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価値なんてないじゃないか③


ラスト長めに書きます。

絶対と言い切れることがあるとすれば、

人は死ぬ、ということだけだ。

人は必ず死ぬ。
死神の精度-伊坂幸太郎-


年が明けてすぐに爺ちゃんが亡くなって、
大阪に向かってから東京に帰ってくるまで、
頭の中でこの台詞がエンドレスに流れていました。


あぁ自分もいつか死ぬのかと
淡々と当たり前のことを長い時間考えていました。

まさにその人がどういう人だったのかしか残らない。
自分の中では大きかった人生の中のあれこれの出来事たちも
そんなに意味はないのかとか。
今でいえばフットサル選手でいることと、
会計士の勉強を両立させることに人生のほとんどを費やして
まぁしんどい日々ではあるけど、
そんなに大したことではないのか。
とか。

そんなことより、
その過程で自分と出会った人たちに映る自分の姿の方が大事というか残るというか。

だから何をしていても、成し遂げようとしても、成し遂げても
そんなに価値とか意味はないなあとか考えてました。


“お前に俺の何がわかるんだよ”
みたいなよくある台詞がもしかしたら一番大事というか


自分が大事にしていた考え方や姿勢とか
どれだけ大事にしていても他者にそういう自分が残っていなければ、
そのために自分が費やしたことや経験や時間やお金の全てがすごく虚しいものなんじゃないか。

だから家族や友達も先輩も後輩も
自分のことを少しでも知ってくれている人たちは
とっても大切な人なんだなと思いました。


すごい政治家の人とか
大発明をする人とか
超大物エンターテイナーの人とか
ごく一部のスペシャルな人たちを除いて


「人間は、その日を摘むこと、日々を楽しむことしかできないんだ。というよりも、それしかないんだよ。なぜなら」

「なぜなら?」

「人間はいつか死ぬからだ。」
死神の浮力-伊坂幸太郎-


どうせ死ぬのであれば、
自分がやりたいことを納得いくまでやるべきじゃないか、と。

よそから褒められる人間になったところで、
毎日毎日、毎秒毎秒、死へと近づいていくのには変わりがない。
明日死ぬかもしれない。
やりたいことを我慢して、何が得られるのか。
死神の浮力-伊坂幸太郎-


大学のとくに就活期間のころに特に色々考えていた
価値ってなんなのか、スポーツの価値ってなんなのか、
とか

結論としては社会的な物事の価値は"人が求める数"だと思う。
だから自分のやりたいことと社会的な価値を繋ぎ合わせて大義のようなものを掲げると応援されやすくてetc
っていうのが大事なことなのは十分わかっているけれど、
それはフィクションでもあるから、
自分の中でしっかり区別しておかないと危険だなとも強く今は思う。


真実は人の数だけあるんですよ、
でも事実は一つです。

っていうと聞こえがいいけども、
全く理にかなってない大義を掲げても、
どんなに泥臭くてダサくても、
お前のことは応援してるよって言ってもらえるように

あいつはトンチカンだけどいいやつだったよって言われる人になりたいなと今は思います



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