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毎日読書#132『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子)

「AI」と聞いて何を思いつくか。各自それぞれだと思うけど、私の場合だと、まず、人型のロボットがドラえもんのように自立して動いて、人間と気の利いた会話をしてくれる。そして、人間のかわりに面倒な事をやっておいてくれて、人間に色々なことを教えてくれる。たまに自我に目覚め、暴走して、ジェイソン・ステイサムに壊されたりする。ステイサムは何でも壊す。

本書を読むと、AIの現実というか、限界がどこにあるのかがよくかわる。思ったよりも未来は遠い様だ。

本書は「まず大事なことを言っておきます」的に始まる。それは、現在のAIでは、数学で記述できる事以上の事は出来ないので、シンギュラリティもありえないし、映画や漫画に出てくる人工的な知性というものも出てこない。という現実。えー、そうなの。

なぜならば、コンピューターには、人間の言葉の意味が理解できないのだ。

言葉の意味もわからない奴に、あらゆることを理解するために必要となる常識がわかるはずがない。常識がわからなければ人間とコミュニケーションしてレスポンスを戻す、なんてことは出来ない。

そうか、無理か、無理なのかぁ。あくまで著者の主張としての話なので、実際の未来がどうかなんてのはわからないが、ここまで言い切られると、ちょっぴり残念だけど、すっきりもする。

そうだよね、車はまだガソリンで地上を走っているし、透明のチューブは街のどこにも無いし、服装だって戦後になってからは代わり映えも少ない。誰も、銀色のツナギを着ていない。

本書は四章構成だが、第一章をつかって現在我々が耳にしているAIとは何か、何が出来るのか、何が出来ないのか、そういったことを、著者がかかわる研究も引き合いに説明をしてくれる。

つまびらかに、夢なんてないよと説明してくれる。

そして「そっかー、ダメかー」ってなる。

コンピューターの何がいけないのか? それは「コンピューターだから」ってのが理由だ。コンピューターは四則計算を大量に早くこなす機械だが、それはつまり、計算できることは得意だけど、計算できないことは不得意どころか、まるで出来っこない。

我々が夢見る「真の意味のAI」は、すっごい臨機応変に思考を巡らせている印象だ。だが、こういった事を計算させるための理論が現在は全く無い。

現代の数学の力では、いくら計算しても「長野に向かいながら和歌山と秋田で山口について話をした」が理解できないのだ。

これだと、私も理解できないが。まぁとにかく、これを聞いて、人間であれば「長野(という場所に)向かいながら(友達の)和歌山(さん)と秋田(県)で(友達の)山口(さん)について話をした」なのかな? と一瞬で察して、その後の会話で納得を深める、みたいな事が行われる。

だが、今のAIにはこれが全く出来ない。

逆に得意なものはある、沢山ある。そのうち一つは、あるデータから特徴を抜き出すこと。例えば画像認識なんてのはお手の物だ。機械学習でリンゴの特徴を覚えておけば、様々な画像からすぐさまリンゴの写っている位置を特定することが出来る。

顔の認識もおなじみだろう。ジェイソン・ステイサムが帽子をかぶっていても、一定の面積が露出していれば、特徴を見つけ出し特定してくれる。

あとはこのAIがステイサムに赤いドレスの女性を派遣すれば自分は壊されないで済むのだが、そういうことはAIには出来ない。シェイソンステイサムがトラブルの代名詞であり、女性にめっぽう弱いのは人類が共通で持つ常識となっているが、AIからしたら知ったことではない。

この本を読んでいると、生きている間にAIに支配され、生きる電池としてカプセルの中で生かされる未来はまだ遠いのだろうなと安心が出来る。僕や僕の子供が生きている間は機械に支配されなくても済みそうだ。

だが、まるっきり安心はしていられない事も、この本を読んでいると分かる。本書の題名を思い出してほしい。

「VS 教科書を読めない子どもたち」とある。

AIが苦手なのは、ようするに読解力と呼ばれる能力であることが1章で示された。人間であればたちまち理解できるものが、AIではスパコンの計算力を使っても太刀打ちが出来ない。計算できないものは、どんなに時間をかけても出来るわけがない。

現時点では、コンピューターは「理解」が出来ない。そこに人間の生きる道があるということだ。

AIが得意な画像認識だとか、ある特定の目的に絞られた言語処理(契約書のリーガルチェックとかサクッとやってほしいよね)だとか、そういったことは、どんどんAIに仕事を取られていくだろう。

だが、読解力を必要とする仕事に関しては、まだまだしばらくは人間の独壇場だ。人間はそこで人間らしい仕事をしていけばよいということになる。

このパターン、過去にも同じことが繰り返されてきた。産業革命では、機械に出来る事は機械に、人間にしか出来ないことは人間にと、すみ分けることになった。単純労働者が職を失っても、やがて産業革命による経済の成長で所得を増やす人間が増え、その影響でその所得をあてにした次の産業が生まれた。それによって一時的に失業者は職を失うが、何世代というスパンで人間は職を得る事ができた。

今回も同じことが起こるのだろう、というのが筆者の見立てだ。

例えば、本書で紹介されていたのは画像診断でレントゲンの画像判定の仕事だ。人間で見るよりも正確に早く診断が可能になり、それをあてにしていた医師は仕事を失うだろう。

道路にカメラを置けば交通量の調査はコンピューターがやってくれるだろう(あれは利権の巣窟らしいから時間はかかるかもしれないけど)。

野鳥の会の会員は自宅で紅白を観戦できるし、スポーツの審判員は選手に殴られなくなる。

こうやって様々な仕事が「職業」ごと消えていく時代が始まるが、それをサバイブするために必要なのが、AIがもっとも苦手とする「読解力」だ。

なんだそんなことかと思うでしょう? なんと、困った事に、現代の若者達の読解力は下がり続けている。日本のそれも下がっているが、世界レベルで下がっている。その事実は、様々な調査で明らかになっている。

これは大変だ。いったい、何が原因でそうなったのか、それは取り返す事が出来るのか? もう、むちゃくちゃ気になる。自分の子供達は大丈夫なのか、どうやったら自分の子供達はAIに立ち向かうための能力「読解力」を身に着ける事が出来るようになるのか。もう、ものすごく気になるのだが、本書はそこまでは教えてくれない。

ただ、このまま放置しておくと、最悪の恐慌がおこるという。え、いったいどうしたらよいの? もやもやするな! とおもったら続刊があって、その名も『AIに負けない子どもを育てる』だ、そうか! これか! ということで、続けて読んでいこうと思います。

現状のAIという分野についてズバット整理されているので、AIに関する大枠の理解をしたいのなら、この本を1冊読んでおけば問題無いのかなと思う。でも、AIに夢いっぱいになっている人と話をするときに、この本の内容で反論すると喧嘩になると思う。

人間には読解力も大事だけど、共感力も大事なので。

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