にあり「真なるもの」「善なるもの」「優しさ」へと志向させる心の確信であった、それに比べれば大金も他動的な精神性も物の数ではない、思わず涙が流れる、少年のころ「楽しさ」について思いを馳せてからすでに40年以上もの月日が経ちすでに老境へと差し掛かっていた。

 それから彼は変わることのない「楽しみ」のある生活を送った、もはや意識することなく水の流れるように自然と行いに現れていた、徐々に村の中にも彼の姿に不思議さを感じるものが現れた、なぜ貧しく厳しいまして孤独なこの老人がこの村の誰よりも楽し気に生きているのか?

彼にそのこと聞きに来る者があるとその者が話を終えるまで静かに聞き、それから心の持ちようについてあますことなく話をするのであった、それが例え子供であっても大人と同じ言葉と熱心な態度で接した、

時に相手が納得しない場合はさらに相手の話を聞き、それに即した即興の例え話をしたり若き日の自分の人生を語ってみせた。

 彼は食事の後などに祈ることがあった、明かりの前であぐらをかきジッと目を閉じている姿は見る人に不思議な印象を与えた、

それを見た村人の中にはひっそりと彼に倣うものが現れ始めた、

彼はそれに対して何も言わず黙って祈り続けた。

しかしようやくこの心に至り、問われるままに語ってみたのだが、

今度は伝えるということの難しさについて悩み考えることが多くなった、

心に問えと言うと誰の話も聞かず自分勝手なことをし始めるものがいた、老人が話を聞きに行くと己の心に問うた結果なのですと言い放ったものや、

「寛容」について話したあるものは誰彼構わずに金を貸したが返すものが半分もいない、どうしてくれるのかと老人の家に怒鳴り込んでくることもあった、

中でも一番困ったことが木や何かで老人の像を彫り、それを拝みだすものが多くいたことである、これには老人もほとほと困り果てた。

熱心に通ってくる若者に

「実に人の心の迷いやすいことだ」とか

東にすむ聖人の言葉として「理解できぬものには伝えない方がいいことがある」というようなことを言いこぼした。

自分が心の「楽しみ」を得たことと彼の生活の安寧とはまた別の様であった。

やがて自分の生が長くないことを知ると彼はなるべく時間を作って話をしその態度は少し厳しさを増した、こうなっては1人でも2人でも正しく己の得たものを伝えたいと思ったからである。

死の間際一体幾人ほどに伝わったろうかと考えたが、それはやがてくる永遠の時間の楽しみにしようと瞼を閉じた。

彼を埋葬する際には多くの人が集まり野辺の美しい花が捧げられた。

彼の心がたった1人にでも伝わっていれば、それは1000年を越える偉業に違いない。


あとがき

原稿用紙にすれば5枚程度の作品にするつもりがいつしか倍になり、書きたいこともまだまだあって続編も考えています。

ここに書かれている信仰とは作者である僕自身が考えるある一つの信仰へと至る道であり既存の宗教を否定する意図もまた自分自身の宗教観やそれを書くにはあまりに理解の及んでいないと思われる個所もあるかとおもいますが自分としては以前から考えていた宗教間の争いや矛盾がなぜ起こるのか、信仰とは他人から与えられ教会で祈ることなのか、そういう疑問から発し現在時点の自分なりの考えを書けたと思っています。

感想、批評、文章について等遠慮のない意見がもらえれば幸いです。


推敲がいつまで経っても終わらず、考えていたよりも何倍もの時間が掛かってしまいました。
今後随時加筆修正する場合があります。
未完成ではありません、今の時点ではこれが完成作と思って投稿しています。

この作品は重複投稿になります。(小説家になろう様)

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